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	<title>季節 - 禅活-zenkatsu-</title>
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	<description>禅を活かして、ちょっといい一日を</description>
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		<title>断捨離も間違えると煩悩になる！？仏教的断捨離のススメ</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/2257</link>
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		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 Dec 2019 15:00:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[季節]]></category>
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		<category><![CDATA[掃除]]></category>
		<category><![CDATA[煩悩]]></category>
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					<description><![CDATA[スポンサードリンク いつの間にやらもう12月。 「僧侶が駆け回るほど忙しい」という意味で12月のことを師走というのは有名なお話ですが、禅活メンバーは11月が忙しかったのでようやく一息、といった感じです。 ただし、12月に僧侶が避けて通れない…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>スポンサードリンク</p>
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<p>いつの間にやらもう<strong>12月</strong>。</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>「僧侶が駆け回るほど忙しい」</strong></span>という意味で<strong>12月のことを師走という</strong>のは有名なお話ですが、禅活メンバーは11月が忙しかったのでようやく一息、といった感じです。</p>
<p>ただし、12月に僧侶が避けて通れないイベントが「<span class="sc_marker red"><strong>大掃除</strong></span>」です。</p>
<p>特に私の実家のお寺は<strong>大掃除ガチ勢</strong>なので、<span class="sc_marker red"><strong>一週間くらいかけて本堂からリビングまでを掃除します</strong></span>。</p>
<p>永平寺でも大掃除はしますが、修行中に「<strong>うちの大掃除の方が大変だなあ</strong>」と思った記憶すらあります。</p>
<p>まあ、<strong>永平寺は建物が大きすぎたり、掃除にかけられる時間も限られている</strong>のに比べ、<strong>うちは小さくて、その気になれば全部掃除ができてしまう</strong>、ということではあるのですが…。</p>
<p>さて、そんな大掃除のシーズンになると「<span style="font-size: 14pt; color: #ff0000;"><strong>断捨離</strong></span>」というワードもよく目にするようになります。</p>
<p>いらないものを手放す断捨離は年末に気分転換ができて気持ちがいいですよね。</p>
<p>ただ、断捨離を仏教的に考えると、少し危ない面も持っているように私は感じます。</p>
<p>そこで今回は、<strong>断捨離が煩悩になってしまう可能性と仏教的な断捨離の心構え</strong>についてのお話です。</p>
<h2>そもそも断捨離って何？</h2>
<p>さて、話を進める前に、私自身が断捨離についてよく知らなかったので、その出どころについて少し調べてみました。</p>
<p>すると、元は<strong>ヨーガの行法</strong>である<strong>断行・捨行・離行</strong>にルーツがあるのだとか。</p>
<p>それぞれの内容は</p>
<p><span class="sc_marker red" style="font-size: 14pt;"><strong>・断行：入ってくるいらないものを断つ</strong></span></p>
<p><span class="sc_marker red" style="font-size: 14pt;"><strong>・捨行：持っているいらないものを捨てる</strong></span></p>
<p><span class="sc_marker red" style="font-size: 14pt;"><strong>・離行：物への執着から離れる</strong></span></p>
<p>といったものである様子。（wiki調べ）</p>
<p>なるほど、確かにこれは<strong>執着を離れるという意味では仏教とも近い</strong>ところがあって、なおかつわかりやすいので流行語になるのもわかります。</p>
<p>ただし、<span class="sc_marker blue"><strong>実はここには一つ気をつけなければならない大きな落とし穴があるのです。</strong></span></p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/a1a3b44546d329d73e9380909eff7692_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3831" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/a1a3b44546d329d73e9380909eff7692_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/a1a3b44546d329d73e9380909eff7692_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>「無くしたい」という煩悩</h2>
<p>断捨離のキーワードとなるのは「<strong>いらない</strong>」という、自分に不必要であるという判断です。</p>
<p>たしか、断捨離をする時のチェック項目などもあったと思いますが、断捨離をする人全員がそれを使っているわけではないはず。</p>
