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	<title>法話 - 禅活-zenkatsu-</title>
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	<description>禅を活かして、ちょっといい一日を</description>
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	<title>法話 - 禅活-zenkatsu-</title>
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		<title>法話「顔も見たくなかった人」by渡辺秀憲（2024/2/7禅活しょくどうにて）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[禅活-zenkatsu-]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 01 Apr 2024 08:00:40 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[修行]]></category>
		<category><![CDATA[曹洞宗]]></category>
		<category><![CDATA[禅活しょくどう]]></category>
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					<description><![CDATA[2024年2月まで毎月開催していた精進料理&#38;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、 現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当していました。 今回掲載するのは、2024年2月7日の最終回で渡辺秀憲がお話しした法話です。 法話…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span>2024年2月まで毎月開催していた精進料理&amp;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、</span><br />
<span>現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当していました。</span></p>
<p>今回掲載するのは、2024年2月7日の最終回で渡辺秀憲がお話しした法話です。</p>
<h2>法話「顔もみたくなかった人」</h2>
<p>改めまして、こんばんは。</p>
<p>一年間続いてきた現在の禅活しょくどうの最後の法話を担当させていただきます渡辺秀憲です。</p>
<p>よろしくお願いいたします。</p>
<p>皆さんは嫌い、あるいは苦手な人やものとの関係に悩んだことはないでしょうか。</p>
<p>おそらくほとんどの方にその経験がおありかと思います。</p>
<p>仏教では、人生で避けることのできない八つの苦の一つに、自分が憎いと思うものと出会う苦「<ruby>怨憎会苦<rt>おんぞうえく</rt></ruby>」を説きます。</p>
<p>人に限らず、嫌いな食べ物や嫌いな仕事、嫌いな環境などもそうです。</p>
<p>好ましくないものとの会うことが人生の苦しみの大半と言っても過言ではないでしょう。</p>
<p>私ももれなくそれに苦しんでいる人間の一人です。</p>
<p>中でも今回は、嫌いな人との関係についてのお話をさせていただきます。</p>
<h2>修行中の出来事</h2>
<p>私には、永平寺での修行中にどうしてもそりの合わない、同期の修行僧のＡさんという人がいました。</p>
<p>彼は私と同じ日に上山した、同期の中でも特別な同日上山の仲間です。</p>
<p>そんな彼とは出身地も近く年齢も一つ違いだったので、修行生活の初めの頃からすぐに打ち解けることができました。</p>
<p>私と経歴が似ていたということも仲良くなった大きな要因だったと思います。</p>
<p>永平寺の修行僧は、大学で仏教の勉強をしてから上山する人が大多数でした。</p>
<p>そんな中で私と同じく、仏教以外の分野を勉強してきた人だったのです。</p>
<p>お互いの大学の分野は全く異なりましたが、自分と同じように仏教をほとんど知らない人がいることは、修行生活を送る上での励みのように感じました。</p>
<p>ところが集団生活を共に過ごす中で、彼に対してあれ？と思うことが増えました。</p>
<p>Ａ君は、他人の間違いや不備をよく指摘する人でした。</p>
<p>同期の仲間の応量器の作法の間違いや、掃除のやり残しを見つけると、強い口調で指摘するのです。</p>
<p>「間違ってるって言わないと、秀憲のためにならないと思ってさ」</p>
<p>指摘の後に決まってこう付け足すのが彼の決まり文句でした。</p>
<p>私もよく彼から指摘を受けました。「まあ、言っていることはその通りだし…」と、最初の頃こそ素直に忠告を聞いていました。</p>
<p>しかし釈然としなかったのはＡ君本人も作法を間違ったり、お勤めのうっかりミスしたりということが多いということです。</p>
<p>朝のお勤めで必要な、お線香を立てる香炉を用意するのを忘れていたことなど、些細ではあるものの細かいミスをします。</p>
<p>そしてそんなミスをして落ち込んでも、次の日には立ち直って、堂々と他人のミスを注意するのでした。</p>
<p>そんなところが気になってくると、今度は他にも嫌なところが目につくようになります。</p>
<p>私は彼の他人との距離感が苦手に感じ始めました。</p>
<p>それを顕著に感じたことがあります。</p>
<p>永平寺では少ないながら個人の衣装ケースなどで私物を管理するのですが、彼は私の荷物から勝手に爪切りを取り出して使ったのです。</p>
<p>別に貸すのは構わないのです。</p>
<p>集団生活で、自分の荷物を開けられても気にしない人がいることも知っています。</p>
<p>でも私は、自分の知らないところで荷物を開けられるのを許せる人間ではありませんでした。</p>
<p>そんな出来事を経て、私はＡ君をそりが合わない人と思うようになりました。</p>
<p>もっとも、そう考えていたのはＡ君も同じようでした。</p>
<p>私はＡ君のことを大きな声で言えない程度には、大雑把な性格でうっかりも多いです。</p>
<p>上山したての頃は、鐘を鳴らしに行くことそのものを忘れたこともあります。</p>
<p>また掃除が苦手で、先輩からもＡ君からも、埃の拭き残しや落ち葉の掃き残しをよく指摘されました。</p>
<p>他にも私は知らず知らずのうちに、Ａくんを失望させていたのかもしれません。</p>
<p>実際に「秀憲はもう少ししっかりした人だと思っていたのに」</p>
<p>と言われたことを覚えています。</p>
<p>当時は「自分のために言ってくれることだ。気に入らなくても聞いておかないと」</p>
<p>と自分を言い聞かせていましたが、Ａ君のできていないこと、至らないことが目に付き、徐々に耐えられなくなってきました。</p>
<p>ある時、Ａ君からのお小言の後に言われました。</p>
<p>「俺がこんなにうるさく言うのはさ、秀憲のためを思ってのことなんだ。反省して、次に活かしてくれよ」</p>
<p>私も我慢の限界でした。</p>
<p>先輩ならいざ知らず、自分だって完璧じゃないのに何でこんなに上から目線で言われなきゃならないのか。</p>
<p>至らないのはお互い様じゃないか。</p>
<p>とうとう言い返してしまいました。</p>
<p>「いい加減にしてくれよ。そっちだってお勤めをしっかりできてないじゃん。人のことをいう前に、しなきゃならないことがあるんじゃないの？」</p>
<p>Ａ君はまさか言い返されるとは思っていなかったのでしょう。</p>
<p>「ああいや、俺の悪いところはなおすから…」</p>
<p>と彼は急にしどろもどろになってしまいました。</p>
<p>ここまでなら、私が言いたいことをいってスカッとした話で終わるのかもしれません。</p>
<p>しかし修行生活はそれからもずっと続いていくもので、何度も何度も彼と顔を合わせるわけです。</p>
<p>彼はそのあとも気になったことは指摘してきます。</p>
<p>しかし私は、もう言われっぱなしは我慢ならなくなってしまいました。</p>
<p>私も彼のお勤めの粗を見つけては指摘するようになってしまいました。</p>
<p>そうすると、Ａ君の態度もどんどん頑なになり、お互いに言っても聞かないからあまり話さないようになりました。</p>
<p>その内に彼の顔を見るのも嫌になってしまって、朝のお勤めや坐禅で彼の隣に座るたびに気になって、嫌で嫌でたまらず、まったく集中できなくなってしまいました。</p>
<p>私と彼は、最終的に顔を合わせても挨拶するだけの、気まずい関係になってしまいました。</p>
<p>私は彼より早く、二年半で永平寺を後にしましたが、結局最後までそんなぎこちない間柄のままになってしまいました。</p>
<p>永平寺から帰ってきて少し経った頃、自分と彼はもっと仲良く修行できたのではないかと考えるようになりました。</p>
<p>振り返ると、私にもＡ君にも至らないところがあったのは間違いありません。</p>
<p>日々のお勤めに間違いやいい加減さが許されない以上、相手の間違っているところ、足りてないことを指摘し合うことはいいことのはずです。</p>
<p>でも結果的に、お互い顔を見るのも嫌な、憎しみに近い関係になってしまいました。</p>
<h2>「苦」どこにあるのか</h2>
<p>今回の禅活しょくどうでの法話はそれぞれ好きなテーマで、ということになり、私は彼とのことが思い浮かび、自分はどうすべきだったのかを考えてみることにしました。</p>
<p>そこで改めて「怨憎会苦」という言葉について調べなおすと「苦」という言葉が単なる苦しみという意味ではないことに気づきました。</p>
<p>「苦」という言葉は、インドの古い言葉で「ドゥッカ(<span>dukkha)</span>」というものが中国で翻訳されて日本に伝わりました。</p>
<p>この「ドゥッカ」という言葉は、思い通りにならなくて不満足な様子を意味しているそうです。</p>
<p>そうすると怨憎会苦とは単に「嫌いな存在と会うのが苦しい」ということではなく「会いたくなくても嫌いな存在と会うことへの不満」というのが本来の意味に近いのかもしれません。</p>
<p>さらに踏み込んで考えると、人に対して嫌いとか憎いと思うのは自分の心に他なりません。</p>
<p>つまり、怨憎会苦とは「嫌いという心が起こることが思い通りにならない不満足さ」なのではないでしょうか。</p>
<p>修行中私の気を散らし、不快にさせていたのはＡくんという人ではなく、彼に対する自分自身の心であり、その心が思い通りにならないということだったのです。</p>
<p>自分の心が思い通りにならないように、Ａ君の行動もまた、私の思い通りにすることはできません。</p>
<p>そうであれば、こちらの考え方と行動を変えるしかないのです。</p>
<p>私はＡ君に対してどのように接すればよかったのか、考えておりました。</p>
<p>その答えを探しているうちに、永平寺を開かれた道元禅師のお言葉を見つけました。</p>
<p>『正法眼蔵随聞記』という書物の中で、お弟子様の懐奘禅師に説かれた言葉です。</p>
<p>道元禅師は、たとえ修行僧の中に悪人がいても、むやみに憎んで非難してはならないというのです。</p>
<p>その上で、懐奘禅師にこのように示されました。</p>
<blockquote><p><em>他の非を見て、わるしと思て、慈悲を以てせんと思はば、<br />
</em><em>腹立つまじき様に方便して、傍の事を言ふ様にして、こしらうべし</em></p></blockquote>
<p>「他人の過ちを見て、悪いことだと思って慈悲の心で説得しようと思ったら、相手が腹を立てないように工夫して、間接的に他のことに託して、それとなくわかってもらうように導くのがよいのである」。慈悲とは、相手に安心を与えることと、相手に苦しみに同情して、それを取り除こうとすることをいいます。</p>
<p>思い返せば、私がＡ君に指摘するときは、あいつの粗を探してやろう、相手を言いくるめてやろうという気持ちが強かったように思えます。</p>
<p>これを続けることはＡ君のためにならないからという慈悲の心ではなく、あいつが気に食わないという恨み、憎しみのままに相手を非難していたのです。</p>
<p>Ａ君の間違いを指摘するときに、慈悲の心のもとに、相手の非を直接あげつらうのではなく、より遠回しな言い方をすれば、彼との関係が少しは変わっていたのかもしれません。</p>
<p>何か指摘するにしても、相手に腹が立っていたとしても、怒りのままに指摘するのではなく、相手が嫌な思いをしないように指摘するには、と考えをめぐらせるべきだったのです。</p>
<p>実は、永平寺での修行が終わっても、彼との僧侶としての付き合いは続いております。</p>
<p>最初にお話ししたように出身地が近いこともあって、つかず離れずの距離感を保っております。</p>
<p>自分でも驚いたのですが、永平寺を離れてみると意外にも抵抗なく彼と話せるのです。</p>
<p>先日は、曹洞宗主催の勉強会のお誘いを頂いて、一緒に受講することになりました。</p>
<p>修行道場という環境では彼の言動が気になってしまいましたが、環境が変わってみればお寺同士、副住職同士という境遇の近さから分かり合えることがたくさんあります。</p>
<p>これからのＡ君との付き合いの中でまた立場が変わり、お互いの悪いところが再び目に付くことは起こりうると思います。</p>
<p>その時は、感情のままに非難することはしないようにしようと思います。</p>
<p>Ａ君とのご縁を、再び憎しみ合う関係にしないために、そしてお互いがよりよい刺激を与えあえる関係でいるためにも、「他の非を見て、わるしと思て、慈悲を以てせんと思はば、腹立つまじき様に方便して、傍の事を言ふ様にして、こしらうべし」この教えを胸に生きていまいります。</p>
<p>今日こうしてお話しする機会を頂いて、過去の自分を見つめなおすことができました。</p>
<p>ご清聴ありがとうございました。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/IMG_0120-218x300.jpeg" alt="" width="218" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-9709" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/IMG_0120-218x300.jpeg 218w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/IMG_0120-746x1024.jpeg 746w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/IMG_0120-768x1055.jpeg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/IMG_0120-1118x1536.jpeg 1118w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/IMG_0120-1491x2048.jpeg 1491w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/IMG_0120-scaled.jpeg 1864w" sizes="(max-width: 218px) 100vw, 218px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<item>
		<title>法話「祖母の合掌」by原山佑成（2024/1/10禅活しょくどうにて）</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/9771</link>
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		<dc:creator><![CDATA[禅活-zenkatsu-]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 30 Mar 2024 15:00:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[こまきしょくどう]]></category>
		<category><![CDATA[禅活しょくどう]]></category>
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					<description><![CDATA[2024年2月まで毎月開催していた精進料理&#38;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、 現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当していました。 今回掲載するのは、2024年1月10日の回で原山佑成がお話しした法話です。 祖母の…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span>2024年2月まで毎月開催していた精進料理&amp;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、</span><br />
