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お坊さんがほうきでお寺の庭掃きをしているという姿というのは、日本人には馴染みのあるものだと思います。

ところが元々インドでは僧侶が掃き掃除をすることは禁じられていました。

現在でもタイなどではお坊さんが掃除をすることはありません。

それは植物や虫を殺すことになってしまうかもしれないからです。

では、僧侶が掃除をするようになったのはいつからでしょうか?

それは料理と同様、仏教が中国に伝わり禅宗の僧侶がお寺で集団生活をするようになった頃からです。

掃除に限らず、建物の修繕やお寺の管理に至るまで、修行道場での生活はそれ自体が修行となっていったのです。

これを「作務」と言います。

この修行の在り方を確立した百丈懐海ひゃくじょうえかいという中国の禅僧に関するこんなお話があります。

それは高齢の百丈懐海が修行僧たちの指導にあたっていたある日のこと。

高齢にもかかわらず、率先して畑仕事などの作務に出る百丈懐海の身体を心配した弟子たちが、ゆっくり休んでもらおうと百丈の道具を隠してしまいました。

すると百丈はそこから一切食事をとらなくなってしまいました。驚いた弟子がなぜ食事を召し上がらないのですか、と尋ねたところ、こう答えたそうです。

 

「一日不作一日不食(一日作さざれば一日食らわず)」

 

この言葉は「働かざるもの食うべからず」という言葉と混同されがちですが、大きく違うのは誰がそれを言っているか、という点です。

「働かざるもの食うべからず」という言葉は他人に言っている、もしくは言われている言葉です。

しかし、この言葉は今自分にあるこの命をしっかり活かした上で、食べ物の命をいただこう、という百丈懐海自身の誓いでもあり宣言でもあるのです。

現代に置き換えるならば、僧侶が掃除をすることに限らず、社会生活の中での家事や仕事、その全てが「作務」になるのです。

大事なことはそれが義務感や責任感だけで行われるのではなく、今ある自分の命を活かすために行うことです。

禅活では、普段の掃除や仕事も作務として向き合っていけるようなイベントやボランティアなどを企画していきます。

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