法話「祖母の合掌」by原山佑成(2024/1/10禅活しょくどうにて)

2024年2月まで毎月開催していた精進料理&食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、
現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当していました。

今回掲載するのは、2024年1月10日の回で原山佑成がお話しした法話です。

Contents

祖母の合掌

みなさん、こんばんは。

これまでこうして禅活しょくどうでお話をさせていただきましたが、私がお話を担当するのは今回で最後となります。

そこで、最終回はテーマを自分で決めて良いということになり、本日は「合掌」についてのお話をしたいと思います。

みなさんは日常生活の中で合掌をする機会はあるでしょうか。

やはりあるとすれば食事の時でしょうか。

禅活しょくどう以外でも、食事の前後に「いただきます」と「ご馳走様でした」の合掌をする方はいらっしゃるかと思います。

この季節でいうと、お寺に初詣やお参りに行った際に合掌をした、という方もおられるかもしれません。

合掌の意味

合掌は、右の掌は自分の清らかな心、左の掌は迷いや邪な心を表し、この二つの心を目の前で合わせることによって、自分自身の全てを曝け出して相手の前に差し出すことを意味したインドの挨拶が元になっています。

インドではもともと、右手は食事をしたりする手、左手はお手洗いでお尻を拭く手だったことが、清らかな心と邪な心という意味合いに置き換えられたようです。

日本に伝わった後には、右手があの世、左手が現世を表しており、両手を合わせることによって仏様の世界と私たちが生きている現世が一体となり、亡くなられた方や、ご先祖様の成仏を願う気持ちが表されているという解釈も生まれました。

いずれにしても、合掌をするということは、二つの相対したものが一つに合わさることであり、宗教的な意味を越えて、私たちの普段の生活の中に深く浸透しています。

祖母の姿

私はこの合掌について、最近深く考える出来事がありました。

実は2023年の10月に、私の祖母が92歳で他界しました。

数年前から高齢者施設に入居していたのですが、脳梗塞を患ったことをきっかけに身体機能が低下し、最終的には老衰で眠るように亡くなったそうです。

普段東京にいる私は、コロナ禍という事情もあり、晩年はほとんど祖母と会うことは出来ませんでした。

しかし、昨年の八月、お盆の手伝いをする為に実家のお寺に帰省した際に祖母に会いにいくことができました。

最後に顔を合わせてから三年以上が経過しており、私は久しぶりに祖母に会えるのが楽しみでした。

そして、いざ対面すると、祖母の様子が芳しくありません。

母が、「おばあちゃん、この人誰かわかる?」と尋ねると、祖母は首を横に振るだけでした。

面会の際には、マスクを着用していて顔が見えなかったということもあるかもしれませんが、やはり長い間会えなかったことで私のことを忘れてしまったのだと思います。

昔は私が実家に帰省すると、祖母はいつも私を暖かく迎えてくれていました。

「おお佑成、今回はいつまでいるんだ?たくさん食べて飲んで帰れよ」そう言って握手を交わすのが、祖母との恒例の挨拶になっていました。

しかし、その時の祖母が手を握ってくれることはありませんでした。

私は「久しぶりだから仕方ないよね」と言いながらも、目からは涙が溢れてきました。

すると祖母はそっと両の掌を合わせて私の顔を見つめていました。

私はその時の祖母が何を思っていたのかわかりませんでした。

そして、それが私の見た祖母の最後の姿となりました。

祖母の生い立ちと合掌

私は祖父を幼い頃に亡くしており、物心がついて以来、家族を亡くすのは初めてでした。

それもあって祖母の死は私にとって辛く悲しい出来事でした。

しかしながら、祖母との思い出や、祖母の生き様を思い出すと、残された私にとても大きなものを遺してくれたとのではないかと今では思います。

私の記憶にある祖母は、とにかく明るく、いつも大きな笑顔を見せ、人と会ったり話をするのが大好きな人でした。

一番印象深いエピソードとしては、家族で近所の温泉施設に行った際、食堂で食事をしていると、気付いたら祖母が居ません。

どうしたのかな、と辺りを見渡すと、祖母が別の家族の輪の中に入って楽しそうに団欒していたのです。

当時の私は、驚愕するとともに、その家族の方々に申し訳なくなり、父に「ばあちゃん連れてこようか?」と尋ねましたが「いつものことだから」と気にも留めません。

その後も何度か同じような場面を目にしていたのですが、その度に祖母のコミュニケーション能力の高さに驚かされたものです。

当然それは、お寺に訪れる檀信徒の皆さんや、お客さんに対しても変わりません。

特に新年のご挨拶にお寺を訪れる人たちからは「お寺のおばあちゃんの明るい笑顔を見ることが出来て、今年も良い一年になりそうです」と言われるような、お寺の名物おばあちゃんでした。

