ちょw安らかに眠ろうとしていたらなんか黒いヤツが現れたんだがw

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ある日の深夜。

さあ、寝よう、と布団に潜り込み、電気を消したその時のこと。

「カサカサ……」

この物音はヤツの気配……っ!

瞬時。電気をつけ、飛び起きる。

息を殺し、ヤツの出現に備えること、しばし。

が……

出てこない。

布団の上で身構える私に、部屋は不気味なほどの静けさを保ち続けていた。

フーッ、と大きく息をつく。

「うん。気のせいだな!」

随分と神経質になっていたものだ。疑心暗鬼とはこのことか。

あらためて布団に入り、電気を消す。

その刹那……

「カサカサカサ!!」

気のせいではない、“G”の確かな足音が私の部屋を支配したのだった……。

(※今回はかなり過激な表現があります。苦手な方はご注意ください!)

Contents

恐怖!コックローチ男!

これがクモならば放っておいてもよいし、捕まえて外に逃がしてやることも考えられた。

しかしヤツだけはダメだ

眠るのをいったん諦め、殺虫剤を片手に部屋を見回す。

当然、ヤツの姿はない。

まずは私の死角に潜んでいるヤツを見つけ出さなくてはならない。

しかし3年間あまりの月日を過ごした部屋は物が多く、身を隠す場所がありすぎるほどにある

収納ケースの裏。本棚の隙間。ゴミ箱の陰。靴箱の中……その一つ一つをこれから探らねばならぬのだ。

地獄の宝探し。そんな言葉が脳裏をよぎる。

まずは手近にあるゴミ箱からだな。そう思い、一歩踏み出すや否や……

シャッ…!

視界の端から、ヤツが飛び出してきた!

「ヒィ~ッ…」

狼狽する私を尻目に、そのままヤツは、目にも留まらぬ速さで本棚の裏へと消えていった

こうして、私とヤツとの長きにわたる戦いが幕を開けたのだった。

戦いのすえ生まれた自覚

時刻は深夜12時過ぎ。狭い部屋で大立ち回りをするわけにもいかない。

なるべく音を立てないよう、おっかなびっくり物をどかす。

すると、時たまアタリを引き、ヤツが飛び出して来る。

殺虫剤を向ける。

逃げられる。

慎重な動きは緊張感を増幅させ、ゴキブリを逃すごとに心臓は早鐘を打ち、小休止を余儀なくされる。

……

そんなやり取りを繰り返し、気が付けば時刻は既に2時になろうとしていた。

もう1時間以上もヤツとの不毛な格闘を続けていたことになる。

もういい加減にしないと、体力が持たぬ。

何とかしなければ。

そう思ったとき、ふと我に返った。

「自分はゴキブリを殺そうとしているという事実から目を背けてはいなかったか」

そう。私は、右手に殺虫剤を握りしめておきながら、命を奪おうとしているという自覚もおぼろげなままに、なんとなく殺そうとしていたのである。

私が今しようとしているのは、薬剤をただ噴霧するだけの行為ではない。

自分の生活のために、ひとつの命を奪おうとしているのだ、と気が付いた。

かと言って、見逃すことはできない。

やると決めた以上はやらねばならぬ。

私はこれからこの手でゴキブリを殺すのだ。

その自覚が生まれたとき、私の心に確かな変化が生じた。

殺意の波動(フォース)に身を任せる

ゴキブリを見つけ出し、始末する。

その存在を許すことはできない。

絶対に始末する。

そう思ったとき、私の心から怯えが消えた。

殺意の波動に身をゆだね、片っ端から物をどかしていく。

「見つけたら、殺す。必ず、殺す。」

もはや、その動きは先ほどまでの恐怖に震えていた36歳のそれではない。

的確に物を動かし、ゴキブリを追い詰めるハンターがごとき手際。

そして、ついに……

ゴキブリを壁際に追い詰め、私は殺虫剤を噴霧した。

ゴキブリは、もがきながら、やがて動かなくなった。

……こうして戦いは終わりを告げた。

ようやく寝られる……しかし戦いの興奮のせいか、なかなか寝付けず、その後私は悶々とした夜を過ごすことになったのである。

できるだけ自然に返したいという思いとゴキブリ

今回、私は部屋に現れただけの罪なきゴキブリをその手にかけた。

思えばこれまで多くの命を自らの手で葬り去ってきた。

子どものころを振り返ると、遊び半分でアリの巣を水攻めにしたこともあった。

釣りをするときに、カワムシのアタマを石で叩き潰してから針に付けたこともある。(硬いアタマが残っていると逃げられやすく、また潰すことで食いがよくなる)

