ストーリーとして見る供養

この3月で曹洞宗総合研究センターを修了し、お寺に戻ってきて一年が経ちます。

私は永平寺を下りてすぐに総合研究センターに行ったので、
腰を据えてお寺の供養に関わるようになったのは昨年からでした。

それ以前も週末には法事を手伝ったりお通夜を勤めることはありました。

供養については総合研究センターでもある程度勉強もしていたので、
理屈としてはわかっているつもりでした。

しかし、この一年で改めて気づかされたことをお話しします。

Contents

葬儀と供養の意義

まず、ここでは私の、というより師匠から学んだ葬儀や供養の意義についてお話ししておきたいと思います。

曹洞宗は、お釈迦様と同じように行動することで、お釈迦様の至った心を体現していく宗派です。

だからお釈迦様が覚った姿である坐禅をすることで、
お釈迦様と同じように食事と向き合うことで、行の上にさとりがあるとします。

そしてそれは人の死に際しても同様です。

故人をお釈迦様と同じように送ることで、遺された私たちはそのお弟子様たちと重なります。

言うなれば、曹洞宗のお通夜はお釈迦様の涅槃の再現なのです。

道元禅師も、ずっとご自身の言葉で教えを示してこられたのに、
最後はお釈迦様の遺言をそのまま引用した『正法眼蔵』「八大人覚」巻を最後の著作としました。

それはお釈迦様のように生きることでお釈迦様の心を現そうとした道元禅師にとっては、
必然ともいえる最期だったのかもしれません。

そうした背景もあり、曹洞宗では故人をお釈迦様と重ねながら通夜をし、
その後は改めて関係を結び直す意味で、戒名を授け、故人を仏様として受け止めていきます。

ここで重要なことは、仏にすることは決して故人を遠ざけることでも、忘れることでもないということです。

常に心の真ん中に置いて人生の指針とし、時間の経過の中で向き合い方も変えながら、
共に歩んでいくことで仏として育てていくのが葬儀を終えた後の追善供養となっていきます。

供養の意義については過去に触れています。

ストーリーとして見る供養

さて、ここまで書いたことは、お寺に帰ってくる前から理解していることではありました。

この二月でお寺に帰ってきてから一年が経ちました。

すると、最近何件か昨年お通夜をお勤めした方々の一周忌の法事をお勤めしました。

一年経って四十九日よりは明るくなったお家、まだ悲しみの癒えないお家、
そのご様子は本当に様々です。

これは法事だけ、お通夜だけを手伝っていた頃には見えなかったものでした。

亡くなった直後の枕経からお葬式、四十九日、一周忌と、点ではなく線でお勤めするようになって、
初めて供養がストーリーとして見えるようになってきたのです。

故人の人柄を聞き、師匠と共に戒名を考え、お葬式を勤め、そして四十九日を迎えて納骨し、一周忌を迎える。

ご遺族が悲しみや怒りや後悔といった様々な感情と向き合う日々を過ごし、
そのストーリーを見てきた自分がかけるべき言葉を探す。

ストーリーを追ってきた僧侶だからこそできる関わり方があることを、この一年で学びました。

シンプルが求められる時代に

葬儀や供養を縮小したり簡素にする風潮は、コロナ禍で急速に加速しました。

しかし、お通夜や葬儀が二日間に分けられていることや、
四十九日、一周忌、三回忌…と細かく供養があるのは、
それだけ大切な人を失った人の心が細かく変化するものであり、
その心の変化に沿っているからだと、私は捉えています。

様々な事情でコンパクトにせざるを得ないことはあります。

しかしそれは、信仰としてお通夜や葬儀の意味を信じる以上、
僧侶側の都合であってはいけないと思います。

状況に合わせた柔軟さはあっても、基本的には勤めるべきことを大切にし、
そこで見えたストーリーに対して、お釈迦様の教えを栞のように挟むのが僧侶の役目なのかもしれないなと、
一年経った今、そんなことを考えました。

 

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