そんな祖母の生まれは地元で有名なお菓子屋さんで、看板娘だったそうです。

そういえば私も小さい頃から祖母の実家のお菓子屋さんで作られたケーキや、地元のりんごを使用した焼き菓子など、いろんなお菓子を食べさせてもらいました。

祖母のコミュニケーション能力が高いのは、そのお菓子屋さんでの接客に裏打ちされたものでもあったのです。

そんな祖母は先代の住職、つまり私の祖父と結婚し、お寺に嫁いできました。

そこから亡くなるまで期間をお寺の奥さんとして過ごし、曹洞宗から長年の功労を表彰されるほどの長い月日をお寺の為に尽くしてきました。

私にとっては、いつも笑顔で明るく優しい祖母でしたが、その92年の生涯は決して明るいことだけではありませんでした。

伴侶である先代の住職は64歳の時に亡くなってしまい、当時まだ若かった私の父と共にお寺を守っていくことは、容易なことではなかったと思います。

また、実家であるお菓子屋さんも様々な不運が重なった末に、大手のお菓子屋さんに買収されてしまいました。

そしてお菓子屋さんの手伝いのために、本当にしたいことが出来なかった過去もあります。

十代の頃には近くの家政学校に通っていたそうですが、お菓子屋さんが忙しいとの理由で学業を放棄して実家に帰ることを余儀なくされてしまったそうです。

祖母はしばしば、息子である私の父に対して「学べるということはとても有難い事なんだ」と言っていたと聞きます。

その92年の生涯を振り返ると、たくさんの苦労の中で涙を飲むような出来事もありました。

しかし祖母は、私の記憶にある大きな笑顔で、周囲の人々を明るく元気付けてくれました。

それはきっと辛く苦しい出来事があったからこそ、多くの人や縁に救われたことの有り難みを知り、誰かが辛く苦しい時には手を差し伸べようという思いがあったからではないでしょうか。

あの時、祖母に忘れられてしまい涙を流す私に対して手を合わせてくれていたのは、もしかするとそんな祖母の人生がそこに表れていたのかもしれません。

手を合わせるということ

道元禅師の詠まれた歌に「礼拝」という和歌があります。

冬草も 見えぬ雪野の 白鷺は おのが姿に 身を隠しけり

この和歌は「草も見えないほどに雪が積もった雪原に佇む白鷺は、自分の体の白さによって身を隠している。」という意味で、白鷺と雪の白さの区別がわからなくなっている様子が描かれています。

そして、道元禅師がこの歌を「礼拝」と題されたのは、白鷺がその白さで雪と一体となってしまうように、手を合わせ礼拝するということは「仏様と私」とか「あなたと私」というような境界線をなくして一体になっているということです。

ことあるごとに合掌をしていた祖母は、寺族として合掌が習慣付いていました。

ただし、合掌の意味だとか、先ほどの道元禅師のお歌を知っていたかはわかりません。

長い人生の中で、多くの人や縁に支えられた有り難みを知っていたからこそ、分け隔てない感謝と思いやりの心が合掌となって表れていたのではないかと、今になってみれば思えるのです。

自分だけではなく、周りの人たちも一緒に笑えるようにと願った祖母は、あの時目の前で涙を流す誰か分からない私にも手を合わせてくれました。

悲しくなかったと言えば嘘になりますが、その姿は祖母の生き様の集大成であったような気がします。

私にはまだ、祖母のような合掌をできている自信はありません。

しかし、人にも食事にも、ご縁をいただき支えられて生きていることを忘れることのないように手を合わせ、いつか目に焼き付いているあの祖母の姿のように合掌できる僧侶になりたいと思っています。

祖母の生き様や教えてもらったこと、明るい笑顔を忘れずに精進していきたいです。

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