<p>物を手放して空っぽになった感覚、整頓された感覚というのは確かに気持ちがいいでしょう。</p>
<p>しかし、断捨離がブームになった時、<strong>家族の物を勝手に捨ててしまう人が現れて問題になったり</strong>しました。</p>
<p>これについては断捨離ブームの火付け役である作家の<strong>やましたひでこ</strong>さんも<span style="font-size: 14pt;"><strong>「<span class="sc_marker y">人の所有物を捨てるのは断捨離ではない</span>」</strong></span>と断言しているそうです。</p>
<p>こうした例を見ると、断捨離に含まれる危ない面が見えてきます。</p>
<h3>二種類のベクトル</h3>
<p>実は<span class="sc_marker red"><strong>人間の煩悩には二種類のベクトル</strong></span>があります。</p>
<p>一つは煩悩としてイメージされやすい、<strong>求める欲望「</strong><strong style="background-color: #ffffff; font-size: 16px;"><span style="color: #ff0000;"><ruby>有愛<rt>うあい</rt></ruby></span>」</strong><span style="font-size: 16px;">です。</span></p>
<p>これは<strong>物や人</strong>といった目に見えるものから、<strong>愛情や名誉</strong>といった目に見えないものまで、<strong>自分の方に求める煩悩</strong>のことです。</p>
<p><strong>喉が渇いた人が水を求めるような様子になぞらえて<span class="sc_marker y">「<ruby>渇愛<rt>かつあい</rt></ruby>」</span></strong>とも言います。</p>
<p>そしてもう一つは、反対方向の<strong>遠ざける欲望</strong>「<strong><span style="color: #0000ff;"><ruby>無有愛<rt>むうあい</rt></ruby></span></strong>」です。</p>
<p>自分の<strong>嫌いな物や人、立場や感情</strong>を遠ざけたい、無くしたいという煩悩のことです。</p>
<p>お釈迦様は王族の出身でしたが、<span style="color: #ff6600;"><strong>王宮での贅沢三昧の暮らしをしていた頃</strong></span>と、<strong><span style="color: #0000ff;">出家をしてあらゆる欲を断った苦行生活</span></strong>をしていた頃を引き合いに出して、<span class="sc_marker blue"><strong>この両極端に近づいてはいけないとおっしゃっています。</strong></span></p>
<p>理由は、<span class="sc_marker y"><strong>帰ってこれなくなるから。</strong></span></p>
<p>物欲のままに物をため込むのも、なんでもかんでも物を無くそうとすることも、<strong>やりすぎてしまえばその両極端となり、なかなか元には戻せなくなってしまうのです。</strong></p>
<p>煩悩についてはこちらの記事で詳しく触れています。</p>
<div class="sc_getpost"><a class="clearfix" href="https://zenkatsu.site/archives/2110" ><div class="sc_getpost_thumb post-box-thumbnail__wrap"><img src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/07/1561601345916_Fotor-min-150x150.jpg" width="150" height="150" alt="断捨離も間違えると煩悩になる！？仏教的断捨離のススメ"></div><div class="title">「アラジン」から学ぶ煩悩のメカニズム</div><div class="date">2019.7.4</div><div class="substr">スポンサードリンク 皆さんは好きなディズニー映画はありますか？ 私はそこまでディズニーに思い入れはないのですが、「アラジン」だけは昔から好きなんです。 ジーニーのキャラクターとかジャファーの悪さとか、ディズニー作品の中でも割と男の子が好む作りになっているのかもしれません。（あくまで個人的に） また最...</div></a></div>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/082f1a9838c327904bacf65d92c61dd5_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3834" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/082f1a9838c327904bacf65d92c61dd5_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/082f1a9838c327904bacf65d92c61dd5_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>無有愛の怖さ</h2>
<p>そして、この断捨離における無有愛の怖さはどこにあるかというと、<strong>自分も他人も気づきにくいという点</strong>です。</p>
<p>欲張りで物を増やすのと違って、物を減らしている分には、自分も他人も良いことをしているように感じてしまいます。</p>
<p>しかし、物を捨てることで得た爽快感や満足感から、<strong>「<span style="color: #0000ff;">物を無くす</span>」ということに執着して行う断捨離</strong>は限りを知らず、いつしか他人の物にまで及び、トラブルとなってしまいます。</p>
<p>そして<strong>トラブルになって周りが異変に気づいた頃には、本人はもう見境がつかなくなっているのです。</strong></p>
<p>無有愛の煩悩としての性質はここにあります。</p>
<p><span class="sc_marker blue"><strong>煩悩とは、一つ叶えば次の煩悩が生まれるというところに、その恐ろしさがあります。</strong></span></p>
