先日福井新聞ONLINEにこんな記事が。
修行道場には春と秋に上山の季節があります。
禅活のメンバーも3人が年は違えど同じように永平寺の山門をくぐりました。修行の覚悟、永平寺新参僧に問う 「上山」始まる、先輩の僧が問答 | 催し・文化 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE https://t.co/yH3eDgbixq
— 禅活-zenkatsu- (@zenkatsu_zen) February 19, 2019
2014年3月7日、私も彼らと同じように曹洞宗の大本山永平寺へと上山しました。
そして二年間の永平寺での生活を終え、曹洞宗総合研究センターに修行の場所を移しました。
ここでは、私の永平寺上山の記憶をお話しします。
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まさかの雪
駒澤大学を卒業した私は、修行へ行くことになりました。
どこに修行に行くか考えましたが、過去に父である師匠が指導者として赴任していたこと、環境や建物の厳かさ、そしてなにより、日本に曹洞宗を伝えた道元禅師が開かれたお寺であることから、私は永平寺に行くことにしました。
ところで、皆様は覚えているでしょうか?
2014年という年は平成26年豪雪と呼ばれる、関東でも大雪が降った年でした。
東京はもちろん、普段ほとんど雪の積もらない私の地元、栃木県足利市でも積もりました。
ただし、知り合いから「太平洋側で大雪が降った年は日本海側では雪が降らない」という話を聞き、永平寺がある福井県も今年は暖かいのではないかと、少し安心していました。
実際に、上山一ヶ月前に事前研修で訪れた永平寺は、冬でありながら暖かな陽が差し、雪も全くありませんでした。
ところが上山前日、事態が変わります。
当日は師匠に車で福井まで送ってもらう予定でしたが、その日の福井の天気予報はまさかの雪。
万が一通行止めになったりしたら時間に間に合わないということも有り得る。
さらに門前街の旅館もその日は部屋がとれませんでした。
そこで出した結論は、
当日、電車で行く。
それのどこが大変なの?思われるかもしれませんが、この時大変なのは服装です。
曹洞宗の修行僧には、上山の際に定められた服装があります。
それがこちら。
袖と裾をたくし上げた着物に草鞋と網代笠。
生活用品やお袈裟を入れた行李を肩から下げた、昔から続く僧侶の旅装です。
この写真は永平寺を下りた時の写真なので表情に余裕がありますが、上山の時はどんな顔をしていたのやら。
私はこの服装で電車に乗り、地元足利市から福井県へと向かうことになったわけです。
出発の朝
その朝は、前日なかなか寝付けなかったこともあってか、目を開けても夢うつつで修行に行くのが現実とは思えませんでした。
そして、母が用意してくれた朝食はいつになく豪華でした。
しかしなぜか、大好きな唐揚げすら喉を通りません。
「なんだかんだ緊張してるんだね」
と家族に笑われつつも、全く実感は湧きません。
身支度を整え、涙を浮かべる母に別れを告げて、師匠の車で駅に向かいます。
師匠は多くを語りませんでしたが、
「辛い時はみんな辛いんだから、そんな時こそ思いやりをもって頑張れ。」
という一言をくれました。
修行僧として見る景色
地元である足利市から福井へ向かうには、
在来線を含め4回の乗り換えがあります。
学生の頃よく乗っていた山手線のドアのガラスには、修行僧の服装をした自分が映っていました。
つい先日までスニーカーで乗っていた電車で、草鞋の紐を縛りなおす私。
周りの乗客からは「見ないようにしている空気」が伝わってきます。
慣れない服に慣れない荷物を背負って、
慣れない履物を履いた、これから修行僧となる自分がそこにいました。
見慣れたはずの景色の中に溶け込めずにいる自分がいることに気づいた時、
「ああ、本当に修行に行くんだな」
という思いがついに湧き上がってきたのです。
東京駅に着くと、東海道新幹線で米原へ向かい、特急に乗り換えます。
私は昼ごはんを、と思いますが食欲がなく、売店で小さなサンドウィッチと小さなコーラを買いました。
新幹線に明らかに馴染まない格好で乗り込み、座席につきます。
その道中、私は今度いつ触れるかもわからない携帯電話で大切な人たちに連絡をとりました。
次はいつ聴けるかもわからない音楽を、袖でイヤフォンを隠しながら聴きました。
売店で買ったサンドウィッチはおろか、
コーラすら喉を通らなくなっていました。
米原に着き、特急「しらさぎ」に乗り換えます。
あと一時間で福井。
私を米原から福井へと運ぶしらさぎが途中で長いトンネルと越えると、その年降らないはずたった福井の雪がしんしんと降っているのでした。
vol.2へ続く
【動画版】