<span>現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当していました。</span></p>
<p>今回掲載するのは、2024年1月10日の回で原山佑成がお話しした法話です。</p>
<h2>祖母の合掌</h2>
<p>みなさん、こんばんは。</p>
<p>これまでこうして禅活しょくどうでお話をさせていただきましたが、私がお話を担当するのは今回で最後となります。</p>
<p>そこで、最終回はテーマを自分で決めて良いということになり、本日は「合掌」についてのお話をしたいと思います。</p>
<p>みなさんは日常生活の中で合掌をする機会はあるでしょうか。</p>
<p>やはりあるとすれば食事の時でしょうか。</p>
<p>禅活しょくどう以外でも、食事の前後に「いただきます」と「ご馳走様でした」の合掌をする方はいらっしゃるかと思います。</p>
<p>この季節でいうと、お寺に初詣やお参りに行った際に合掌をした、という方もおられるかもしれません。</p>
<h2>合掌の意味</h2>
<p>合掌は、右の掌は自分の清らかな心、左の掌は迷いや邪な心を表し、この二つの心を目の前で合わせることによって、自分自身の全てを曝け出して相手の前に差し出すことを意味したインドの挨拶が元になっています。</p>
<p>インドではもともと、右手は食事をしたりする手、左手はお手洗いでお尻を拭く手だったことが、清らかな心と邪な心という意味合いに置き換えられたようです。</p>
<p>日本に伝わった後には、右手があの世、左手が現世を表しており、両手を合わせることによって仏様の世界と私たちが生きている現世が一体となり、亡くなられた方や、ご先祖様の成仏を願う気持ちが表されているという解釈も生まれました。</p>
<p>いずれにしても、合掌をするということは、二つの相対したものが一つに合わさることであり、宗教的な意味を越えて、私たちの普段の生活の中に深く浸透しています。</p>
<h2>祖母の姿</h2>
<p>私はこの合掌について、最近深く考える出来事がありました。</p>
<p>実は2023年の10月に、私の祖母が92歳で他界しました。</p>
<p>数年前から高齢者施設に入居していたのですが、脳梗塞を患ったことをきっかけに身体機能が低下し、最終的には老衰で眠るように亡くなったそうです。</p>
<p>普段東京にいる私は、コロナ禍という事情もあり、晩年はほとんど祖母と会うことは出来ませんでした。</p>
<p>しかし、昨年の八月、お盆の手伝いをする為に実家のお寺に帰省した際に祖母に会いにいくことができました。</p>
<p>最後に顔を合わせてから三年以上が経過しており、私は久しぶりに祖母に会えるのが楽しみでした。</p>
<p>そして、いざ対面すると、祖母の様子が芳しくありません。</p>
<p>母が、「おばあちゃん、この人誰かわかる？」と尋ねると、祖母は首を横に振るだけでした。</p>
<p>面会の際には、マスクを着用していて顔が見えなかったということもあるかもしれませんが、やはり長い間会えなかったことで私のことを忘れてしまったのだと思います。</p>
<p>昔は私が実家に帰省すると、祖母はいつも私を暖かく迎えてくれていました。</p>
<p>「おお佑成、今回はいつまでいるんだ？たくさん食べて飲んで帰れよ」そう言って握手を交わすのが、祖母との恒例の挨拶になっていました。</p>
<p>しかし、その時の祖母が手を握ってくれることはありませんでした。</p>
<p>私は「久しぶりだから仕方ないよね」と言いながらも、目からは涙が溢れてきました。</p>
<p>すると祖母はそっと両の掌を合わせて私の顔を見つめていました。</p>
<p>私はその時の祖母が何を思っていたのかわかりませんでした。</p>
<p>そして、それが私の見た祖母の最後の姿となりました。</p>
<h2>祖母の生い立ちと合掌</h2>
<p>私は祖父を幼い頃に亡くしており、物心がついて以来、家族を亡くすのは初めてでした。</p>
<p>それもあって祖母の死は私にとって辛く悲しい出来事でした。</p>
<p>しかしながら、祖母との思い出や、祖母の生き様を思い出すと、残された私にとても大きなものを遺してくれたとのではないかと今では思います。</p>
<p>私の記憶にある祖母は、とにかく明るく、いつも大きな笑顔を見せ、人と会ったり話をするのが大好きな人でした。</p>
<p>一番印象深いエピソードとしては、家族で近所の温泉施設に行った際、食堂で食事をしていると、気付いたら祖母が居ません。</p>
<p>どうしたのかな、と辺りを見渡すと、祖母が別の家族の輪の中に入って楽しそうに団欒していたのです。</p>
<p>当時の私は、驚愕するとともに、その家族の方々に申し訳なくなり、父に「ばあちゃん連れてこようか？」と尋ねましたが「いつものことだから」と気にも留めません。</p>
<p>その後も何度か同じような場面を目にしていたのですが、その度に祖母のコミュニケーション能力の高さに驚かされたものです。</p>
<p>当然それは、お寺に訪れる檀信徒の皆さんや、お客さんに対しても変わりません。</p>
<p>特に新年のご挨拶にお寺を訪れる人たちからは「お寺のおばあちゃんの明るい笑顔を見ることが出来て、今年も良い一年になりそうです」と言われるような、お寺の名物おばあちゃんでした。</p>
<p>そんな祖母の生まれは地元で有名なお菓子屋さんで、看板娘だったそうです。</p>
<p>そういえば私も小さい頃から祖母の実家のお菓子屋さんで作られたケーキや、地元のりんごを使用した焼き菓子など、いろんなお菓子を食べさせてもらいました。</p>
<p>祖母のコミュニケーション能力が高いのは、そのお菓子屋さんでの接客に裏打ちされたものでもあったのです。</p>
<p>そんな祖母は先代の住職、つまり私の祖父と結婚し、お寺に嫁いできました。</p>
<p>そこから亡くなるまで期間をお寺の奥さんとして過ごし、曹洞宗から長年の功労を表彰されるほどの長い月日をお寺の為に尽くしてきました。</p>
<p>私にとっては、いつも笑顔で明るく優しい祖母でしたが、その92年の生涯は決して明るいことだけではありませんでした。</p>
<p>伴侶である先代の住職は64歳の時に亡くなってしまい、当時まだ若かった私の父と共にお寺を守っていくことは、容易なことではなかったと思います。</p>
<p>また、実家であるお菓子屋さんも様々な不運が重なった末に、大手のお菓子屋さんに買収されてしまいました。</p>
<p>そしてお菓子屋さんの手伝いのために、本当にしたいことが出来なかった過去もあります。</p>
<p>十代の頃には近くの家政学校に通っていたそうですが、お菓子屋さんが忙しいとの理由で学業を放棄して実家に帰ることを余儀なくされてしまったそうです。</p>
<p>祖母はしばしば、息子である私の父に対して「学べるということはとても有難い事なんだ」と言っていたと聞きます。</p>
<p>その92年の生涯を振り返ると、たくさんの苦労の中で涙を飲むような出来事もありました。</p>
<p>しかし祖母は、私の記憶にある大きな笑顔で、周囲の人々を明るく元気付けてくれました。</p>
<p>それはきっと辛く苦しい出来事があったからこそ、多くの人や縁に救われたことの有り難みを知り、誰かが辛く苦しい時には手を差し伸べようという思いがあったからではないでしょうか。</p>
<p>あの時、祖母に忘れられてしまい涙を流す私に対して手を合わせてくれていたのは、もしかするとそんな祖母の人生がそこに表れていたのかもしれません。</p>
<h2>手を合わせるということ</h2>
<p>道元禅師の詠まれた歌に「礼拝」という和歌があります。</p>
<p><strong><em>冬草も　見えぬ雪野の　白鷺は　おのが姿に　身を隠しけり</em></strong></p>
<p>この和歌は「草も見えないほどに雪が積もった雪原に佇む白鷺は、自分の体の白さによって身を隠している。」という意味で、白鷺と雪の白さの区別がわからなくなっている様子が描かれています。</p>
<p>そして、道元禅師がこの歌を「礼拝」と題されたのは、白鷺がその白さで雪と一体となってしまうように、手を合わせ礼拝するということは「仏様と私」とか「あなたと私」というような境界線をなくして一体になっているということです。</p>
<p>ことあるごとに合掌をしていた祖母は、寺族として合掌が習慣付いていました。</p>
<p>ただし、合掌の意味だとか、先ほどの道元禅師のお歌を知っていたかはわかりません。</p>
<p>長い人生の中で、多くの人や縁に支えられた有り難みを知っていたからこそ、分け隔てない感謝と思いやりの心が合掌となって表れていたのではないかと、今になってみれば思えるのです。</p>
<p>自分だけではなく、周りの人たちも一緒に笑えるようにと願った祖母は、あの時目の前で涙を流す誰か分からない私にも手を合わせてくれました。</p>
<p>悲しくなかったと言えば嘘になりますが、その姿は祖母の生き様の集大成であったような気がします。</p>
<p>私にはまだ、祖母のような合掌をできている自信はありません。</p>
<p>しかし、人にも食事にも、ご縁をいただき支えられて生きていることを忘れることのないように手を合わせ、いつか目に焼き付いているあの祖母の姿のように合掌できる僧侶になりたいと思っています。</p>
<p>祖母の生き様や教えてもらったこと、明るい笑顔を忘れずに精進していきたいです。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/LINE_ALBUM_禅活しょくどう＊2023年11月_240222_1-min-225x300.jpg" alt="" width="225" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-9686" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/LINE_ALBUM_禅活しょくどう＊2023年11月_240222_1-min-225x300.jpg 225w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/LINE_ALBUM_禅活しょくどう＊2023年11月_240222_1-min-768x1024.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/LINE_ALBUM_禅活しょくどう＊2023年11月_240222_1-min.jpg 1109w" sizes="(max-width: 225px) 100vw, 225px" /></p>
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		<item>
		<title>法話「これからのために食べる」by渡辺秀憲（2023/12/13禅活しょくどうにて）</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/9712</link>
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		<dc:creator><![CDATA[禅活-zenkatsu-]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 29 Feb 2024 15:00:57 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[こまきしょくどう]]></category>
		<category><![CDATA[五観の偈]]></category>
		<category><![CDATA[禅活しょくどう]]></category>
		<category><![CDATA[食]]></category>
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					<description><![CDATA[2024年2月まで毎月開催していた精進料理&#38;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、 現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当していました。 今回掲載するのは、2023年12月13日の回で渡辺秀憲がお話しした法話です。 これ…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span>2024年2月まで毎月開催していた精進料理&amp;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、</span><br />
<span>現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当していました。</span></p>
<p>今回掲載するのは、2023年12月13日の回で渡辺秀憲がお話しした法話です。</p>
<h2>これからのために食べる</h2>
<p>前回までに引き続き、「五観の偈」をテーマにしたお話をしたいと思います。</p>
<p>今回は五つ目</p>
<p><strong><span style="font-size: 14pt;"><em>五つには成道の為の故に今此の食を受く</em></span></strong></p>
<p>についてのお話です。</p>
<p>五観の偈について簡単におさらいします。</p>
<p>曹洞宗の大本山永平寺を開かれた道元禅師が著した書物に『赴粥飯法』というものがあります。</p>
<p>「五観の偈」とは、その書物の中で紹介された、仏道修行における食に対する五つの心構えが示された詩です。</p>
<p>ここまで毎月一つずつ、四つ目までお話しし、その五つ目が本日のテーマである</p>
<p><strong><em>五つには成道の為の故に今此の食を受く</em></strong></p>
<p>です。</p>
<p>現代語に訳すと、「成道のために、今目の前にある食事の供養を受ける」になります。</p>
<p>ここでキーワードとなるのが「成道」です。</p>
<p>「成道」というと、毎年この時期に禅活しょくどうにお越しの皆さんにはなじみ深いかと思います。</p>
<p>そう、十二月八日の「成道会」ですよね。</p>
<p>成道について、仏教語辞典にはこのように書いてあります。</p>
<blockquote><p>サンスクリット語は、完全に悟るの意。<br />
〈悟り〉を完成すること。とくに釈尊のそれを指す。<br />
〈得道〉〈成仏〉に同じ。</p>
<div class="blockquote_ref">
<div>『岩波仏教辞典』</div>
</div>
</blockquote>
<p>「とくにお釈迦様の」とある通り、「成道会」はお釈迦様がお悟りを開かれたことをお祝いする行事ですので、ここではお釈迦様のお覚りのことです。</p>
<p>では「五観の偈」の「成道」はどうでしょうか。</p>
<p>食事に対する心構えですので、この成道は自分のことになります。</p>
<p>では、私たちが「悟りの完成」のために食事をいただくとはどういうことなのでしょうか。</p>
<p>今回は、お釈迦様の成道のお話から、そのヒントを学びたいと思います。</p>
<h2>お釈迦様の成道</h2>
<p>お釈迦さまは、今のネパールの西南部にあったという、釈迦国という国の王子でした。</p>
<p>王族として豪奢な生活を送っていたそうですが、その性格はとても繊細な内向的だったそうです。</p>
<p>お釈迦様は何不自由ない生活を送る中で、人が老いるということ、病気になること、死ぬということから逃れられない、ひいては生まれるということも思い通りにならないと気づき、思い悩みます。</p>
<p>そして二十九歳の時、ついに生老病死の苦しみから離れる方法を探すために、王族としての地位や、妻や息子という家族を捨てて、出家修行の道を歩み始めました。</p>
<p>出家を果たしたお釈迦様は、当時修行者が多く集まっていた、現在のインドにあるマガダ国の都、ラージャガハというところに赴きます。</p>
<p>ほかの修行者と同じく、托鉢で食べ物を供養してもらう生活を始めました。</p>
<p>そこで当時、瞑想の修行者として名高かった二人の仙人の弟子となります。</p>
<p>しかし、すぐにそれぞれの瞑想法をマスターしてしまいます。</p>
<p>そして、その二つの瞑想法では、生老病死の苦しみへの解決策は見出せませんでした。</p>
<p>次にお釈迦様は、ウルウェーラーと呼ばれる地方に赴いて、「苦行」という修行を勤めます。</p>
<p>仲間の修行者と励ましあいながら、六年もの間苦行に励んでいたとされます。</p>
<p>最終的に、息を止める苦行、食事を摂らない苦行に打ち込み、命を落とす一歩手前まで自分を追い込みますが、それでも生老病死の苦から離れることはかないませんでした。</p>
<p>そこで苦行にも見切りをつけ、ネーランジャラーという河のほとりにて、弱った体を癒すことにします。</p>
<p>苦行の前に行っていた托鉢の修行を行い、体調を整えることから始めたのです。</p>
<p>そのあと、坐禅の修行によって心を静め、生老病死の苦から離れるための方法に思いをめぐらせるのです。</p>
<p>そして、菩提樹という木の下での坐禅の末に、お釈迦様はお悟りを開かれたのでした。</p>
<p>四諦八正道という、生老病死の苦から離れる実践方法を見出されるのです。</p>
<p>この成道の前に、食の供養に関する有名な逸話が残っています。</p>
<p>ある日、お釈迦様がニグローダーという大きな木の下で坐禅をしていると、近くの村に住むスジャータという娘から乳がゆを捧げられました。</p>