<p>自分の物を減らす、無くすということが達成されて満足すると、次は家族の物や他人にまで及んでしまう…まさに煩悩のはたらきといえるでしょう。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/444a077ddaa84b407c9c38376d4b5815_s-min-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-3830" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/444a077ddaa84b407c9c38376d4b5815_s-min-300x225.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/444a077ddaa84b407c9c38376d4b5815_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>仏教的断捨離のポイント</h2>
<p>しかし、このままでは「<strong>そんなこと言ってたら物を捨てられないじゃないか！</strong>」ということになってしまいますので、ここからは<strong>仏教的な断捨離の心構え</strong>をご提案いたします。</p>
<h3>①「生かし道を考えること」を最優先</h3>
<p>まず、最も大切にしたいのはこの精神です。</p>
<p>断捨離が目指していたのは、<span class="sc_marker y"><strong>物に対する執着を離れるということ</strong></span>だったはずです。</p>
<p>執着というものは、とりあえずゴミ袋に詰め込んでハイ離れた！といって離れられるものではありません。</p>
<p>なんとなく後ろ髪を引かれるようだけど、自分は生かし切れていないなあ、という時、その物がどうすればもっとも生きるのかを考えましょう。</p>
<p>ここで重要なのは、<span class="sc_marker red"><strong>優先すべきは自分ではなく物</strong></span>です。</p>
<p>自己満足の為ではなく、<strong>物を生かすということを最優先にしてこそ、我を離れることができます</strong>。</p>
<p>その物の生かし道、生かせる在り方を考えることは、<span class="sc_marker red"><strong>不殺生の教えに通じる非常に重要なことなのです</strong></span>。</p>
<h3>②手間を惜しまない</h3>
<p>不要なものには、</p>
<p><strong>・自分には不要だけど人によっては必要なもの</strong></p>
<p><strong>・壊れたりしていて他人にとっても不要なもの</strong></p>
<p>という二つのパターンがあると思います。</p>
<p>まだ使えるけど不要になったものの場合は、<strong>SNSや最近数多く出ているフリマアプリなどで、使ってくれる・役立ててくれる人を直接探すのがオススメです。</strong></p>
<p>さらに発展途上国などでは、日本では古いとされる家電などが大活躍する場合もあるので、<strong>寄付という方法も考えてみると良いかもしれません。</strong></p>
<p>発足に曹洞宗が関わっている<strong>シャンティ国際ボランティア会</strong>さんなどでも、そうした活動が行われています。</p>
<p>→<strong><a href="https://sva.or.jp/activity/program/monodekifu/">シャンティ国際ボランティア会「もので寄付するプロジェクト」</a></strong></p>
<p>そして、壊れてしまっている物、使えなくなった物の場合は捨てるしかなくなるわけですが、そういった物も<strong>手放し方次第では再利用やリメイクされ、形を変えて生かされる場合があります</strong>。</p>
<p>少なくとも自治体の決まりを守って、捨てるべき日に捨てましょう。</p>
<p>こうした生かし道を考えるのは手間がかかりますが、<span class="sc_marker red"><strong>この手間を惜しまないことこそ、執着を離れる一番重要なこと</strong></span>です。</p>
<p><strong>人間の心は行動についてくるもの</strong>です。</p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>段階を踏んで手放すという過程によってこそ、心も徐々にその物から離れていくことができるのです</strong>。</span></p>
<p>もちろん不法投棄なんて言語道断ですが、<strong>大変でも手間を惜しまないこと、これが重要なんです</strong>。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/97ed4e4db7dc936af8f9341ae5315405_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3833" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/97ed4e4db7dc936af8f9341ae5315405_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/97ed4e4db7dc936af8f9341ae5315405_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>まとめ</h2>
<p><span class="sc_marker red"><strong>生かし道を考えることを第一として、その手間を惜しまない、</strong></span>これが私の考える仏教的断捨離です。</p>
<p>断捨離は仕事や人間関係にも応用されることがあるようですが、そこでも同じことが言えるはずです。</p>
<p>恋愛で言えば、<strong>相手の幸せを願うなら、別れることが最善であるということもある</strong>でしょう。</p>
<p>仕事で言えば、<strong>その仕事がうまくいく為に他人に任せるべき時もある</strong>でしょう。</p>
<p>しかし、<strong><span style="font-size: 14pt;"><span class="sc_marker blue">それがわかっていながらなかなか納得できないのが、人間の心情というもの</span>です。</span></strong></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">だからといって、自分の気持ちばかりを優先し、<strong>とりあえず捨てて、切り離して、遠ざけてあぁスッキリ！</strong>という断捨離は、繰り返すうちに視界を狭めていく可能性があります。</span></p>
<p>手放すことが辛いものも、むしろ近くにあることが辛いものもあるかもしれません。</p>
