先日、禅活WEB担当の堀田がSlackにてこんな記事をシェアしてくれました。
Oh ffs. I started seeing mint & grey and now I see pink & white and now I'm stressed and I hate everything and everyone. SCREW YOU TRAINERS! pic.twitter.com/yyO0AzIx5b
— Nicola Hume (@Nicola_Hume) 2017年10月12日
日本でも話題になっているようですが、この画像のスニーカー、皆様には何色に見えるでしょうか?
グレーの生地にミントグリーンのラインと紐に見えますか?
それともピンクの生地に白のラインと紐に見えますか?
これは右脳と左脳の優位性によって見え方が異なるとのことで、私はグレーにミントグリーンのラインと紐のデザインに見えます。
この脳との関係については、こちらの記事に詳しく書かれていますのでご覧ください。(外部リンク)
Contents
見るとか聞くとか
眼科での出来事
科学的なお話は専門家にお譲りするとして、ここでは仏教のお話を。
私は小学2年生の少年ジャンプを読み始めてから視力が落ち、矯正をしに眼科に通うようになりました。
しかし、視力が下がっていくと怒られるような気がして編み出した策が、
「視力検査表を覚える」という離れ技。
”こてへさにしけこにてりつ”
これがひらがなの表で下にいくほど小さくなります。笑
「C」の方向のやつはさすがに覚えられなかったので、眼科の先生には不思議がられた、もしくはバレていたかもしれませんが、視力検査ではだいたいいつも1.0くらいに調整していました(笑)
しかし学校で検査するとやっぱり視力が低い、とこんなことを繰り返しているうちに高校生の頃には0.03まで下がっていました。
眼が見る景色とコンタクトが見る景色
そんなわけで私は普段、外ではコンタクトレンズを着けて、家ではメガネを掛けて生活をしています。
ところが先日メガネを実家に忘れてきてしまったことがありました。
寝る直前にコンタクトを外して床につこうとすると、翌日がゴミ出しの日だったことを思い出します。
家の前だし裸眼でいってみよう、そう思って外に出ると、街灯はぼやけた光の玉に見え、マンションの窓から漏れる灯りはすぐ近くで星が光っているかのよう。
普段コンタクトレンズを着けて当たり前に見ていた景色とは全く違う、焦点の合わない世界がとても新鮮に見えました。
そしてそこで一つ疑問が浮かんだのです。
裸眼で見る景色とコンタクトを着けてみる景色、どっちが自分にとって「ホンモノ」なのだろう?
そう思った途端、自分の感覚器官というものがとても不確かで頼りないものに感じました。
ホンモノはどこにあるのか
目も耳も鼻も舌も肌も個人の体質やその日の体調、老いや経験などで昨日と今日とでは全く違う感じ方をすることがあります。
きっとそれは毎日毎回、どれもがニセモノではないはずです。
しかし同じ一枚の写真を見ても全く違って見えるように、自分が感じた色も音も香りも味も感触も結局は「私」というフィルターを通している限り、絶対的なホンモノの形はないのかもしれません。
そう考えてみると「般若心経」というお経の「是故空中〜無色声香味触法」という一節が少しわかった気がしました。
色も音も香りも確かにそこにはある。
しかしそれを人と全く同じように受け取ることはできない。
一つのものに対して十人十色の感じ方がある。
自分には見えないものが見える人がいてもいいし、自分にしか見えないものもがあっても当然いい。
そんな差があるからこそ、それを埋めるために人は会話をし、歩み寄りながら歴史を紡いできたのではないでしょうか。
私自身もまだまだ理解しきれてはいませんが、一枚の写真から、そんなことを考えたのでした。