
スポンサードリンク
皆さんは好きなディズニー映画はありますか?
私はそこまでディズニーに思い入れはないのですが、「アラジン」だけは昔から好きなんです。
ジーニーのキャラクターとかジャファーの悪さとか、ディズニー作品の中でも割と男の子が好む作りになっているのかもしれません。(あくまで個人的に)
また最近はCG技術が進み、実写化されたディズニー作品も軒並み評価が高いようですね。
私の友人は一昨年実写化された「美女と野獣」のオープニングで泣いたそうです(笑)
さて、そんな実写化ラインナップに「アラジン」が入ったと知ったのは昨年だったでしょうか。
「アベンジャーズ」が終わって寂しくなる頃に公開ということで楽しみにしていましたが、約一ヶ月遅れてようやく観てきました!
今回は「アラジン」を観た感想と、「こんなこと言ってたんだ!」という発見を書いてみます。
Contents
感想①ウィル・スミスのジーニーがすごく良い
さて、今回のアラジンの実写化で特に話題になっていたのが「ジーニーをどう再現するのか問題」です。
あのファンキーな青い魔神をどう実写化するのか、半ば人型なだけに余計に大変そうでした。
しかし、キャストがウィル・スミスに決まったと聞いて納得がいきました。
予告編でちゃんと(?)青くなったウィル・スミスを見ましたが、あんなに違和感なく青い魔神になれる人が他にいるだろうか?というくらいぴったりなビジュアルでした。

©︎Disney
そしてさらに、実際に観てみてその適役っぷりに驚きました。
こんなに色んなところがぴったりくるものなんですね!
ちなみにウィル・スミスが元々「The Fresh Prince」という名前のラッパーだったのは皆さんご存知でしょうか?
「Summertime」という曲なんかは今でも夏になると聴きたくなる名曲ですよ。
ちなみに今回のエンディングテーマでもラップをしていますが、やっぱりかっこいいですね!
今回の実写版には、そんなラッパーというバックグラウンドを持つウィル・スミスだからこそできる演出もあって、思わずニヤッとしてしまいました。
歌の途中で「こんなの真似できる?」と言ってヒューマンビートボックス(≒ボイパ)をしていたのはメン・イン・ブラックⅡのオマージュなのかなと思ったり、ちょっとしたダンスの中にラッパーらしい仕草があったり、それだけでもすごく楽しめる作品でした。
感想②煩悩の本質を突いている
ウィル・スミス版ジーニーの素晴らしさの他にも、主人公アラジンが街中を駆け抜けるシーンではパルクールの技が使われていたりと、本当に「現代の」実写版を観せてくれた「アラジン」ですが、こうしてちゃんと観てみるとかなりしっかりとしたメッセージがあることに気がつきました。
ジーニーが知っていた人間の欲
アラジンはランプの魔神ジーニーに3つ願いを叶えてもらえることになりますが、初めは何も思いつきませんでした。
そこでジーニーはアラジンを「今までの奴と違う」と思い始めます。
それまでのジーニーの前に現れた人間たちはことごとく自分の望みを叶え、ジーニーの「自由になりたい」という願いを聞こうとする者は一人もいませんでした。
しかしアラジンは3つめの願いでジーニーを自由にすると約束します。
ところが、街の貧しい青年アラジンは王女であるジャスミンに近づくため、「一国の王子にしてくれ」とジーニーにお願いをするところから、事態は変わっていきます。
身分を偽り「王子として」ジャスミンと距離を縮めたアラジンは、さらに嘘を塗り重ねようとします。
ジーニーの「本来の君の姿を見せるべきだ」という忠告も聞き入れず、さらにはジーニーを自由にするという約束も撤回するのです。
そこでジーニーは一言「君も他のやつらと同じだ」と残念そうに呟くのでした。
煩悩のメカニズム
今回、アラジンはわかりやすく仏教で説かれる三毒に侵されていきます。
三毒とは貪・瞋・癡の三つの根本煩悩と言われるもので、人間はこの三つが循環して過ちを犯していくのです。
まず、アラジンはもともと、自分が手に入れた食糧もお腹を空かしている子どもにあげるような、「分け与える心」を持つ青年で、盗みはしても生活のためで財宝を溜め込むようなことはありませんでした。
しかし、ある日突然手に入れたジーニーの力によって生活がガラッと変わっていきます。
ここから、仏教の煩悩のメカニズムと合わせて考えてみます。
貪
アラジンは身分を偽ることでジャスミンと近くことができ、それまでは近寄ることもできなかった場所でもてなされるという、自分の力ではなく降って湧いたような環境を失う恐怖から、さらにジーニーの力を必要としました。
人間は力や財産や名誉を一度手に入れると、さらに欲しがって、手に入れたものは失いたくないと思うようになります。
これが貪、貪りの心です。
瞋
そしてそんな、一度手に入れたものを失いたくないという思いから、アラジンはジーニーの忠告を聞かず喧嘩をしてしまいました。
人は自分の「失いたくない」ひいては「思い通りにしたい」という思いから、それが叶わなくなる時にカッしてしまいます。
これが瞋、瞋りの心です。
癡
そしてカッとしてしまったアラジンはジーニーと仲違いをして、一度は友情を失いかけます。
「失いたくない」「もっと欲しい」という思いが叶わなくなりそうでカッとして、周りが見えなくなって本当に大切なものを失いかけてしまったのです。
これが癡、過ちに気づかない愚かさです。
三毒の先に待つもの
そしてこの愚かさはどんどん自分を見失わせ、次の貪り、そして瞋りを生み出してどんどんどんどん積み重なっていくのです。
ジーニーはアラジンが三毒に侵されていくのを悲しんで忠告し、その思いがアラジンを救ったのです。
一方、この三毒にどっぷりと浸って戻れなくなっていたのがジャファーでした。
地位の為、名誉の為に人を殺め、最後には自分がランプの中に閉じ込められてしまいました。
実はジャファーは私たちの誰もがなり得る、三毒で自分を見失った人の末路だったのかもしれません。
結論:やっぱりアラジンはおもしろい
と、ここまでいつもの如く強引に自分の畑にアラジンを引っ張ってきてアレコレと言ってきましたが、今回のアラジンは大当たりだったと思います。
あれ?こんなオープニングだったかな?というところからしっかりと伏線を回収してくるあたりも、さすがでした。
個人的にはウィル・スミスのラップがかっこよくて、仏教的なメッセージを見つけることができたりもしましたが、やっぱり単純に誰もが楽しめるいい作品だなと思いました。
おすすめです!