<p>しかし、手放すものの生かし道、言ってしまえば幸せを祈り、そのためには手間を惜しまないという在り方をすれば、断捨離は非常に仏教的な行いとなります。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;" class="sc_marker red"><strong>物を捨てるのではなく、生かしていく。</strong></span></p>
<p>せっかくなら、嫌いだから・いらないから捨てるのではなく、生かし方を考えるための断捨離が広まっていくといいなあと、私は思います。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/7cb102c7e9fb34f3de1205d3f03b520e_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3832" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/7cb102c7e9fb34f3de1205d3f03b520e_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/7cb102c7e9fb34f3de1205d3f03b520e_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
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<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>お寺のクリスマス事情とそのワケ</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/391</link>
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		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 14 Dec 2018 06:16:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[仏教の行事]]></category>
		<category><![CDATA[季節]]></category>
		<category><![CDATA[社会]]></category>
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					<description><![CDATA[スポンサードリンク 大騒ぎになったハロウィンもどこへやら、11月から街に漂うクリスマスムード。 お寺に生まれて27年(2018年時点)、この季節に聞かれる質問ランキング堂々の1位(経験を根拠に)が 「お寺ってクリスマスやるの？」 です。 今…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>スポンサードリンク</p>
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<p><span style="color: #000000;">大騒ぎになったハロウィンもどこへやら、11月から街に漂うクリスマスムード。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">お寺に生まれて27年(2018年時点)、この季節に聞かれる質問ランキング堂々の1位(経験を根拠に)が</span></p>
<p><span class="sc_marker red" style="color: #000000;"><strong><span style="font-size: 14pt;">「お寺ってクリスマスやるの？」</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">です。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">今回はここでこの質問への回答と根拠をお話したいと思います。</span></p>
<h2>クリスマスの思い出</h2>
<p>まず最初に、私が子供の頃、家でクリスマスの何かしらがあったのかについて。</p>
<p>先に言ってしまいますが、<span style="font-size: 14pt;"><strong><span class="sc_marker red">ありました</span></strong>。</span></p>
<p>クリスマスイブにはプレゼントを買ってもらい、少し豪華な夕食とケーキを食べました。</p>
<p>私の<span style="color: #008000;" class="sc_marker red"><strong>母の誕生日が12月24日</strong></span>だったこともあってか、確実にイベントとしてクリスマスは存在していたのです。</p>
<p>なんならサンタさんも来ました。</p>
<p>一番古い記憶だと、小学校低学年の12月25日の朝。</p>
<p>目を覚ますと大きな包みがあり、大喜びで開けると、欲しいと思ったことのない<strong>「<span class="sc_marker y">アメリカンバトルドーム</span>」</strong>が。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2018/12/47297-1-300x240.jpg" alt="" width="300" height="240" class="alignnone size-medium wp-image-392" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2018/12/47297-1-300x240.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2018/12/47297-1.jpg 698w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>「…そ、そうだよね！<strong>サンタさん海外にいるし忙しいんだから一人一人の欲しい物なんて知らないよね！<span style="font-size: 14pt;">リアル！</span><span style="font-size: 18pt;">むしろリアル！</span></strong>」</p>
<p>と<span class="sc_marker blue">完全にサンタさんの存在を信じていました。</span>（遠い目）</p>
<p>そして、ある程度欲しい物がはっきりしてくる小学校高学年になると、サンタさんは<strong>「<span class="sc_marker y">ゾイド</span>」</strong>やら<strong>「<span class="sc_marker y">ベイブレード</span>」</strong>やら、欲しい物をくれるようになり、<span class="sc_marker red" style="color: #008000;"><strong>さすがサンタさん！わかってらっしゃる！</strong></span>とさらにサンタさんを信じたものです。</p>