<p>当時のスジャータは神様の存在を信じており、木の下で座るお釈迦さまを神様だと思って供養したのだそうです。</p>
<p>またもう一つ、供養の逸話があります。</p>
<p>今度はサーラ樹というという木の下で坐禅をしていると、ソッティヤという農夫が通りかかり、お釈迦様に草の束を供養したといいます。</p>
<p>草の束をお尻の下に敷いてもらって、坐禅の助けにしてもらおうとしたのです。</p>
<p>お釈迦様は、苦行から離れてすぐに成道に至ったわけではありません。</p>
<p>まず出家した当初と同じように、托鉢の修行によって食事の供養を受けました。</p>
<p>坐禅のさなかも、乳がゆや干し草の供養を受けました。</p>
<p>俗世の快楽や苦行による禁欲から離れた状態で、<strong>供養を受けて生活を整えたうえで坐禅をすることで初めて生老病死の苦へと向き合えたといえるのです。</strong></p>
<h2>食事の先にある「これから」</h2>
<p>お釈迦様の成道からは、ご供養を受けた後に自分はどうするのかということを考えさせられます。</p>
<p>私が今までこの禅活しょくどうでお話したことの中で「これから」自分がどうするのか、という話をいくつかいたしました。</p>
<p>たとえば四月にした、福井県の大本山永平寺から福島県の自分のお寺に帰った時のお話です。</p>
<p>福島まで歩いて帰ってこいと言われたことへの反抗心から、法衣というしかるべき格好があるというのに、道中を私服で歩いたという、まったく胸を張れないお話でした。</p>
<p>その道中、見ず知らずのおばあさんからみかんのご供養を受けました。</p>
<p>その時は、自分はこんなに不真面目に歩いていて、供養なんて受ける資格なんてないのにもったいないなと感じる一方、おばあさんの供養の心に、これから少しでもこのみかんに見合うようになろうと思ったことを覚えております。</p>
<p>九月には、永平寺での修行僧時代の話をしました。坐禅に身が入らず、お勤めもきちんと勤められない中で、ストレスで食い意地を張ってばかりいたことの話でした。</p>
<p>今も「立派な修行をしてきました」と胸を張ることはできません。</p>
<p>同じ日に、祖母が脳出血で倒れ、要介護者として寺に戻ってきた話もしました。</p>
<p>先日三度目の手術を終え、歩行器が手放せない生活を送っております。</p>
<p>福島の寺に残っている父と母が介護生活をしています。</p>
<p>二人だけでは手が足りず、時には叔母が手伝いに来ております。私は電話で両親の愚痴を聞くか、土日の休みに寺に戻ることくらいしかできておりません。</p>
<p>これは今でも状況は変わっていません。</p>
<p>それでも、行いの結果や良し悪しで自分を卑下して終わるのではなくて、食事が自分のそれまでの行いに見合うのか反省をして、次の行動に活かすのが大事だ、とお話をしました。</p>
<p>お釈迦様の成道のお話は、私の今までの体験にも通じてくるのだと思います。</p>
<p>見ず知らずのおばあさんからもらったみかんを、今までの自分に見合わないからと言って食べないことは、私に対して供養をしてくれたおばあさんを無下にする行為です。</p>
<p>そのみかんを糧に、これから供養に見合うよう修行していくのです。</p>
<p>永平寺の修行生活が自信を持てるものではなかった、自分の寺の現状に対して何も助けになれていない、だから目の前のご飯を食べない、ということにはなりません。</p>
<p>自分は至らない、だから自分の修行のために食事を頂き、次の行動に活かしていくのです。</p>
<p>お釈迦様が、供養を受けて生活を整え、生老病死の苦へと向き合ったように、私たちもまた食事を頂き、体の健康を整えた上で、食べた後自分がどう生きるか考えていくことが大切なのです。</p>
<p>これまでの自らを省みた上で食事を頂き、これからお釈迦様の教えを実践していくこと、つまりお釈迦様のお悟りとつながる「道を成す」ということが、私たちの成道なのではないでしょうか。</p>
<p>ご清聴ありがとうございました。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/12/IMG_9360-236x300.jpeg" alt="" width="236" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-9559" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/12/IMG_9360-236x300.jpeg 236w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/12/IMG_9360-805x1024.jpeg 805w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/12/IMG_9360-768x977.jpeg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/12/IMG_9360-1207x1536.jpeg 1207w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/12/IMG_9360-1609x2048.jpeg 1609w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/12/IMG_9360-scaled.jpeg 2012w" sizes="(max-width: 236px) 100vw, 236px" /></p>
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		<title>法話「豪雪の中で見えたもの」by原山佑成（2023/11/29禅活しょくどうにて）</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/9685</link>
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		<dc:creator><![CDATA[禅活-zenkatsu-]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 22 Feb 2024 15:00:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[禅活のイベント]]></category>
		<category><![CDATA[食]]></category>
		<category><![CDATA[こまきしょくどう]]></category>
		<category><![CDATA[禅活しょくどう]]></category>
		<category><![CDATA[食作法]]></category>
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					<description><![CDATA[2024年2月まで毎月開催していた精進料理&#38;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、 現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当していました。 今回掲載するのは、2023年11月29日の回で原山佑成がお話しした法話です。 豪雪…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span>2024年2月まで毎月開催していた精進料理&amp;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、</span><br />
<span>現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当していました。</span></p>
<p>今回掲載するのは、2023年11月29日の回で原山佑成がお話しした法話です。</p>
<h2>豪雪の中で見えたもの</h2>
<p>九月から連続して食事を五つの視点から見つめる「五観の偈」について、<br />
それぞれ一節ずつお話をさせていただいております。</p>
<p>今回は四つめの<br />
<strong><em>四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんがためなり。</em></strong><br />
についてお話をさせていただきます。</p>
<p>簡単に言葉の意味を説明させていただきますが「良薬」とは読んで字の如く「良い薬」のことです。</p>
<p>そして「形枯」というのは、体が痩せ衰えてしまうという意味になります。</p>
<p>これを踏まえて現代語訳すると、次のようになります。</p>
<p><strong>「こうして食事をもっぱら良薬としていただくのは、自分の肉体が痩せ衰えてしまうのを防ぐためである」</strong></p>
<p>前回のお話では西田さんが「三つには心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす」<br />
についてのお話ししましたが、食事というのはどうしても欲と隣り合わせになる営みです。</p>
<p>私も一度お話ししましたが、自分のお腹が減っている状態だと「もっと食べたい」という貪りの心が起こってしまいます。</p>
<p>しかし、そんな貪りの心が起こってしまう自分と向き合うことが、修行になってくるのです。</p>
<p>そして「四つには〜」から始まるこの部分では、目の前の食事をただ自分の欲を満たすものではなく、<br />
自分の体を維持するための薬としていただくことの大切さが説かれています。</p>
<p>当然ですが、私たちは食事をしなければ生きていくことは出来ません。</p>
<p>しかし「飽食の時代」と言われる現代では、私たちは必要以上に「食」というものに様々な価値をつけ過ぎているような気がします。</p>
<p>できるだけ美味しいものを食べたいと思い、グルメサイトで評価の高いお店を探して食事をしたり、反対に栄養バランスを考えずにコンビニのお弁当や、カップラーメンなどで手軽に食事を済ませてしまうこともあるかと思います。</p>
<p>もちろんそれを否定することは出来ません。</p>
<p>私もたまの外食の時くらいは、せめて美味しいものを食べたいと思い、グルメサイトで入念に下調べをすることも多々あります。</p>
<p>また、自炊をするのが面倒なときはコンビニのお弁当やカップラーメンを食べることもあります。</p>
<p>しかし、食事という営みは本来私たちの生命を維持するためのものです。</p>
<p>これを改めて痛感する出来事がありました。</p>
<h2>永平寺での経験</h2>
<p>度々お話ししてきたように、私は五年前まで福井県にある大本山永平寺で修行をしていました。</p>
<p>永平寺での食事は菜食で、朝・昼・晩の食事がいわゆる精進料理です。</p>
<p>実際には前回の西田さんのお話でもあったように、差し入れなどででお肉や魚を口にすることもあるのですが、基本的には出されることがないので、修行僧は動物性タンパク質に飢えています。</p>
<p>しかし、私は修行中の食事で「公式」にお肉を食べたことがあります。</p>
<p>それは平成三十年の冬のことでした。</p>
<p>当時私は、永平寺の掃除や雪掻きを重点的に行う「<ruby>直歳寮<rt>しっすいりょう</rt></ruby>」という部署のお役目をいただいていました。</p>
<p>山深い場所に位置している永平寺ですので、冬はたくさんの雪が降り、直歳寮では雪かきに精を出す時期でもあります。</p>
<p>そして、その年の冬は現在でも、「平成三十年の豪雪」として記録されるほど全国的に雪がたくさん降り、永平寺でも稀に見る大雪の年でした。</p>
<p>記録として残っていたものを見返すと、二月五日から二月七日までの二日間になんと一四七センチの雪が積もったそうです。</p>
<p>当時のことを思い返すと今でも寒気がするほどで、永平寺から一歩外に出ると、胸元まで雪が積もっており、私は直歳寮の仲間たちと顔を合わせて、「これどうするんだろう」と呆然としたことを覚えています。</p>
<p>そして、そこからは毎日降り続く雪との戦いでした。</p>
<p>永平寺では、雪掻きをする作務を「雪作務」と呼んでいるのですが、<br />
本来は坐禅や各自の部署で行うお勤めの時間がすべて雪作務に当てられていきました。</p>
<p>直歳寮だけでなく、山内の修行僧全員が一丸となって雪作務に励んだのです。</p>
<p>しかし、雪は止む気配がなく、次第に建物の中にも雪崩れ込み、<br />
その重みが雪囲いを破り屋根や柱を倒壊させるほどになっていきました。</p>
<p>終わりが見えない雪作務の中で、私は精神的にも肉体的にも追い詰められていきました。</p>
<p>そんな生活の中で一番の楽しみは、お風呂の時間でした。</p>
<p>一日中汗をかいて働いた体を熱いお湯で洗い流し、<br />
湯船の中で体の芯から温まる時間が何よりも尊く、幸せな時間でした。</p>
<p>しかし、降り止まない雪の影響で、交通機関が止まってしまい、<br />
ついには灯油などの燃料が永平寺に届かなくなる事態にまで発展しました。</p>
<p>そのため、永平寺全体で燃料の節約が必要となり、二日に一回しかお風呂に入ることが出来なくなってしまったのです。</p>
<p>さらに食料も少なくなり、ただでさえ大変な労働環境の中で、<br />
さまざまな面で我慢をしなくてはいけなくなったのです。</p>
<p>しかし、降り止まない雨が無いように、降り止まない雪もありません。</p>
<p>永平寺全体で雪作務を始めてからおよそ二週間が経過すると、<br />
雪の勢いも弱まり始め、福井県内の高速道路も通れるようになり、燃料や物資が永平寺に届くようになりました。</p>
<p>さらには全国の曹洞宗の寺院や、有志団体からも大量の支援物資が届き、たくさんの方々の温かい気持ちに励まされました。</p>
<p>そして、送られてきた支援物資の中には、驚くべきものがありました。</p>
<p>それは大量のカップラーメンと菓子パン、そして「肉」です。</p>
<p>カップラーメンと菓子パンは、修行僧全員に二つずつ均等に配られて昼食の時間に食べたのですが、久しぶりに食べたクリームパンの優しい甘味と、味の濃いカップラーメンの美味しさが身に沁みて、今でもその味は忘れることが出来ません。</p>
<p>そして、何よりも特筆すべきは大量の肉の塊です。</p>
<p>私もそれを直接見ることはなかったのですが、永平寺の厨房である「大庫院」の修行僧の話を聞くに、三十キロもある豚肉の塊と、二十キロの鶏肉が送られてきたそうで、私を含めた修行僧たちは密かに、その肉がどうなるのか生唾を飲み込みながら想像を膨らませていました。</p>
<p>とある日、その日も当然のように雪作務を行なっていたのですが、永平寺の山内放送で「本日、<ruby>庫院飯台<rt>くいんはんだい</rt></ruby>」というアナウンスがされました。</p>
<p>庫院飯台というのは、大庫院の中で、修行僧全員が集まって食事を行うことで、基本的には僧堂坐禅をしながらで食事をとる永平寺では珍しいことです。</p>
<p>私は、今日はきっとお肉を食べることが出来ると確信し、どんな料理が出てくるのだろうと、ワクワクしていました。</p>
<p>しばらくすると、先輩の修行僧から<br />
「今日の庫院飯台は、箸と匙（スプーン）を各自で持参するように」<br />
と伝えられました。</p>
<p>夕食の時間になり、永平寺中の修行僧が応量器を持たずに箸と匙を持って大庫院に集まって行く光景は、なかなか見られないもので、私が修行していた二年間の中ではこの冬の時期を除いて一度もありませんでした。</p>
<p>大庫院に到着すると大きな鍋に大量のカレーと、お盆の中にこれまた大量の唐揚げが山のように積み上げられていました。</p>
<p>私はその光景を見た時に、それまで必死に頑張ってきた雪作務の苦労が報われた気持ちになりました。</p>
<p>それはきっと、私以外の修行僧たちも同じ思いだったと思います。</p>
<p>毎日朝から晩まで無心で雪を掻き、時には危険と隣り合わせの場所でも雪掻きをしてきた修行僧の間には、それまでの修行生活の中では得ることの出来なかった一体感と絆が生まれていました。</p>
<p>修行僧全員が席につき、食前の偈を唱えて、久しぶりに味わった肉入りカレーと唐揚げの味は、今まで食べたどんなカレーよりも美味しく、どんな唐揚げよりも体に染みていきました。</p>
<p>連日の雪作務で疲弊した体に、お肉の旨味や脂が染み渡っていったのだと思います。</p>
<p>修行生活の中でお肉を食べるということの善し悪しは、色んな意見があるかもしれません。</p>
<p>しかし、当時の雪かきに疲れ切った私たちは、決して冗談ではなく、あのカレーと唐揚げに救われたのです。</p>
<p>さらに、永平寺のことを心配して下さった全国の方々によって目の前の食事をいただけているということを実感したという点では、私は何よりも深く食事の有り難みを知った出来事でもありました。</p>
<p>私は永平寺での過酷な雪作務の経験によって、食事の本質の触れたような気がします。</p>
<p>それは最初に紹介した「四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんがためなり。」の教えに込められていると思うのです。</p>
<p>菜食だとか肉食だとか、口コミの評価が高いとか、栄養素が高いとか、現代には食事に関する情報や価値や主義が溢れています。</p>
<p>しかし、全ての前提として私たちは食べなければ死んでしまうのです。</p>
