「あちこちオードリー」での伊集院さんの教訓が沁みた

最近すっかりテレビを観なくなってしまった私。

CMの長さや、早送り・スキップができない煩わしさ、そして番組表に縛られる不便さ…。

なんかものすごい現代っ子な感じになっていますが、
YouTubeもpremiumに入ってしまうとまぁCMに付き合えるのは1分が限度だなと、
斯様に思うわけでございます。

その中で唯一、毎週楽しみにしているテレビ番組がテレビ東京の「あちこちオードリー」。
(といっても、観るのは翌日TVerでですが。)

オードリー、特に敬愛する若林さんがゲストに話を聞くこの一時間は、本当に毎回気づきがあります。

今回はそんなあちこちオードリーの中で、特に私の心に沁みすぎてしまった回をご紹介します。

Contents

私の教訓どうですか?スペシャル

今回ご紹介したいのは2023年1月18日放送の「芸能人必見!私の教訓どうですか?芸能界が生きやすくなる教科書を作ろう!」の回。

ゲストは藤本美貴さん、どぶろっくさん、そしてこれまた私の敬愛する伊集院光さん。

3組のゲストがそれぞれに芸能界で得た教訓を語り合う回だったわけですが、
中でも伊集院さんは別格に感じました。

ラジオや書籍を通して様々なコンプレックスや体験を知っているからか、伊集院さんの教訓は、
まさに自分を実験台として得た成果という感じで、オードリーのお二人にも深く刺さっている様子でした。

そして今回お話ししたいのは番組の終盤、伊集院さんが師匠である故三遊亭円楽さんから受けた言葉でした。

 

自分が時間を忘れてやってしまうような好きなことに
少しの社会性を持たせると この商売は食っていける

 

昔はわからなかったというこの言葉が最近わかってきたと、伊集院さんはいいます。

僭越さながら今回は私なりにこの言葉を考えてみたいと思います。

好きなことで生計を立てる

スポーツ・音楽・勉強・ファッション…。

どんなものでも、好きだからといってそれで生計を立てるのは簡単なことではありません。

同時に、それで生計を立てたいと思うほど好きなものに出会うこともまた、稀なことです。

尊敬するダンサーのISOPPさんは「仕事とは責任ある遊びだ」と言っていました。

高校生の頃はこの言葉の意味がわかりませんでした。

しかし、好きで始めたダンスや、熱中したヒップホップカルチャーというものを仕事とする時、
そこには責任が伴うんだという言葉だったのだと、今ではわかります。

先ほどの円楽師匠の言葉はこれに通じるものがあるのではないでしょうか。

ISOPPさんはヒップホップというカルチャーの性質上、「遊び」という言葉を使いましたが、
円楽師匠の「自分が時間を忘れてやってしまうような好きなこと」という言葉は、
より広い範囲の物事に当てはまる表現に感じられます。

そこで重要になるのが「少しの社会性を持たせる」という言葉。

趣味の範囲であれば、自分がいかに楽しく、
それが好きであるかを人に伝える必要はないのかもしれません。

しかし、それで食べていきたいなら、人の心の琴線に触れる必要があります。

作品を買ってもらうのか、スポンサーになってもらうのか、その形は様々でしょう。

いずれにしても、自分の好きを誰かにとっての好きに変えていくことが必要になるのです。

「少しの社会性を持たせる」というのは、人の反応ばかりを気にするわけではないにしろ、
自分の好きなものを誰かにとっても好きなものに変えるということなのではないか、
と私は捉えています。

布教と芸事

この円楽師匠の言葉は、私たち布教に携わる僧侶はよくよく肝に銘じたいものだなと思いました。

布教というと、知識や情報の伝達と捉えている僧侶も一定数います。

私は個人的には、布教とは信仰の伝染だと思っています。

そして信仰とは、その教えに納得させられたり救われたり、
疑ってみてもアンサー返ってきたりということの繰り返しによる、
教えに対する信頼だと考えています。

だから、僧侶自身が納得したり感動できていないものをいくら上手にパッケージしても、
身内から評価されることはあれど、一歩外にいる人には響かないのではないでしょうか。

以前動画で、自分が理解しきれていないことを法話で話した時の苦しみを語ったことがあります。

それは同時に、納得できた教えを語ることのやりがいや、
ある種の楽しさを確認する出来事でもあったような気がします。

現代は仏教に「社会性を持たせる」ことに注目が集まりやすい傾向にあります。

だからこそ、円楽師匠の「自分が時間を忘れてやってしまうような好きなこと」という部分が重要だと思うのです。

手段として手をつけるのではなく、まずは夢中になることが、
実は食べていくためには欠かせないということなのでしょう。

先日、私は高校時代から趣味で続けているグラフィティで、
友人の結婚式のウェルカムボードを描かせてもらう機会がありました。

ノートや黒板に描いていたものが、
大切な友人の門出に華を添えるものになるなんて、夢にも思いませんでした。

食べるというほどではありませんが、気づけば時間が経っているような趣味が、
ほんのわずかに社会性を持った出来事だったのかもしれません。

仏教に対しても、私自身がまずもっと納得させられて、
より「好きに」なっていくことが重要なんだなと思わされました。

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