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先日福井新聞ONLINEにこんな記事が。

5年前の3月7日、私も彼らと同じように曹洞宗の大本山永平寺へと上山じょうざんしました。

そして二年間の永平寺での生活を終えて、今度は曹洞宗総合研究センターへと修行の場所を移しました。

これから不定期ではありますが、私の上山の記憶を連載していきます。

まさかの雪

5年前、私は駒澤大学を卒業し、修行へ行くことになりました。

覚えているでしょうか?2014年という年は平成26年豪雪と呼ばれる大雪が降った年でした。

東京はもちろん、普段ほとんど雪の積もらない筆者の地元、栃木県足利市にも雪が積もりました。

ただ、太平洋側で大雪が降った年は日本海側では雪が降らないと聞き、永平寺がある福井県も今年は暖かいのではないかと、少し安心していました。

実際に、上山一ヶ月前に事前研修で訪れた永平寺は、冬でありながら暖かな陽が差し、雪も全くありませんでした。

ところが上山前日、事態が変わります

当日は父である師匠に車で送ってもらう予定でしたが、その日の福井の天気予報はまさかの雪。

万が一通行止めになったりしたら時間に間に合わないということも有り得る。

しかし、門前町の旅館の部屋も取れない。

そこで出した結論は、

当日電車で行く。

それのどこが大変なの?思われるかもしれませんが、この時大変なのは服装です。

曹洞宗の修行僧には、上山の際に定められた服装があります。

それがこちら。

そですそをたくし上げた着物に草鞋わらじ網代笠あじろがさ
生活用品やお袈裟を入れた行李を肩から下げた、昔から続く僧侶の旅装です。

この写真は永平寺を下りた時の写真なので表情に余裕がありますが、上山の時はどんな顔をしていたのやら

私はこの服装で電車に乗り、地元足利市から福井県へと向かうことになったわけです。

出発の朝

その朝は、前日なかなか寝付けなかったこともあってか、目を開けても夢うつつで修行に行くのが現実とは思えませんでした。

母が用意してくれた朝食はいつになく豪華でした。

しかし大好きな唐揚げすら喉を通らない。

「なんだかんだ緊張してるんだね」と家族に笑われつつも、全く実感は湧きません。

身支度を整え、涙を浮かべる母に別れを告げて、師匠の車で駅に向かいます。

師匠は多くを語りませんでしたが、

「辛い時はみんな辛いんだから、そんな時こそ思いやりをもって頑張れ。」

という一言をくれました。

修行僧として見る景色

地元である足利市から福井へ向かうには、在来線を含め4回の乗り換えがあります。

生の頃、しょっちゅう乗っていた山手線のドアのガラスに、修行僧の服装をした自分が映っている。

そしてほどけた草鞋の紐を結んでいる。

周りの乗客からは「見ないようにしている空気」が伝わってきます。

慣れない服に慣れない荷物を背負って、慣れない履物を履いた修行僧となる自分がそこにいました。

見慣れたはずの景色の中に、溶け込めずにいる自分がいることに気づいた時、「ああ、本当に修行に行くんだな」という思いがついに湧き上がってきたのです。

東京から東海道新幹線で米原へ向かい、特急に乗り換えます。

次はいつ触れるかもわからない携帯電話で大切な人たちに連絡をとりました。

次はいつ聴けるかもわからない好きな音楽を、イヤフォンを隠すようにして聴きました。

好きだった食べ物は、この時全く喉を通らなくなっていました。

そして私を米原から福井へと運ぶ「特急しらさぎ」が長いトンネルと越えると、その年降らないはずたった福井の雪がしんしんと降っているのでした。

 

続く

 

 

 

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