<p>私はあの豪雪の中で「食べることで生かされている自分」に身をもって気付かされました。</p>
<p>いろんな主義や価値観はさておき、私たちは生きるために食べるんだ、という事実にまずは目を向けることが大切なのではないでしょうか。</p>
<p>そんな食べるということの大前提を確認した上で、最後の「五つには成道の為の故に、今この食受く」という言葉へと繋がっていくのです。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/LINE_ALBUM_禅活しょくどう＊2023年11月_240222_1-min-225x300.jpg" alt="" width="225" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-9686" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/LINE_ALBUM_禅活しょくどう＊2023年11月_240222_1-min-225x300.jpg 225w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/LINE_ALBUM_禅活しょくどう＊2023年11月_240222_1-min-768x1024.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2024/02/LINE_ALBUM_禅活しょくどう＊2023年11月_240222_1-min.jpg 1109w" sizes="(max-width: 225px) 100vw, 225px" /></p>
<p><span> </span></p>
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			</item>
		<item>
		<title>法話「欲と向き合う食事」by西田稔光（2023/10/25禅活しょくどうにて）</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/9644</link>
					<comments>https://zenkatsu.site/archives/9644#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 18 Jan 2024 15:00:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[西田稔光]]></category>
		<category><![CDATA[修行]]></category>
		<category><![CDATA[永平寺]]></category>
		<category><![CDATA[煩悩]]></category>
		<category><![CDATA[禅活しょくどう]]></category>
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					<description><![CDATA[毎月開催している精進料理&#38;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、 現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。 今回掲載するのは、2023年10月25日の回で西田稔光がお話しした法話です。 欲と向き合う食事 前回、…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span>毎月開催している精進料理&amp;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、</span><br />
<span>現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。</span></p>
<p>今回掲載するのは、2023年10月25日の回で西田稔光がお話しした法話です。</p>
<h2>欲と向き合う食事</h2>
<p>前回、前々回と食事を五つの視点から見つめる「五観の偈」について、それぞれ一節ずつお話をさせていただき、今回は三つめの視点についてのお話をさせていただきます。</p>
<p>前々回は原山さんが<br />
<em>「一つには功の多少を計り、彼の来処を量る」</em><br />
についてお話しし、前回は渡辺さんが<br />
<em>「二つには己が徳行の、全欠を忖って供に応ず」</em><br />
についてお話ししました。</p>
<p>こちらに続いて今回お話しする一節は、</p>
<p><strong><em>「三つには<ruby>心<rt>しん</rt></ruby>を防ぎ<ruby>過<rt>とが</rt></ruby>を離るることは、<ruby>貪等<rt>とんとう</rt></ruby>を宗とす」</em></strong>です。</p>
<p>簡単に言葉の意味を解説いたしますと、「心」というのは<ruby>妄心<rt>もうじん</rt></ruby>、あるいは煩悩心とも呼ばれる「仏道を妨げる心」のことです。</p>
<p>「過」というのは字の通り過ちのこと。</p>
<p>「貪等」というのは、貪り、思い通りにしようとする心＝<strong><ruby>貪欲<rt>とんよく</rt></ruby></strong>、それが思い通りにならないと湧き上がる怒り＝<strong><ruby>瞋恚<rt>しんに</rt></ruby></strong>、<br />
その怒りによって我を見失い周りが見えなくなる愚かさ＝<strong><ruby>愚癡<rt>ぐち</rt></ruby></strong>。</p>
<p>この煩悩の根幹とされる貪欲・瞋恚・愚癡の三つの毒とし、縮めて<strong><ruby>貪<rt>とん</rt></ruby>・<ruby>瞋<rt>じん</rt></ruby>・<ruby>癡<rt>ち</rt></ruby></strong>の<strong>三毒</strong>といいます。</p>
<p>「貪等」とはこの三毒のことです。</p>
<p>そして「宗」というのは、物事の核心や大元、根本のことです。</p>
<p>五観の偈は中国から伝わったもので原文が漢文になっているわけですが、この一節は他宗派では<br />
<em>「心を防ぎ<ruby>過貪等<rt>とがとんとう</rt></ruby>を離るることを宗とす」</em><br />
という風に読みます。</p>
<p>実はこちらの読み方の方がはるかに理解がしやすいんです。</p>
<p>「妄心が起こるのを防ぎ過ちや三毒を離れる」</p>
<p>説明されなくてもイメージしやすいですよね。</p>
<p>しかし、道元禅師はあえて「<em>心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす</em>」とお読みになられたので、そのお考えを想像しながら意味を紐解いてみましょう。</p>
<p>前半は「妄心が起こるのを防ぎ過ちを離れることは」という意味で良いでしょう。</p>
<p>問題は後半です。「貪等を宗とす」貪瞋癡の三毒を根本とする、というのはどういうことでしょうか。</p>
<p>先程さらっとお話ししましたが、三毒というのはそれぞれが独立した三つの毒ではありません。</p>
<p>人が生まれながらに持っている物事を思い通りにしようとする貪りの心、これが貪で、それが思い通りにならない時に湧き上がるのは怒り、瞋です。</p>
<p>そしてその怒りによって周りが見えなくなり、時には手で、時には言葉で、あるいは心の中で他人を傷つけたり罵ったり憎んだりする働き癡が起こるように、貪から瞋、瞋から癡へと関連しながら起こっていくのが三毒なのです。</p>
<p>そう考えると、貪に振り回されないようにして、瞋・癡へと繋がらないようにすることは、実は「心を防ぎ過を離るること」と同じ構図なのです。</p>
<p>それを踏まえこの一節を訳してみると、このようになります。</p>
<p>「三つには、妄心が起こるのを防ぎ過ちを離れるのは、貪欲を抑えて瞋恚と愚癡を離れることが根本である」</p>
<p>三毒との向き合い方を食事の際に今一度確認をする、非常に重要な心構えと言えるでしょう。</p>
<p>改めて気になるのが、先程お話しした「過貪等」と読まなかった点です。</p>
<p>過ちや三毒を離れる欲を離れると言う方が教えとしてはわかりやすいはずなのに、道元禅師はなぜこのような読み方をされたのか、今日はこの点について考えてみましょう。</p>
<h2>食い意地の記憶</h2>
<p>私は、幼い頃から食べることが大好きで、離乳食の頃には大人の食べているものを見て生唾を飲み、いつの間にかお箸を使うようになっているという、食に対して積極的な子どもだったそうです。</p>
<p>ところが食べることへの探究心が強かった一方で、小学生くらいの頃には、自分の食欲を人に見抜かれることを恥ずかしいと思うようになりました。</p>
<p>当時は肥満児と言われるBMI指数を叩き出していて、その見た目通りに「よく食べるな」「食い意地が張っているな」と思われることを恥ずかしいと思い、友達の家で出された食べ物に手をつけることにとても抵抗がありました。</p>
<p>特にその家の大人がいる前ではそれを強く感じていた記憶があります。</p>
<p>成長するにつれ「よく食べる」ということが悪印象を与えるものではないということや、ご厚意を受け取るということも礼儀であると学び、その感覚は薄れていきました。</p>
<p>しかし、そんな自らの食欲や食い意地と正面から向き合う経験をしたのが、永平寺での修行でした。</p>
<p>通信機器も持てず、娯楽もない、わからないことやできないことだらけの生活の中で、楽しみは食事だけです。</p>
<p>しかしそんな食事ですら、みんなと同じ物を、決まった作法で決まった時間に食べる。</p>
<p>そんな制約の中で、私は何度も自らの醜さと出会うことになりました。</p>
<p>永平寺に上山してから二週間が経つ頃、私は伝道部という参拝者の案内や建物の紹介をする役をいただきました。</p>
<p>それまでは修行僧が初めに入る、鐘を鳴らしたり坐禅堂の管理などをする「<ruby>衆寮<rt>しゅりょう</rt></ruby>」というところにいたのですが、この衆寮からの移動にはとても大きな意味があります。</p>
<p>それは、衆寮で一年目を指導するのは先輩修行僧なのですが、それ以外の部署には永平寺に請われて外部から来られた「役寮」と呼ばれる指導役の和尚さんがいらっしゃいます。</p>
<p>現在私の師匠もその役寮という立場で永平寺にいるように、ほとんど役寮さんがそれぞれに住職を務めているお寺があります。</p>
<p>それはつまり、永平寺では数少ない、外部と行き来する存在である、ということです。</p>
<p>檀務のためにご自身のお寺に帰ったりする役寮さんに修行僧が密かに期待しているものは何だと思いますか？</p>
<p>そう、お土産です。</p>
<p>役寮さんの中には、外出からお戻りの際にお土産として永平寺の外の食べ物を買ってきてくださる方がいらっしゃって、伝道部にいた私にもついにその瞬間がやってきたのです。</p>
<p>「これ、薬石(夕食)の時間にでも食べて」役寮さんがそう言ってくださったのは、ソーセージでした。</p>
<p>いわゆるスーパーで売っている袋に入ったソーセージです。</p>
<p>これを電子レンジで温めて、先輩と同期を合わせた伝道部の修行僧七名全員に行き渡るように均等に分けました。</p>
<p>ソーセージとはいえ久しぶりのお肉。</p>
<p>野菜や大豆では取って代われないその旨みに、その場にいた同期のみんなが震えていました。</p>
<p>ところが食事が終わり片付けをしていると、均等に分けたはずのソーセージが二本残っています。</p>
<p>実はその時、体調が悪く別室で療養していた同期の修行僧が一人いて、その彼の分でした。</p>
<p>しかし、欲に振り回されている時というのはそれが思い出せないものなんです。</p>
<p>片付けをしていた数名が全員、早々に「数え間違えたんだ」という結論に至り、それを分けて食べてしまいました。</p>
<p>それからまもなく、先輩が「別室にいる人に持っていくからソーセージ出して」と部屋に入ってきました。</p>
<p>そこで初めて彼のことを思い出した私他数名は、動きが止まりました。</p>
<p>そして、そこから先輩に「人の分までソーセージを食べた」という、およそ二十二歳とは思えない内容での叱責が始まりました。</p>
<p>合掌をしながら受けるその言葉に、私は自分が情けなくて仕方ありませんでした。</p>
<p>自分の欲に都合のいいように物を考えて、叱られている。</p>
<p>しかもその原因が坐禅にも法要にも関係のない、お土産のソーセージを食べすぎたことであるという事実に、自分の良心や志の弱さを突きつけられた気がしました。</p>
<p>実はこうした出来事はこれに限ったことではありません。</p>
<p>以前お話ししたことがありますが、脚気の症状がひどかった同期に先輩から支給されたココア味のプロテインを盗み食いしようとしてむせて、法衣がプロテインまみれになっているところを見つかったこともありました。</p>
<p>小さい頃にあれほど人に見られたくなかった自分の食欲が醜いほどに溢れてコントロールが利かなくなっていたのです。</p>
<p>私はそんな経験の中で、自分から確実に湧いてくる貪欲の強さを知り、自分がとても汚い人間に思えました。</p>
<h2>欲はあるという前提</h2>
<p>それから二年後、永平寺を後にし、総合研究センターに入所し、食に関する発信をするにあたって、改めて『赴粥飯法』を読んでみると、こんな言葉がありました。</p>
<p>「比坐の盋盂の中を視て嫌心を起こすことを得ず。」</p>
<p>この訳を読んで驚きました。</p>
<p>これは簡単に言うと「隣の人の器を見て羨ましがってはいけない」という意味です。</p>
<p>要するに、道元禅師が説く対象には、隣の人方がおかゆが多いとか、煮物が多いとか、そういう思いを抱く人がいたということでもあります。</p>
<p>他にも、お釈迦様の時代の戒律などを見ても、修行僧たちはいつの時代も食事に対して執着したり欲をかいていたことが窺えたのです。</p>
<p>私はこれを知って、仏教は人には欲があることを前提として説かれていることに気付かされました。</p>
<p>思い返せば、子どもの頃、食欲があることが恥ずかしいと思っていたことも、修行中に自分が欲に振り回される汚い人間だと思ってしまったことも、そもそも考え方が間違っていました。</p>
<p>私の一番の過ちは、自分に欲があることを認めず、貪欲と向き合うことを避けていたことだったのです。</p>
<p>そんな当時の自分を「貪等を宗とす」という言葉から改めて考えてみると、貪そのものは離れたりなくすことができるものではないから、起こる度に抑えて、瞋や癡につながらないように気をつけることが大切であるということがとてもよくわかります。</p>
<p>そもそもお釈迦様は、人間はお腹が空けば食欲が湧き、欲しいものがあれば手に入れたいと思ってしまうという、そんな不完全さを前提とし、欲の存在を否定せず、きちんと向き合い、振り回されないための道を説かれています。</p>
<p>これまでの「一つには〜」と「二つには〜」は目の前にした食事と、それを目の前にした自分のこれまでを振り返るものであったのに対し、今回の「三つには〜」は私たちが食事をする最中の心構えを説いています。</p>
<p>食事という、欲と隣り合わせな営みの中で、自身の欲と向き合い、自身がどうあるべきかを考えることに、食事を修行とする所以があるのではないでしょうか。<br />
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		<item>
		<title>法話「自分は食べるに値するのか？」by渡辺秀憲（2023/9/27禅活しょくどうにて）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[禅活-zenkatsu-]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 11 Jan 2024 15:00:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[食]]></category>
		<category><![CDATA[こまきしょくどう]]></category>
		<category><![CDATA[禅活しょくどう]]></category>
		<category><![CDATA[食作法]]></category>
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					<description><![CDATA[毎月開催している精進料理&#38;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、 現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。 今回は2023年9月27日の回で渡辺秀憲さんがお話しした法話です。 法話「自分は食べるに値するのか？」…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span>毎月開催している精進料理&amp;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、</span><br />
<span>現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。</span></p>