その後、成長するにしたがい命への向き合い方も変わり、なるべくならば殺さずにおきたいと思うようになった

クモは見つけても放置する場合がほとんどであるし、家の中に居られては困るカメムシなどは捕まえて放つようにしている。

人間の領域に足を踏み入れてしまったものを、あらためて自然の摂理の中に返す

それが最も望ましいだろうと思っているわけなのだが……

今回の場合はどうだろうか。

振り返るとゴキブリだけは初めから「殺す」と決めつけ、一も二もなく殺虫剤を用いようとしていた。

ゴキブリだけが私にとっての「例外」になっていたのである。

知らぬ間に私が作っていた「例外」

昆虫食に抵抗もなく、大抵の虫にそれほど嫌悪感を抱かない私が、なぜゴキブリだけは敵視していたのか。

インターネットで「ゴキブリ 嫌い 理由」と検索してみると、

遺伝子レベルの刷り込みによる「人類の天敵」説、企業戦略による「サブリミナル」説など様々挙げられている。

見てみると、なるほどどれも一応の理屈は通っているようである。

しかし、私はゴキブリが嫌われる最も大きな理由「わからないこと」「捕まらないこと」「見えないこと」だと思う。

得体のしれない何かが、物陰で何かの悪さをしているかもしれない……。

これはたまらん、と排除しようとしても、想像を絶するスピードであたりを駆け巡る……。

特に北海道生まれの私にゴキブリは馴染みがない

自分の制御下に置けない「わからない」存在が……開けた原っぱで出会うならまだしも、生活空間を侵すものとして現れたときに「恐怖」や「敵意」、「嫌悪感」を抱いてしまっていたのだろう。

そしてその「恐怖」や「敵意」はいつしか、ゴキブリが「無条件で殺してもよい」対象だという思い込みに変わってしまったのではないか。

言うまでもなく、仏教の説く慈悲の心は人間だけに適用されるものではない

ありえないはずの「例外」を、私は心のうちに作ってしまっていたのである。

慈悲の心を持って

東南アジアの寺院では、雨安居うあんごと呼ばれる集中した修行期間が設けられているそうだ。

この間僧侶は外出を控え、寺院にとどまって生活を送る。

これは雨期に大量発生する虫や小動物を踏み殺さないためだという。

ゴキブリが部屋に出たら殺さざるを得ないのならば、まずは部屋にゴキブリを寄せ付けない工夫をするべきだ。

室内を清潔に保ち、防虫剤を散布する。

排水溝には必ず栓をして、通気口も開けたままにしておかない。

以前、ヒグマの話

でも書いたが、環境を整え、適切な距離を保ち、不要な衝突を避けるようにつとめる必要がある。

生理的嫌悪感は、自分でコントロールしようとしてもどうしようもないことが多いものだ。

ゴキブリが目の前に現れて、恐怖に囚われてしまうのなら。

お互いに不安や恐怖を与えあうことがないように生活環境を整えることが、ゴキブリへの一番の対処なのではないか。

おそるべき「怒り」

しかし、それだけ気を付けていても侵入されてしまうということは勿論あるだろう。

もし部屋に出たゴキブリを殺さず、見なかったことにして、室内で大繁殖したとしたら……

私はその部屋に帰ることができなくなり、ゴキブリ難民となってしまう。

その場合には……やはり、殺してしまうかもしれない。

それ以外に方法が見当たらない場合にはどうしても仕方がないということもあろう。

 

しかし、今回ゴキブリと対峙した自分にはもっとも反省すべき点がある

それは「怒り」の感情に身を任せてしまったことである。

根源的な煩悩のひとつである怒り

ゴキブリを始末しようとしたあの時、私の心には大きな「怒り」が生じていた。

私は怒りに身を任せることで「恐怖」から解放されようとしたのである。

結果としてその目論見はうまくいき、私はゴキブリへの恐れを振り払うことができた。

しかしそれは同時に、慈悲の心をも失わせる行為であったと、今にして思う。

怒りは判断を狂わせ、間違いを犯させる

怒りの恐ろしさを忘れず、これからは慈悲のもと行動を起こしていく

部屋の隅で動かなくなったゴキブリの死骸を思い出しながら、あらためて強く誓う。

それでもなお、私は虫を殺し続けるだろう。

夏の北海道で高速道路に乗って100kmも走れば、100を超える羽虫をすり潰すことになる。

スーパーで売っている野菜だって、農薬によって多くの虫の命を奪った結果としてそこにあるのだ。

車についたシミをただの汚れとして嫌うのではなく、その一つ一つが私の行動によって失われた命であり、自分の生活が多くの命の上に成り立っているのだということを、忘れずに生きていきたいと思う。

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