<p>小学６年のクリスマスの朝は珍しく地元に雪が降って、目を覚ました枕元にはゾイドの<strong>「<span class="sc_marker y">ウルトラザウルス</span>」</strong>があったのは今でも覚えています。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2018/12/20150912_2231b1-300x220.jpg" alt="" width="300" height="220" class="alignnone size-medium wp-image-393" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2018/12/20150912_2231b1-300x220.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2018/12/20150912_2231b1.jpg 630w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>(ウルトラザウルス/©️タカラトミー)</p>
<p>ところが中学生になると同時に、父親(住職)の<span class="sc_marker blue"><strong>「うちは仏教徒だから」</strong></span>宣言と共にサンタさんは来なくなってしまったのでした。</p>
<h2>クリスマスを「祝う」？</h2>
<p>中学生になってから、サンタさんは来なくなったものの、一応何かしらプレゼントは買ってもらえるという子どもに甘い私の実家でしたが、そこで<span style="color: #008000;" class="sc_marker red"><strong>クリスマスを「祝って」いたのか</strong></span>というと、これは微妙です。</p>
<p>クリスマスはキリスト教徒にとってはイエス・キリストの誕生日。</p>
<p>仏教徒は<strong>お釈迦様のお誕生日である4月8日</strong>には花まつりや法要を行うなどの宗教儀礼があり、これは「<strong>祝っている</strong>」と言えます。</p>
<p>ただクリスマスとなると、<strong>その最中にイエス・キリストに祈ることも、想うこともほとんどありません</strong>。</p>
<p>これはお寺に限らず、ほとんどの日本人がそうなのではないでしょうか？</p>
<p>クリスマスという<strong>年末にも近</strong><strong>い、儚さと期待の両方を含んだその日を大切な人と過ごすという「習慣</strong>」が私たちの心を躍らせるのかもしれません。</p>
<p>有名な話ですが、海外を中心に、<strong>キリスト教を本当に信仰している人は、クリスマスを家族以外の人と過ごすことはまずない</strong>そうです。</p>
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<h2>仏教とクリスマス</h2>
<p>では、冒頭の「<strong>お寺でもクリスマスやるの？</strong>」という質問の答えは個人的には「<strong><span style="color: #ff0000;">Yes</span></strong>」でしたが、だいたいそれに続くのが「<span class="sc_marker blue"><strong>え、仏教徒なのにいいの？</strong></span>」という質問です。</p>
<p>ここで言う「いいの？」とは「<strong>信仰上の問題はないの？</strong>」ということですので、少し仏教の信仰について触れてみます。</p>
<p>お釈迦様が仏教を説いた当時のインドには、支配者階級のバラモン教から民間信仰まで、すでにたくさんの宗教が溢れていました。</p>
<p>そんな国で仏教を広める上でお釈迦様は、<strong><span class="sc_marker red">生贄などの殺生や暴力を含むものを除いて</span></strong>、民間の宗教儀礼を認めていったのです。</p>
<p>同時に、<strong><span class="sc_marker red">形として儀礼に参加するだけではその宗教を信仰することにはならない</span></strong>とも言っています。</p>
<p>つまり、<span style="color: #008000;" class="sc_marker red"><strong>仮にクリスマスやハロウィンや断食をしたとしても、そこに心からの信仰がなければ問題はありません</strong></span>。</p>
<p>考えてみれば、<strong>「クリスマス好きなんで自分キリスト教徒っす！」と言われても、本当に信仰している人からしたら失礼な話ですよね。</strong></p>
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<h2>仏教と信仰</h2>
<p>一方で、これは<strong>心からの信仰がなければ仏教徒とは言えないということ</strong>でもあります。</p>
<p>ここで言う心からの信仰というのは、<strong><span class="sc_marker red">仏教の教えに納得して、悩みから救われ、生き方の指針としていくことを言います。</span></strong></p>
<p>お寺でクリスマスパーティーをすることも、プレゼントをあげることも、家族のため、子供のためを想っての行いとして素晴らしいことです。</p>
<p>私も両親のおかげで、家庭をもったらクリスマスは何かしら楽しませてあげたいと思えます。</p>
<p>それと同時に、<span class="sc_marker red"><strong><span style="color: #008000;">仏教徒であるならばしっかりと仏教を「生き方」としていかなければならないのです。</span></strong></span></p>
<p>だから<strong>私はクリスマスを楽しみつつ、仏教を「生き方」としていくために益々精進しなくては！</strong>と思うわけです。</p>
<p>色々な文化が入り混じっている日本だからこそ、こうして仏教の信仰を見つめる機会があるのかもしれないな、そんなことを思うのでした。</p>
<p><span style="font-size: 18pt; color: #008000;" class="sc_marker red"><strong>それでは皆様、よいクリスマスを！！</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この記事に関連する動画はこちら！<br />
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