<p>今回は2023年9月27日の回で渡辺秀憲さんがお話しした法話です。</p>
<h2>法話「自分は食べるに値するのか？」</h2>
<p>前回に引き続き、食事を五つの視点から見つめる「五観の偈」をテーマにお話しいたします。</p>
<p>前回は、一つめの視点として、その食事がどのような過程を経て目の前にやってきたかを推し量る、</p>
<p><strong><em>一つには功の多少を計り　彼の来処を量る</em></strong></p>
<p>という一節について、原山さんがお話ししました。</p>
<p>今回は五つのうちの二つ目です。</p>
<p><em><strong>二つには己が徳行の<ruby>全欠<rt>ぜんけつ</rt></ruby>を<ruby>忖<rt>はか</rt></ruby>って供に応ず</strong></em></p>
<p>「全欠」というのは「十全であるか欠けているか」という意味なので、簡単に現代語に訳すと、<br />
<strong>「二つには、自らの徳行が足りたものであるか欠けているかを振り返り、食事の供養を受ける」<br />
</strong>ということになります。</p>
<p>ここで難しいのが「徳行」です。</p>
<p>「徳」というのは簡単に言うと「プラスになるもの」とでもいうような、非常に広い意味があります。</p>
<p>そのため、人の道なら「道徳」、美しさや矜持を保つことは「美徳」、<br />
信仰の功労には「功徳」といった、それぞれ徳があるのです。</p>
<p>では徳行とは何を指すかといいますと、それは「仏道の上で徳のある行い」ということになります。</p>
<p>つまり、仏道を生きる自らの行いに十分な徳が伴っていたかを振り返るのが、この一節なのです。</p>
<p>そしてこの一節は、前回原山さんがお話しした「一つには〜」と対になっていると考えることができます。</p>
<p>今目の前にある食事は、計り知れないほどの人や環境や食材とのご縁があってここに来たことを確認するのが<br />
「一つには功の多少を計り　彼の来処を量る」という言葉です。</p>
<p>一方で、それを食べる自分の行いはどうだろうか？と自を省みるのが、「己が徳行の全欠と忖って供に応ず」ということなのです。</p>
<p>皆さん、これはすごく厳しい言葉だと思いませんか？私はそう思います。</p>
<p>自分の行いが目の前の食事に見合っているか？なんて考えたらなかなか自信をもって「はい」とは言えないような気がしてしまいます。</p>
<h2>修行中の経験</h2>
<p>永平寺での修行中、私はあまり優秀な修行僧ではありませんでした。</p>
<p>まず、曹洞宗の修行の要である坐禅が好きではなかったんです。</p>
<p>仏教や曹洞宗について何も知らないまま上山したため、坐禅の意義や魅力なんてわからないから全くモチベーションが上がらない。</p>
<p>坐禅をするたびに眠ってしまって、仲間や先輩に起こされるのが日常茶飯事でした。</p>
<p>さらには坐禅以外の、与えられた役のお務めも自信が持てませんでした。</p>
<p>今でも忘れられないのは、物品やお金を管理する役を任されたときです。</p>
<p>永平寺にお参りされたことがある方はいらっしゃいますか？</p>
<p>ある方はご存じかもしれませんが、永平寺には参拝者の方へ屋根瓦を補修するための寄付を募るカウンターがあります。</p>
<p>そのカウンターに一日立って、参拝時間が終わるとお金を数えて、金庫を管理している従業員さんにお渡しするというのが当時の私の務めの一つでした。</p>
<p>私はお金を数えるということが苦手でした。</p>
<p>指で弾くようにするお札の数え方などはここで初めて習ったくらいで、手元がおぼつかなかったことを覚えています。</p>
<p>カウンターの裏の事務所でお金を数えるのですが、そそっかしい私は小銭をよく床に落とすのです。</p>
<p>横で指導してくれる先輩や、事務所に詰めている従業員さんが呆れて、だんだん冷たくなっていった視線が忘れられません。</p>
<p>坐禅も一生懸命にやっているとはいえず、普段の務めでも周囲の足を引っ張っている。</p>
<p>自分の修行生活の惨めさに落胆していましたが、それでもおなかは減るんですよね。</p>
<p>むしろ私の場合、抱えたストレスを食べて発散しようとする傾向があって、おかわりのできるご飯を山盛りにしたり、余っているおかずをもらいに行ったりと、相当に食い意地が張っていました。</p>
<p>当時は食事だけが楽しみであった一方、そんな自分に嫌気がさしていました。</p>
<p>本当は自分に、このご飯を食べる資格などないのではないか、と心のどこかで感じている。</p>
<p>でもそれを考えるとストレスになるから、さらに食い意地が張る。</p>
<p>抜け出せない悪循環に陥っていました。</p>
<h2>実家のお寺との間で</h2>
<p>また、今年の六月にも大きな出来事がありました。</p>
<p>お寺の留守番などをしてくれていた、父方の祖母が倒れたのです。</p>
<p>二度の入院を経て、つい先日お寺に要介護者として帰ってきました。</p>
<p>幸い認知機能には障害が残らず、言葉や思考は入院前と同じくはっきりしているのですが、歩行器なしでは歩くことができなくなってしまいました。</p>
<p>今は師匠が主に祖母の介護をしつつ、母と二人でお寺の務めを担っている状態です。</p>
<p>私は現在、福島にあるお寺のことを家族に任せて東京に勉強しに来ている立場です。</p>
<p>来年春まではカリキュラムが残っていて、お盆やお彼岸などのでないと、なかなかお寺に帰ることはできません。</p>
<p>祖母が倒れたあと、お寺のことや祖母を迎える準備を手伝うことができず、無力さを感じました。</p>
<p>祖母が倒れるのがあと半年後だったら…。</p>
<p>そもそも、自分が東京に来ていなければ…などとあれこれ考えてしまいます。</p>
<p>生まれ育ち、修行後も東京へ送り出してくれたお寺が大変な時に何もできない自分の現状を考えると、それこそ自分には徳行のかけらもないように思えて、とても大きな負い目を感じています。</p>
<p>そのせいか最近両親と電話した時、自分の口からこんな言葉が口をついて出てきました。</p>
<p>「こんな時にそっちにいられなくてごめんね。東京に行かなければもっと二人が楽になったよね」</p>
<p>そういうと、二人はそれぞれ異口同音にこう言ってくれるのです。</p>
<p>「それは違う。こうなることだって覚悟して送り出している。お前は今の自分のやるべきことに集中しなさい」</p>
<p>こういわれて、改めて自分の今の生活がいかに両親に支えられているか、いかに自分が恵まれているかを思い知らされました。</p>
<p>正直「今自分はこの生活をしていていいのか、このご飯を食べるに値するのか」という考えを捨てられたわけではありません。</p>
<p>でも、二人がこう言ってくれている以上、自分の勉強や、禅活しょくどうでの自分のやるべきことを頑張らなければならないなと思うようになりました。</p>
<h2>至らなさを背負って</h2>
<p><em><strong>二つには己が徳行の　全欠と忖って供に応ず</strong></em></p>
<p>お釈迦様の時代から、仏教では至らない点があったらご飯抜き！というような罰はなく、それは永平寺を開かれた道元禅師にも通じています。</p>
<p>つまり、徳行に欠けていた、至らなかったからといってご飯を食べないというわけではないのです。</p>
<p>それなのに自分を振り返ることに何の意味があるのでしょうか。</p>
<p>仏教では、自らの教えを省み、反省する「懺悔」というものを大切にしています。</p>
<p>過ちを犯したならばなぜそれをしてしまったのか、どのような心理がそうさせてしまったのか、それをしっかりと振り返り、同じことを繰り返さないようにと肝に銘じます。</p>
<p>余程道を外れたことをしない限り、至らないところがあったからあなたは仏道脱落です、というようなことはありません。</p>
<p>逆に、優れた行いをしたからといって、それを鼻にかけて慢心することも戒められます。</p>
<p>ここには、卑下せず慢心せずに自らの行いを見つめて歩んでいくという非常に重要な心構えがあるのです。</p>
<p>修行道場にいた頃の私は、振り返ると「自分はこのご飯を食べる資格はないな」と自分を卑下して、そこで止まっていたように思えます。</p>
<p>自分はこのご飯を食べるに見合ったことをしていないなと思ったときに、じゃあ自分の修行態度を見直そう、役目をしっかり果たせるようにしようと考えるべきでした。</p>
<p>祖母が倒れてからのことでもそうです。</p>
<p>自分が役に立てていないことに後ろめたさを感じて目の前のことをおざなりにするのではなく、今ここで為すべきことを為そうと努めるべきだったのです。</p>
<p>祖母が倒れる前だって、私は両親や祖母にささえられて生きてきました。</p>
<p>自分はたくさんの縁に支えられながら生きていると改めて気づかされ、自身の至らなさや不甲斐なさを感じたのなら、今ここから、目の間にある務めをしっかりと果たすことが必要だったのです。</p>
<p>食べるということは生きることです。</p>
<p>多くのご縁が紡がれた食事に相対する自分の生き方はどうであったか、それを振り返る。</p>
<p>そしてそれが足りていたなら慢心することなく、足りなかったなら精進することを誓って、そうして食事をいただく。</p>
<p>「己が徳行の全欠と忖って供に応ず」</p>
<p>とは、結果や貢献度などの良し悪しで食べて良いか悪いかを判断するのではなく、客観的に自らを振り返って、ここからまた生きていくことを確認する言葉なのではないかと、私は捉えています。</p>
<p>自分はこの食事を食べるに値しないんじゃないか、どうせ自分なんて、と考えてしまうことはあると思います。</p>
<p>自分は食事に見合う行動をしている、できていると自信を持って言える人は果たしているのでしょうか。</p>
<p>だれしも何かしら「こうすればよかった」「今のままでいいのか」という後悔や後ろめたさを持っているものではないでしょうか。</p>
<p>私は、この一節を通して自らを省み、次の行動に活かすことが大切なのだと受け止めています。</p>
<p>食事をする前に、自分のそれまでの行動を振り返って、今目の前にある食事に見合うか考える。</p>
<p>自分が到らなくて卑下してしまうこともあるけれど、その上で自分の目の前のことと向き合い、為すべきことを全うする。</p>
<p>つまり、次の行動を徳行にする。</p>
<p>それこそが、今至らない自分が目の前の食事を頂くことへの責任を果たすことになるのだと思います。</p>
<p>ご清聴ありがとうございました。</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>法話「いただきます、は海を超えて」by原山佑成（2023/8/23禅活しょくどうにて）</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/9576</link>
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		<dc:creator><![CDATA[禅活-zenkatsu-]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 21 Dec 2023 15:00:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[食]]></category>
		<category><![CDATA[五観の偈]]></category>
		<category><![CDATA[禅活しょくどう]]></category>
		<category><![CDATA[食作法]]></category>
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					<description><![CDATA[毎月開催している精進料理&#38;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、 現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。 今回は2023年8月23日の回で原山佑成さんがお話しした法話です。 法話「いただきます、は海を超えて」…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span>毎月開催している精進料理&amp;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、</span><br />
<span>現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。</span></p>
<p>今回は2023年8月23日の回で原山佑成さんがお話しした法話です。</p>
<h2>法話「いただきます、は海を超えて」</h2>
<p>みなさん、改めましてこんばんは。</p>
<p>今回からの法話では、曹洞宗で食事をする前のお唱えの一つ「<ruby>五観<rt>ごかん</rt></ruby>の<ruby>偈<rt>げ</rt></ruby>」をテーマにして、メンバーが順番にお話しいたします。</p>
<p>「五観の偈」は中国の書物で説かれ、道元禅師が著した、『赴粥飯法』の中にも登場する短い詩です。</p>
<p>この短い詩のことをこれを<ruby>偈文<rt>げもん</rt></ruby>といいます。</p>
<p>「五観の偈」は元々口には出さず心で想うものでしたが、今はお唱え事として定着しました。</p>
<p>その内容は、目の前にした食事を五つの視点から見つめるものです。</p>
<p>そうして目の前の食事とそれをいただく自分を省みることで、食事は欲を満たすものではなく修行であることを再確認する、とても大切なお唱えです。</p>
<p>そんな「五観の偈」から、本日は初めの一節についてお話をさせていただきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong><em>一つには功の多少を計はかり　<ruby>彼<rt>か</rt></ruby>の来処を量る。</em></strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「功の多少」とはここまでにどれだけの人の手がかかったか、<br />
「彼の来処」とは、どのようにしてやってきたか、ということです。</p>
<p>つまりこの一節は、目の前の食事がどれだけの命と関わり、どうやって目の前にやってきたかを推し量るというものです。</p>
<p>先程まで私たちの目の前にあった料理にはたくさんの食材が使われていました。</p>
<p>カレーライスには、野菜やお米、カレー粉や出汁、スパイスなど、挙げ始めるとキリがありません。</p>
<p>また、それらの食材の生産者の方々や、加工をされる方々、仕入や販売をする方々、「こまきしょくどう」のスタッフさんなど、こちらも挙げ始めるとキリがないくらいの多くの人たちの手間や苦労、想いが一皿に詰まって運ばれてきます。</p>
<p>ここで重要なのは、たった一度の食事の中に、計り知れないほどの食材や人とのご縁が重なり合って、食べることができているということです。</p>
<p>食べるのが肉でも野菜でも、私たちは計り知れないほどのご縁をいただきながら生きているのです。</p>
<p>一説によると、私たちが一生に行う食事の回数はおよそ八万八千回に及ぶそうです。</p>
<p>一度の食事ですら計り知れないご縁をいただいているのに、それが八万八千回ともなると、いよいよ想像もつかない世界になっていきますが、そんな想像もつかないほどの縁によって私たちは生かされている、ということに思いを馳せることが何より大切です</p>
<p>現代の日本は、飽食の時代ともいうように、身の回りに食べ物が溢れ、お金さえあればいくらでも食べ物が手に入ります。</p>
<p>私自身も、ありがたいことに食べることに苦労したことはなく、修行中ですら一日三食いただくことができました。</p>
<p>そんな中で、つい食べるということが当たり前な営みに思えてしまう瞬間もありますが、先日そんな自分を戒める経験をしました。</p>
<h2>ハワイ研修での経験</h2>
<p>先月7月21日〜28日にかけて、私は生まれて初めて海外に行きました。</p>
<p>その行き先はハワイ。</p>
<p>新婚旅行で、と言いたいところですが、総合研究センターの研修としてのハワイ旅行でした。</p>
<p>実はハワイには現在曹洞宗のお寺が九ヶ寺あり、今回ハワイを訪れたのは曹洞宗の海外開教120年記念にあたって、ハワイの曹洞宗寺院がどのような活動をしているのか、またハワイで曹洞宗や仏教がどのように受け入れられているのかを調査する目的で、一週間ほど滞在しました。</p>
<p>さて、ここまで、観光目的ではないことを皆さんにお伝えするために慎重に言葉を選んでお話ししましたが、研修といえども私は内心ハワイに行けることを凄く楽しみしていました。</p>
<p>初の海外旅行だったうえ、澄み切った綺麗な海と、ダイアモンドヘッドを代表とする雄大な自然。</p>
<p>人も温かい南国リゾートのハワイを想像するするなという方が酷というものです。</p>
<p>しかし、そんな私のハワイ旅行は、想像したものとは違うものになりました。</p>
<p>それは、研修中でハワイの日系人の歴史と、想像を絶する努力を知ることになったからです。</p>
<p>先ほどもお伝えしましたが、ハワイには曹洞宗をはじめとして多くの日本の仏教寺院が存在します。</p>
<p>その理由としては、かつてハワイには多くの日本人が移民した歴史があります。</p>
<p>明治元年に百五十人人ほどの日本人が日本からハワイの地に渡りました。</p>
<p>その後も六十年の間に二〇万人以上の日本人がハワイに移住しました。</p>
<p>その理由は、サトウキビ畑での労働でした。</p>
<p>当初は日本からハワイに渡って労働し、大金を稼いで日本に戻ってくる、いわば出稼ぎのような感覚だったと言われています。</p>
<p>しかしその実態は異なり、実際は奴隷のような扱いを受けていたそうで、現地では厳しい労働環境のもと、安い賃金で強制的な労働を強いられていたのです。</p>
<p>当然生活は貧しかったため、食べられるものは限られていました。</p>
<p>それでも日本からの移民の方たちは必死に労働をして、少しずつハワイでの地位を築いていったのです。</p>
<p>そして、さとうきび畑で労働をする多くの日本人のために、日本から宗教者が派遣されることになりました。</p>
<p>ハワイで最初の曹洞宗寺院が創設されたのは一九〇三年のことで、今から百二十年前のことです。</p>
<p>当然、曹洞宗以外の宗派も続々とハワイでの布教活動を進め、お寺はハワイで厳しい労働に励む人々の心の支えになっていました。</p>
<p>そんな中で起こったのが太平洋戦争の火種ともなった、真珠湾攻撃です。</p>
<p>当時の日本軍はアメリカへの先制攻撃として、真珠湾（パールハーバー）に存在したアメリカ海軍の基地に攻撃を仕掛け、その結果として真珠湾では多くの犠牲者が出ました。</p>
<p>当然その影響はハワイのサトウキビ畑で労働をしていた日系人にも大きな影響をもたらしました。</p>
<p>当時ハワイに在住していた日本人宗教者や、指導者と呼ばれる一部の人たちは、強制収容所に収容されてしまいます。</p>
<p>また、ハワイの日本人や日系人は母国である日本を敵国としなくてはならず、自分の故郷への思いを殺しながらアメリカに従軍しました。</p>
<p>結果として日系人を主として編成された部隊が戦争で大きな成果を挙げたことにより、ハワイでの日系移民の地位は確固たるものとなりました。</p>
<p>最も代表的な人物としては、現在ホノルル空港の名前にもなっている、ダニエル・ケン・イノウエさんです。</p>
<p>ダニエルさんは日本名だと、井上健さんという名前です。</p>
<p>井上さんは日系二世でありながら、第二次世界大戦中はアメリカ軍に従軍し、戦闘によって右腕を失いながらも勝利に貢献し、戦後はアメリカの上院議員にもなった人物です。</p>
<p>イノウエさんを代表とする日系人たちは戦争後もハワイの地に留まり、それぞれが事業で成功するなど多くの功績を残しました。</p>
<p>現在ハワイで日本語が通じる場所が多いのは、多くの日系人たちの活躍によるものなのです。</p>
<p>ハワイでの研修期間中、現地では多くの日本の文化や風習に触れることがありました。</p>
<p>その一つが盆踊りです。</p>
<p>現在の日本では大々的に行なっている場所は少なくなった印象を受けますが、ハワイの盆踊りは活気があり、白熱していました。</p>
<p>老若男女が櫓を中心として円になり、一体となった様子に、私は盆踊りのなんたるかを教わったような気分でした。</p>
<p>特に「福島音頭」という曲が印象的で、「福島音頭」の演奏が始まると、それまで見学していた人たちが一斉に櫓の周りに集まり、二重・三重の円になって熱気を帯びて踊っていました。</p>
<h2>ハワイで出会った「いただきます」</h2>
<p>そして、私が現地で感動したことがもう一つあります。</p>
<p>それは私がジッピーズというハワイでは有名なファミリーレストランで食事をしていた時のことです。</p>
<p>店内にいた日本人は私を含めて研修に同行した二人の僧侶だけ。</p>
<p>他にもたくさんお客さんはいたのですが、みなさん現地の人たちでした。</p>
<p>ふと私が他のお客さんのテーブルを見ると、若い女性の元に料理が運ばれてきたところでした。</p>
<p>どんなものを注文したのだろうと横目で見てみると、そこには大きくて分厚いステーキが三枚も重なっており、アメリカの人たちの一食分の食事量に驚きながら、少しの間眺めてしまいました。</p>
<p>そして次の瞬間、驚くべきう光景を目にしました。</p>
<p>その方が片言の日本語で「いただきます」と言ってから食事を始めたのです。</p>
<p>私はそれまで、食事の前に「いただきます」と言う文化は日本にしかないと思っていました。</p>
<p>しかし、明らかに日本人とは違う欧米の若い女性が、手を合わせて「いただきます」と言っていたのです。</p>
<p>日本に旅行に来た方が言うことはあっても、まさか海外で聞くとは思いませんでした。</p>
<p>その女性がどのような経緯で「いただきます」を知ったのかは分かりません。</p>
<p>もしかすると、意味を知らない可能性もあります。</p>
<p>しかしながら、移住後の苦労や戦争の中で満足に食事をすることができなかった歴史の上に今があることを思えば、不思議なことではないのかも知れません。</p>
<p>現在でもハワイには、日系の方達が多く住んでいます。</p>
<p>その方達は自分のルーツが日本にあることを誇りに持って、日本語学校に通い、日本の文化を大切にしているそうです。</p>
<p>おそらくその方達のご先祖さまは、サトウキビ畑で苦労をしていたのだろうと思います。</p>
<p>貧しい生活の中で、食事が出来ることのありがたさを噛み締めながら「いただきます」と手を合わせていたのではないでしょうか。</p>
<p>それは、決して当たり前ではない一食を目の前にしての心の底からの営みであったはずです。</p>
<p>そしてその心の在りようが日系人のみならず現地で広く伝わっていったのかもしれません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>はじめにご紹介した「五観の偈」の最初の一節。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong><em>一つには功の多少を計はかり　彼の来処を量る。</em></strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今、目の前にある食事に込められた計り知れないご縁をいただくということに対して、私は頭では分かっていても心の底から思いを馳せることはできていなかったかもしれません。</p>
<p>貧しさを知らずにここまで生きてこれたことも先人たちが紡いでくれたご縁によるものです。</p>
<p>一度の食事、一皿の料理の中には今日に至るまでの歴史すらも込められていることを、私はハワイで聞いた「いただきます」に教えてもらったような気がします。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/12/LINE_ALBUM_禅活しょくどう8月_231221_2-min-225x300.jpeg" alt="" width="225" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-9577" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/12/LINE_ALBUM_禅活しょくどう8月_231221_2-min-225x300.jpeg 225w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/12/LINE_ALBUM_禅活しょくどう8月_231221_2-min-768x1024.jpeg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/12/LINE_ALBUM_禅活しょくどう8月_231221_2-min.jpeg 1109w" sizes="(max-width: 225px) 100vw, 225px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span> </span></p>
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		<item>
		<title>法話「言っといてくれない？」by渡辺秀憲（2023/7/19禅活しょくどうにて）</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/9298</link>
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		<dc:creator><![CDATA[禅活-zenkatsu-]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 30 Sep 2023 15:00:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[禅活しょくどう]]></category>
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					<description><![CDATA[毎月開催している精進料理&#38;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、 現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。 今回は2023年7月19日の回で渡辺秀しゅう憲けんさんがお話しした法話です。 法話「言っといてくれない…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span>毎月開催している精進料理&amp;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、</span><br />
<span>現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。</span></p>
<p>今回は2023年7月19日の回で渡辺<ruby>秀<rt>しゅう</rt></ruby><ruby>憲<rt>けん</rt></ruby>さんがお話しした法話です。</p>
<h2>法話「言っといてくれない？」</h2>
<p>改めまして、こんばんは。</p>
<p>本日のお話を担当させていただきます渡辺秀憲です。よろしくお願いいたします。</p>
<p>前回、前々回に引き続き、「三心」をテーマにしたお話をしたいと思います。</p>
<p>「喜心」「老心」に続いて、今回は三心の三つ目「大心」についてです。</p>
<p>今回初めてのご参加の方もいらっしゃるということで、<br />
そもそも三心とは、というところからお話しさせていただきます。</p>
<p>福井県にある曹洞宗の大本山永平寺を開かれた道元禅師という方の書物に『典座教訓』というものがあります。</p>
<p>修行道場には食事の一切を司る「典座」というお役目があります。</p>
<p>『典座教訓』はその典座のお役目を担う者への、取り組み方や心構えを示した書物です。</p>
<p>三心はこの書物で道元禅師が示された言葉です。</p>
<p>前々回西田さんもお話ししましたが、三心にはこんな但し書きがあります。</p>
<blockquote><p>凡そ諸の知事頭首，及び當職作事作務の時節，喜心，老心，大心を保持すべき者なり。</p></blockquote>
<p>これは、典座のみならず、修行道場で役にあたる者は喜心、老心、大心の三心を忘れてはならない<br />
ということであり、修行そのものの在り方に関する重要な教えなのです。</p>
<p>そこで改めて理解を深めようということで、西田さん、原山さん、私それぞれが三心を一つずつ担当し、<br />
今回は私が三つめの心、大心についてお話しさせていただきます。</p>
<p>前回、前々回のお話は、禅活のブログに掲載しておりますので、そちらをご覧ください。</p>
<div class="sc_getpost"><a class="clearfix" href="https://zenkatsu.site/archives/9079" ><div class="sc_getpost_thumb post-box-thumbnail__wrap"><img src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/06/ブログサムネしんこう-min-150x150.jpg" width="150" height="150" alt="法話「言っといてくれない？」by渡辺秀憲（2023/7/19禅活しょくどうにて）"></div><div class="title">法話「喜悦の心の在り処」(2023/5/31禅活しょくどうにて)</div><div class="date">2023.6.2</div><div class="substr">毎月開催している精進料理&amp;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、 現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。 今回は私西田が『典座教訓』の「喜心」についてお話しした内容を掲載いたします。 本編 さて、ここまでいす坐禅と食事作法を通して、カジュアルな環境ながら曹洞宗の食の教...</div></a></div>
<h2>大心とは</h2>
<p>さて、それでは今回のテーマである大心についてですが、道元禅師はこのよう説かれています。</p>
<blockquote><p>所謂大心とは，其の心を大山にし，其の心を大海にす。偏無く黨無き心なり。</p></blockquote>
<p>意味としては「大心とは、心を大きな山のように、広大な海のようにすること。偏りやおもねりのない心だ」となります。</p>
<p>山はひとところにどっしりと構え、風や雨雪の量などの好き嫌いで場所を移したりしません。</p>
<p>海は流れ込む水がきれいだとか汚れているといった好き嫌いをしません。</p>
<p>この山や海のように、自分の好き嫌いや偏見で作務の態度を変えるようなことをしてはならない、と道元禅師はお示しなのです。</p>
<p>例えば典座は修行道場の食を司るその役割上、修行生活の生命線になります。</p>
<p>食材の在庫はどれくらいあって、それで修行僧をどれだけ食べさせていくことができるのか。</p>
<p>高級な食材があるから今日は気合が入るぞとか、お客さんがいるから頑張ろうとか、<br />
典座の好き嫌いや気分で姿勢が変わっていては、道場の維持は立ち行かなくなります。</p>
<p>食材の状態や特性に合わせて無駄なく生かし切れるよう、<br />
あるいは人からの評価を気にして左右されるようなことなく、<br />
その時その時の最適な判断を下すことが求められるのです。</p>
<h2>修行中の記憶と気づき</h2>
<p>今回こうして大心という教えを紐解いてみて、私は非常に後悔しているできごとを思い出しました。</p>
<p>それは私が、大本山永平寺での修行生活が３年目を迎えた時のことです。</p>
<p>先ほど触れたように、修行道場には様々な役があり、それを割り当てられて努めます。</p>
<p>そしてその役目ごとに、寮舎という部署になっていて、法要や坐禅の時以外はそこで生活をします。</p>
<p>当時私がいただいた役は「<ruby>傘松会<rt>さんしょうかい</rt></ruby>」という寮舎の寮長でした。</p>
<p>傘に松と書く傘松は永平寺の機関紙で、この「傘松」を編集・発行する部署が「傘松会」です。</p>
<p>「傘松」には毎月の永平寺の様子を収めた写真や、修行僧の随筆などを掲載しています。</p>
<p>その写真の撮影や原稿の校正などの、編集作業が傘松会の主な役割です。</p>
<p>永平寺が公的に出している刊行物ですので、間違いの許されない、大変責任の重い役といえるでしょう。</p>
<p>そして、そんな傘松会のお役をいただいたのは私が三年目の年で、<br />
その部署の修行僧をまとめる「寮長」という立場での配役でした。</p>
<p>役寮という指導役の和尚さんが一人おられて、修行僧は寮長の私と、一年目の修行僧が二人いました。</p>
<p>私は寮長になるのは初めてで、永平寺に上山してはじめて一年目の修行僧のまとめ役となったのです。</p>
<p>このお役をいただいた時、私は心に決めていたことがありました。</p>
<p>それは、なるべく一年目の修行僧を叱らず、コミュニケーションを取りやすい空気を作っていこう、ということです。</p>
<p>実は私は傘松会自体は一年目の時に経験しており、その経験があっての寮長という配役でした。</p>
<p>一年目の時の傘松会では、とにかくよく𠮟られた記憶があります。</p>
<p>その役で必要な作業のことことは、先に役に当たっている同期から引き継ぐ形で教わります。</p>
<p>そのため、写真撮影に必要な一眼レフの使い方や法要を撮影する際の注意点は同期の修行僧から教わるのですが、<br />
一年目というのはみんな余裕がなく、なかなか懇切丁寧に、とはいきません。</p>
<p>そうして法要の本番を迎えると、カメラの使い方が違う、撮影の注意点がわかっていない、<br />
時には同期から教わったことが違っていて先輩から叱られることすらありました。</p>
<p>しかし、納得がいかない、注意の内容が理解できないとしても、<br />
先輩に聞き返したり反論することはできないという暗黙の了解のようなものがありました。</p>
<p>そんな状況にあって、私は</p>
<p>「もう先輩が最初から全部教えてくれればいいじゃないか。全部先輩に聞ければすぐ解決するのに。」<br />
いつもそう思いながら日々を過ごしてきたことを覚えております。</p>
<p>また、寮長がずっと怒っていたり、不機嫌だったりして意思疎通がうまくいかないことも多々ありました。</p>
<p>また、先輩が怒っていれば、後輩は委縮して、目の前のことがうまくこなせなくなるものです。</p>
<p>私は特に先輩の目を気にしやすく、怒らせないようにと思うほど自分の仕事がうまくいかず、<br />
結果的にはさらに怒らせてしまったことがよくありました。</p>
<p>もちろん先輩の中には優しい方もいましたが、<br />
私は後輩を萎縮させるような態度を取る寮長の在り方には納得ができませんでした。</p>
<p>そこで、傘松会で寮長になるにあたって、自分がやるからには後輩が聞きやすい環境を目指そう、<br />
コミュニケーションを取りやすいよう、あまり怒らないようにしよう。</p>
<p>修行道場の体育会系な環境に、一人反旗を翻すような気持で臨んだのでした。</p>
<p>そんな心持ちで私がカメラの使い方を説明すると、<br />
「先輩にこんなに丁寧に説明されたことないです」と一年目の二人は感動してくれました。</p>
<p>二人の僧侶としての作法やお役目のやり方に問題があれば、<br />
怒るのではなく何がいけないのかを理解できるよう説明する。</p>
<p>部署の空気もよく、二人はわからないことがあれば私に聞きに来るようになりました。</p>
<p>当初はそれでうまくいっていたように思いました。</p>
<p>ひと月ほど経つと、だんだん二人それぞれの性格がわかってきました。</p>
<p>一人はまじめで、普段の生活もお役目の仕事も完璧にこなそうとするA君。</p>
<p>もう一人はひょうきんで、見つからない程度に手を抜こうとするＢ君。</p>
<p>Ｂ君は私が怒らないタイプだと知ると、段々と粗が見え始めました。</p>
<p>写真撮影をすっぽかしたり、坐禅に行くべき時間に行っていなかったりということが分かったのです。</p>
<p>私もだんだんＢ君に注意をすることが増えました。</p>
<p>しかし、日を増すごとに<span>B</span>君の態度は、修行僧としてふさわしくないものになっていきます。</p>
<p>でもこれ以上私がＢ君に注意したら、傘松会の空気が今より悪くなるのではないだろうか。</p>
<p>悩んだ私は、気づいたことをＡ君に指摘してもらうことにしました。</p>
<p>「Ａ君、Ｂ君にさ、今の修行態度よくないよって、言ってくれる？僕が言うと角が立ちそうだからさ」</p>
<p>まじめで責任感の強いＡ君も、Ｂ君に思うところがあったのでしょう。</p>
<p>「やっぱりあれよくないですよね。わかりました。言っておきます」</p>
<p>と承諾してくれました。</p>
<p>Ａ君の注意が効いたのか、翌日はＢ君の態度が少し良くなっているように見えました。</p>
<p>同期に注意されると効果があるのか。</p>
<p>そう味を占めた私は、またＢ君の態度が目に付いたり、<br />
失敗が増えたりするたびにＡ君に注意してもらうことにしました。</p>
<p>そうして傘松会の空気は悪くはない、自分は寮長としてよくやっているほうだと思えるようになっていきました。</p>
<p>そんなある日、私の同期が心配そうに声をかけてきました。</p>
<p>「傘松会、大丈夫か？」</p>
<p>「大丈夫って何が？」</p>
<p>「お前の後輩二人、永平寺で一番仲悪いって評判じゃん」</p>
<p>寝耳に水でした。</p>
<p>寮長の私と二人は寝る部屋が別なのですが、聞くところによれば、<br />
一日の作業が終わってから寝るまでの休憩時間、今やその二人は会話がゼロ。</p>
<p>編集で必要なやりとり以外ではお互いに不干渉の関係になってしまったというのです。</p>
<p>しかもそのことは、永平寺の中でもかなり有名で、知らぬは私ばかりでした。</p>
<p>それまでは、三人で編集作業をしているときも、<br />
二人は和気あいあいと務めを果たしていると思っていまいしたが、改めて二人を見ていると、<br />
会話をするのは私が話を振ったときだけで、<br />
Ａ君とＢ君の間にあるのは事務的なやりとりだけだということに気付きました。</p>
<p>もちろん、二人の性格的な相性というものはあったかもしれませんが、<br />
私がＡ君にＢ君を注意させたことが無関係だとはどうしても思えませんでした。</p>
<p>先ほど、大心とは偏見や自分への評価に左右されずその時その時で最適な判断を下すことだとお話ししました。</p>
<p>私は傘松会の空気を悪くしないためにとＡ君にＢ君への注意をお願いしました。</p>
<p>でもそれは私が自分の理想を叶えるための一人よがりで、<br />
結局二人の関係にとって悪い方向に作用しました。</p>
<p>もっと正直に言えば、この時の私は、自分が悪者になることを避けていただけだったのかもしれません。</p>
<p>当時の私に必要だったのは、自分がどんな寮舎にしたいかという理想や、<br />
優しい寮長になろうとすることではなく、自分の言葉や態度が二人にどんな影響を与えるかを見極め、<br />
必要があれば自分が嫌われ役を買ってでるような姿勢だったのです。</p>
<p>「偏なく党なき心」と道元禅師が説かれた大心は、まさに当時の私に欠けていたものでした。</p>
<p>結局二人の仲は修復されることはなく、ひと月後に別々の役に当たって傘松会をあとにしました。</p>
<p>私は永平寺を下りてからも、あの時どうすべきだったのだろうかと、<br />
このことを思い出しては自問自答してきました。</p>
<p>そこで今回改めて『典座教訓』を読んだ時、当時の私が自分の視点に囚われ、</p>
<p>自分の評価を気にして、大心を欠いていたことに原因があったことに、ようやく気づくことができました。</p>
<p>この経験を忘れずに、今目の前の相手のために、<br />
どんな言葉をかけてあげるべきなのか、何をすべきなのか、どう伝えればいいのか。</p>
<p>わが身可愛さとか、好き嫌いとか、そんな偏りやおもねりに囚われることのないよう、常に考えていきたいと思います。</p>
<p>ご清聴ありがとうございました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/07/IMG_7428-257x300.jpeg" alt="" width="257" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-9232" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/07/IMG_7428-257x300.jpeg 257w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/07/IMG_7428-878x1024.jpeg 878w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/07/IMG_7428-768x896.jpeg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/07/IMG_7428.jpeg 1186w" sizes="(max-width: 257px) 100vw, 257px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>法話「母からもらった老心」by原山佑成（2023/6/21禅活しょくどうにて）</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/9305</link>
					<comments>https://zenkatsu.site/archives/9305#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[禅活-zenkatsu-]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 31 Aug 2023 15:00:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[禅活のイベント]]></category>
		<category><![CDATA[典座]]></category>
		<category><![CDATA[永平寺]]></category>
		<category><![CDATA[禅活しょくどう]]></category>
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					<description><![CDATA[毎月開催している精進料理&#38;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、 現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。 今回は原山佑成ゆうせいさんがお話しした法話です。 法話「母からもらった老心」 前回から『典座教訓』の中…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span>毎月開催している精進料理&amp;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、</span><br />
<span>現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。</span></p>
<p>今回は原山<ruby>佑成<rt>ゆうせい</rt></ruby>さんがお話しした法話です。</p>
<h2>法話「母からもらった老心」</h2>
<p>前回から『典座教訓』の中に示されている三つの心「三心」<br />
についてのお話をさせていただいていますが、<br />
今回はその二つめの心、「老心」についてのお話を致します。</p>
<p>『典座教訓』は永平寺を開かれた道元禅師が中国に渡ってご修行された際の経験をもとに、<br />
修行道場の食事を司る「典座」という役職について著された書物です。</p>
<p>ただ、前回西田さんがお話したように、典座の心得を通して<br />
修行道場の「作務」全体について説かれているものでもあります。</p>
<p>中でも三心は、役職に当たった人が持つべき心構えのことです。</p>
<p>本日お話しする「老心」は、</p>
<p>前回西田さんがお話しした「喜心」に続いて、二つ目の心です。</p>
<p>「老心」は老婆心とも言い換えられますが、親が子を想うように、<br />
自分よりも相手を優先して考える切実な想いのことをいいます。</p>
<p>道元禅師は、このような慈しみの心を起こした人こそが、<br />
本当に老心を理解することができるのだと説かれました。</p>
<p>私は、現在結婚もしておらず、子供もいないので、<br />
親が子供を一心に想うような心を抱いたことはありません。</p>
<p>しかし、抱いたことはなくても「老心」を感じたことがあります。</p>
<h2>学生時代の葛藤</h2>
<p>当時大学四年生だった私は、卒業後の進路に悩んでいました。</p>
<p>大学生の頃の私は、音楽の専門学校に通いながら、<br />
駒澤大学の軽音サークルに所属していました。</p>
<p>ぼんやりと音楽で生計を立てたいと思っていましたが、<br />
それは容易なことではないということもわかっていました。</p>
<p>そのため、音楽活動に対しての情熱は徐々に薄れていき、<br />
いわゆる「音楽で食っていく」道は諦め、就職就職活動を始めました。</p>
<p>皆さんの方が私よりもずっとよくご存知かと思いますが、就職活動は簡単ではありませんでした。</p>
<p>まず、自分の長所と短所明確にし、<br />
どんな職業に向いているのかを知るために、適性検査を受けます。</p>
<p>その後、検査の結果をもとに、自分に合った企業や自分の関心のある企業で行われている採用試験に臨みます。</p>
<p>適性検査を受け、自分の短所を知ったことも多少の動揺はしましたが、<br />
それ以上に企業からの不採用の通知が送られて来るたびに、<br />
自分の至らなさを実感する毎日でした。</p>
<p>そんな経験をしていたのは私だけではありません。</p>
<p>大学の友人達も、何度も採用試験を受けては、企業から内定を貰えずにいました。</p>
<p>サークル活動で行っていたバンドの練習のために集まっていても、<br />
話に上がるのはいつも就職活動のこと。</p>
<p>内定を貰えない事に焦りを感じている、このまま内定を貰えなかったらどうすれば良いか分からないなど、<br />
それぞれが就職活動で様々な悩みを抱えていました。</p>
<p>そんな仲間達の話を聞きながら、実は私は<br />
「もし内定を貰えなかったとしても、卒業後に修行に行ってお坊さんになってしまえば大丈夫だろう」<br />
と心の何処かで思っていました。</p>
<p>しかし、私はそんなふうに思ってしまう自分が許せませんでした。</p>
<p>お坊さんになりたくないと思い、自分なりの道を模索してきましたが、<br />
就職活動が上手くいかない現実を前にすると、<br />
都合よくお坊さんという道を逃げ道のようにすがろうとしていることに気付いてしまったからです。</p>
<p>これは八つ当たり以外の何物でもないのですが、<br />
私はそう考えてしまう自分が嫌になると同時に、お坊さんという選択肢が与えられていること、<br />
さらに言えばお寺に生まれたことまで憎むようになっていました。</p>
<p>そんなある日、特に仲の良かった友達の一人からこんな言葉をかけられました。</p>
<p>「ゆうせいは、何のために就活をしているの？<br />
どうせ就活が上手くいかなくてもお坊さんになれば良いのだから、俺たちの苦労は分からないよね」</p>
<p>私はこの時、怒りとも悲しみとも違う複雑な感情になったことを覚えています。</p>
<p>その友達にとって自分は一緒に就職活動を行なっている仲間ではなかったのだ、<br />
という悲しみと、実際に心のどこかで就職活動はやめて、<br />
修行に行く決心をしなくてはならないと心のどこかで思っていたからです。</p>
<p>私はこれきっかけに就職活動をやめ、お坊さんとして生きる人生を決意しました。</p>
<p>それから少し経ち、大学四年生の夏休みになりました。</p>
<p>福井県の大本山永平寺では、毎年八月に九頭竜川という川に灯籠を流す<br />
「永平寺町大灯籠流し」というお祭りの中で施食会という法要をお勤めします。</p>
<p>私が来年から永平寺で修行をするということや、<br />
当時兄が永平寺で修行していたということもあり、<br />
私は母と母方の親戚と一緒に永平寺の参拝を兼ねて、そのお祭りに行きました。</p>
<p>私はそれまでにも何度か永平寺をお参りしたことはあったのですが、<br />
いざ自分がこの場所で修行をすると考えると、憂鬱な気持ちになってしまいました。</p>
<p>更に、施食会のお勤めに参加する永平寺の修行僧と自分を重ねて見てしまい、<br />
一年後には自分もあの人たちと同じことをしているのかと思うと、<br />
憂鬱な気持ちになっていったのです。</p>
<p>永平寺の参拝と施食会を見終えて宿に帰ったあと、<br />
私は膨れ上がった感情を母にぶつけてしまいました。</p>
<p>「自分はなりたくてお坊さんになるわけではない、<br />
生まれてからずっと十字架を背負って生きている気持ちだった」<br />
と伝えると母は何も言うことなく黙って私の話を聞き、最後は涙を流していました。</p>
<p>私は自分の言っていることが見当違いで、ただの八つ当たりであることもわかっていました。</p>
<p>なぜなら母は昔から、お寺の次男として生まれた私に対して<br />
「あんたはお坊さんにならなくても良いんだよ、好きなように生きて良いんだよ」<br />
と言われてきたからです。</p>
<p>しかし、当時の私は感情が昂っていたせいか、謝ることができませんでした。</p>
<p>それからしばらくして、私は母方の祖母からこのような話を聞きました。</p>
<p>かつて私の母はお寺に嫁ぐことを躊躇しており、<br />
それは子供が生まれた時にその子がお坊さん以外の道を選ぶことが出来ないのではないか、<br />
夢をもつこともできないのではないか心配に思ったからだそうです。</p>
<p>私はその話を聞いて重ねて後悔しました。</p>
<p>母は、僧侶である父と結婚するという自分の人生以上に、<br />
まだ見ぬ我が子の将来のことを心配していたのです。</p>
<p>だからこそ、私には「お坊さんにならなくてもいい」といつも言っていたのでしょう。</p>
<p>しかし私はそんな母の気持ちや悩みを知らずに、一方的に感情をぶつけてしまいました。</p>
<p>その後、母は私の気持ちに対しては特に何かを言う事はありませんでした。</p>
<p>私が永平寺に修行に行く日の朝も、ただ「頑張ってきなさい」と言うだけでした。</p>
<p>私はずっと申し訳ないとと思いながらも、結局謝る事はできずに永平寺に向かいました。</p>
<h2>永平寺での出来事</h2>
<p>そして永平寺での修行生活がだんだんと慣れてきた頃、<br />
母が永平寺に来る機会がありました。</p>
<p>永平寺で修行を始まると基本的に実家に帰る事は出来ず、外部に電話をする事もできません。</p>
<p>そのため、修行を始めてから三ヶ月ほどしか経っていませんでしたが、<br />
母親に会えるかもしれないと思っていた私は、とても楽しみにしていました。</p>
<p>しかし、自分の役割の関係でうまく時間が合わず、直接顔を見ることは出来ませんでした。</p>
<p>ただ、指導役の和尚さんの計らいがあってか、永平寺の内線を使って話すことができました。</p>
<p>母の声を久しぶりに聞いた私は、安心感もあったのか泣きそうになるのを必死に堪えながら、<br />
短い時間でしたが母と話す事ができました。</p>
<p>その時に私は母に対して「永平寺に来たことは後悔していないよ」と言いました。</p>
<p>すると母は私に対して、「それなら良かった。頑張りなさいね」と言ってくれました。</p>
<p>私は母からの短い励ましの言葉の中に、深い愛情を感じました。</p>
<p>当然、私が言った言葉を忘れてはいないはずです。</p>
<p>もしかしたら、私に対して罪悪感すら感じさせてしまっていたかもしれません。</p>
<p>しかし、謝ることもできない私の言葉を責めるでもなく「それは良かった」と言ってくれたのです。</p>
<p>『典座教訓』の中で「老心」を説く、こんな一節があります。</p>
<blockquote><p><em>自身の貧富を顧ず、偏に吾が子の長大なることを念ず。</em><br />
<em>自らの寒きを顧ず、自らの熱きを顧ず、子を蔭ひ、子を覆ふ。</em><br />
<em>以て親念切切の至りと爲す。</em></p></blockquote>
<p>この教えは、たとえ自分が貧しく、生活が辛く苦しくても、ひたすらに我が子の成長を願う。</p>
<p>自分が寒さの中にあっても、その寒さを顧みずに自分の子供を暖め、</p>
<p>逆に暑い時には自分の暑さを顧みずに子供に日陰を作る。<br />
これこそが親心の極みである。と言う意味です。</p>
<p>その中でも重要なのは、この「顧みず」という言葉ではないでしょうか。</p>
<p>自分の名誉や自分の得ではなく、この成長や健やかさを願うという心は、<br />
母があの日何も言わず涙を流した姿や、「それは良かった」と言ってくれた声と重なる気がするのです。</p>
<p>自分の名誉や立場を考えていたら、もしかすると母は弁明をしたり、<br />
あるいはその場で怒っていたかもしれません。</p>
<p>しかし、自分の身ではなく私を思ってくれたからこそ、<br />
あの涙とあの声があったのではないかと、今では思うのです。</p>
<p>道元禅師はこのような自らを顧みずに他を想う「老心」をもって、<br />
自分の役と向き合うようにと説かれています。</p>
<p>それは典座調理に限らず、掃除でも接客でも事務仕事にもいえることでしょう。</p>
<p>自分がどう思われるか、どれくらい得をするか、そんな損得勘定のない母の老心を受けて、<br />
私は今皆様の前で僧侶としてお話させていただいています。</p>
<p>母の老心によっていくつもの選択肢を与えてもらったことにより、<br />
その中での出会いや経験、喜びや悲しみがありました。</p>
<p>そしていくつもの悩みの先に、私は僧侶として生きていく道を自分で踏み出すことが出来ました。</p>
<p>あの時の自分の言葉への後悔がなくなることはありませんが、母の「老心」に導かれて歩んでいるこの道を精進していきたいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/06/IMG_6802-225x300.jpeg" alt="" width="225" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-9147" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/06/IMG_6802-225x300.jpeg 225w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/06/IMG_6802-768x1024.jpeg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/06/IMG_6802.jpeg 1109w" sizes="(max-width: 225px) 100vw, 225px" /></p>
<div class="sc_getpost"><a class="clearfix" href="https://zenkatsu.site/archives/9079" ><div class="sc_getpost_thumb post-box-thumbnail__wrap"><img src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/06/ブログサムネしんこう-min-150x150.jpg" width="150" height="150" alt="法話「母からもらった老心」by原山佑成（2023/6/21禅活しょくどうにて）"></div><div class="title">法話「喜悦の心の在り処」(2023/5/31禅活しょくどうにて)</div><div class="date">2023.6.2</div><div class="substr">毎月開催している精進料理&amp;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、 現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。 今回は私西田が『典座教訓』の「喜心」についてお話しした内容を掲載いたします。 本編 さて、ここまでいす坐禅と食事作法を通して、カジュアルな環境ながら曹洞宗の食の教...</div></a></div>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>法話「精進する料理」by原山佑成（2023/3/15禅活しょくどうにて）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[禅活-zenkatsu-]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 13 Jul 2023 15:00:45 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[食]]></category>
		<category><![CDATA[こまきしょくどう]]></category>
		<category><![CDATA[修行]]></category>
		<category><![CDATA[永平寺]]></category>
		<category><![CDATA[禅活しょくどう]]></category>
		<category><![CDATA[食作法]]></category>
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					<description><![CDATA[毎月開催している精進料理&#38;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、 現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。 今回は原山佑成ゆうせいさんがお話しした法話です。 法話「精進する料理」 みなさん初めまして。 西田さん…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span>毎月開催している精進料理&amp;食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、</span><br />
<span>現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。</span></p>
<p>今回は原山<ruby>佑成<rt>ゆうせい</rt></ruby>さんがお話しした法話です。</p>
<h2>法話「精進する料理」</h2>
<p>みなさん初めまして。</p>
<p>西田さん、渡辺さんと共に禅活しょくどうのスタッフとして関わらせいただいております、原山佑成です。</p>
<p>本日は私が修行時代に「食」と向き合うことの大切さに気付かされたお話をいたします。</p>
<p>私は今から6年前の2017年に、福井県にある大本山永平寺に上山しました。</p>
<p>永平寺の修行では修行僧それぞれに辛く感じることがあり、<br />
その内容は千差万別なのですが、私の場合は特に悩まされたのが食事でした。</p>
<p>朝食はお粥とごま塩、梅干しと漬物。</p>
<p>昼食はご飯とお味噌汁とおかずが一品、そこに漬物、夜はおかずが二品に増えます。</p>
<p>品数を聞けばそこまで少ない印象は受けないかもしれませんが、<br />
永平寺で出される食事には肉や魚などの動物性の食材を使われていません。</p>
<p>そのためか、大学を卒業したての私の舌は、<br />
とても味気ない食事に感じられました。</p>
<p>また、食べる量も自分の好きなだけ食べられるわけではありません。</p>
<p>ご飯とお味噌汁は一度だけおかわりが出来るのですが、皆に行き渡るようにし、<br />
なおかつ周りと食べる速さを合わせなくてはならないため、<br />
好きなだけというわけにはいきません。</p>
<p>そのため、私はいつも「もっと食べたい」という気持ちと戦い、物足りなさを感じていました。</p>
<p>そして上山から少し経った頃、私に与えられたのは、<br />
ご宿泊の方々の食事を作る「<ruby>小庫院<rt>しょうくいん</rt></ruby>」という部署での、調理の役でした。</p>
<p>ここで重要なのは、小庫院にはたくさんの食材があり、さらには作って余った分を食べられる、ということです。</p>
<p>仮に、もし仮に、十人分の食事を作るときにうっかり十二人分作ってしまった場合、<br />
余った二人分の食事を粗末にすることはできないので、ありがたくいただきます。</p>
<p>時には余ったご飯を無駄にしないように、とおにぎりにしたものが作務衣のポケットに入ったままになっていて、<br />
ありがたく寝る前に食べていたことや、味見という形で料理を研究していたこともありました。</p>
<p>また、永平寺にいてお肉と同じくらい欲しくなるのが、甘い物でした。</p>
<p>そんな中で、食料庫を点検すると、調味料として氷砂糖が常備されているではありませんか。</p>
<p>万が一品質が落ちていたらご宿泊の方に申し訳がないので、私は毎日味の確認をしていました。</p>
<p>砂糖のはっきりとした甘さは、薄味なことが多い精進料理とは違った、強烈な刺激でした。</p>
<p>そして私はいつの間にか、暇さえあればその氷砂糖を口に入れるようになったのです。</p>
<p>そんな毎日を過ごしていたため、私の体重は大学生の頃よりも重くなっていました。</p>
<p>ここまで冗談交じりにお話ししましたが、<br />
実際は「貪る」という言葉がふさわしいような食べ物を「食い漁る」生活でした。</p>
<p>やがて感覚が麻痺してしまったのか、いくら食べても「もっと食べたい、もっと食べたい」<br />
と欲が止めどなく溢れてくるようになりました。</p>
<p>当然そのような食べ方に食作法も何もありません。</p>
<p>食べ物に感謝をすることもなく、欲に任せて食い漁る、<br />
皆様が想像される修行とはほど遠い生活を送っていたのです。</p>
<p>そんなある日、小庫院の責任者であり、私たちの指導してくださる<ruby>副典座<rt>ふくてんぞ</rt></ruby>にあたる<br />
〝副典〟という役職の和尚さんから私はこんなことを問いかけられました。</p>
<p>「精進料理とはなんでしょうかね？」</p>
<p>私は咄嗟に、「肉や魚を使わない質素な料理のことです」と答えました。</p>
<p>すると副典さんは「もう少しよく考えてみなさい」とおっしゃいます。</p>
<p>次に私が、「一生懸命に頑張って作った料理が精進料理です」と絞り出すと、副典さんは次のようにおっしゃいました。</p>
<p>「精進して作り、そして精進して食べることによって、その料理は精進料理になるのです」</p>
<p>私はハッとさせられました。</p>
<p>当時の私は、役を与えられて食事を作ることは考えていても、<br />
食べることに関しては全く考えていなかったからです。</p>
<p>精進というのは一心に仏道修行に励むことです。</p>
<p>そのため、仏道修行として一生懸命に作った料理は精進料理になると頭では理解はしていました。</p>
<p>しかし、精進して作るだけでなく、精進して食べる人がいることの重要さに、その時気付かされたのです。</p>
<p>次の日の朝、私は僧堂という建物でみんなと一緒に坐禅をしながら、応量器で朝のお粥を食べました。</p>
<p>それまでは量も作法も早さも自由にできない、苦痛な食事でした。</p>
<p>しかし、前日に副典さんから言われた言葉を思い出しながら、<br />
作法に集中してみようと思い、お唱えごとをして、ゆっくりとお粥を味わって食べました。</p>
<p>すると今までに感じたことのない美味しさを感じたのです。</p>
<p>今までは、とにかく急いで、いかにたくさん食べるかしか考えていなかったからなのか、<br />
味などはほとんど意識したことはありませんでした。</p>
<p>しかしその日のお粥はとても温かく、口に入れるとお米の甘みが優しく広がりました。</p>
<p>ゆっくり味わった後に飲み込むと、自分の喉を通り胃に入っていくのがわかります。</p>
<p>そのように一口一口をゆっくり食べていると、<br />
この食事に生かされている自分自身に気づくとともに、お粥をありがたいと思えてきたのです。</p>
<p>道元禅師が食事をする際の心構えについて示された『赴粥飯法』に、このような一節があります。</p>
<blockquote><p><strong>是を以て法は是れ<ruby>食<rt>じき</rt></ruby>、食は是れ法なり。</strong><br />
<strong>是の法は、前仏後仏の<ruby>受用<rt>じゅゆう</rt></ruby>したもう所と為すなり。</strong><br />
<strong>此の食は、<ruby>法喜禅悦<rt>ほうきぜんえつ</rt></ruby>の充足する所なり。</strong></p></blockquote>
<p>&nbsp;</p>
<p>この意味は、</p>
<p><em><strong>食事が修行として正しく実践された時、お釈迦様の教えは食に現れ、食もまた教えとしてそこにある。</strong></em></p>
<p><em><strong>この食と一体となったお釈迦様のみ教えは歴代の仏さまやお祖師さま方が実践し、</strong></em><br />
<em><strong>受け継いでこられたものである。</strong></em></p>
<p><em><strong>そうして目の前にした食事は、仏の教えに触れる喜びや心の安らかさを得る悦びに溢れるものである</strong></em>、というものです。</p>
<p>欲にまかせ、欲を満たすように食べ物を口に運ぶのではなく、<br />
お釈迦様の教えに則って食事をする時、それはただの栄養摂取ではなく、<br />
修行として、覚りとしての食がそこに現れるというのです。</p>
<p>そんなことを知らないかつての私は、ただ自分の食欲を満たすためだけに貪っていました。</p>
<p>しかし、改めて作法に目を向け、ゆっくりとお粥をいただいた時に、<br />
食事によって生かされている自分に気づかされました。</p>
<p>そしてその一口一口が当たり前ではないこと、そのありがたみを感じながら、<br />
ゆっくりと食事をすると、不思議と満たされるものがあったのです。</p>
<p>あの時私は「どのように食べるか」がいかに重要かということに気づかされました。</p>
<p>恥ずかしながら今でも慌ただしく動く東京にいて、せわしない食事をすると、<br />
つい食べ方への意識が薄れてしまうこともあります。</p>
<p>食べたいものを食べたい時に、食べたい分だけ食べることができてしまう今こそ、<br />
あの日の一杯のお粥が気づかせてくれたことを大切にしようと思います。</p>
<p>教えの実践として、精進としての食事にできるか、自分の食欲を満たすためだけのものにしてしまうのか。</p>
<p>その一食を「精進する食事」としての精進料理にできるかどうかは、毎食の自分にかかっているのです。</p>
<p><span> <img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/07/LINE_ALBUM_230713-2-min-225x300.jpeg" alt="" width="225" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-9182" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/07/LINE_ALBUM_230713-2-min-225x300.jpeg 225w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/07/LINE_ALBUM_230713-2-min.jpeg 564w" sizes="(max-width: 225px) 100vw, 225px" /><br />
</span><span>原山佑成</span></p>
<p><span> </span></p>
<p><span> </span></p>
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