法話「いただきます、は海を超えて」by原山佑成(2023/8/23禅活しょくどうにて)

毎月開催している精進料理&食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、
現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。

今回は2023年8月23日の回で原山佑成さんがお話しした法話です。

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法話「いただきます、は海を超えて」

みなさん、改めましてこんばんは。

今回からの法話では、曹洞宗で食事をする前のお唱えの一つ「五観ごかん」をテーマにして、メンバーが順番にお話しいたします。

「五観の偈」は中国の書物で説かれ、道元禅師が著した、『赴粥飯法』の中にも登場する短い詩です。

この短い詩のことをこれを偈文げもんといいます。

「五観の偈」は元々口には出さず心で想うものでしたが、今はお唱え事として定着しました。

その内容は、目の前にした食事を五つの視点から見つめるものです。

そうして目の前の食事とそれをいただく自分を省みることで、食事は欲を満たすものではなく修行であることを再確認する、とても大切なお唱えです。

そんな「五観の偈」から、本日は初めの一節についてお話をさせていただきます。

 

一つには功の多少を計はかり の来処を量る。

 

「功の多少」とはここまでにどれだけの人の手がかかったか、
「彼の来処」とは、どのようにしてやってきたか、ということです。

つまりこの一節は、目の前の食事がどれだけの命と関わり、どうやって目の前にやってきたかを推し量るというものです。

先程まで私たちの目の前にあった料理にはたくさんの食材が使われていました。

カレーライスには、野菜やお米、カレー粉や出汁、スパイスなど、挙げ始めるとキリがありません。

また、それらの食材の生産者の方々や、加工をされる方々、仕入や販売をする方々、「こまきしょくどう」のスタッフさんなど、こちらも挙げ始めるとキリがないくらいの多くの人たちの手間や苦労、想いが一皿に詰まって運ばれてきます。

ここで重要なのは、たった一度の食事の中に、計り知れないほどの食材や人とのご縁が重なり合って、食べることができているということです。

食べるのが肉でも野菜でも、私たちは計り知れないほどのご縁をいただきながら生きているのです。

一説によると、私たちが一生に行う食事の回数はおよそ八万八千回に及ぶそうです。

一度の食事ですら計り知れないご縁をいただいているのに、それが八万八千回ともなると、いよいよ想像もつかない世界になっていきますが、そんな想像もつかないほどの縁によって私たちは生かされている、ということに思いを馳せることが何より大切です

現代の日本は、飽食の時代ともいうように、身の回りに食べ物が溢れ、お金さえあればいくらでも食べ物が手に入ります。

私自身も、ありがたいことに食べることに苦労したことはなく、修行中ですら一日三食いただくことができました。

そんな中で、つい食べるということが当たり前な営みに思えてしまう瞬間もありますが、先日そんな自分を戒める経験をしました。

ハワイ研修での経験

先月7月21日〜28日にかけて、私は生まれて初めて海外に行きました。

その行き先はハワイ。

新婚旅行で、と言いたいところですが、総合研究センターの研修としてのハワイ旅行でした。

実はハワイには現在曹洞宗のお寺が九ヶ寺あり、今回ハワイを訪れたのは曹洞宗の海外開教120年記念にあたって、ハワイの曹洞宗寺院がどのような活動をしているのか、またハワイで曹洞宗や仏教がどのように受け入れられているのかを調査する目的で、一週間ほど滞在しました。

さて、ここまで、観光目的ではないことを皆さんにお伝えするために慎重に言葉を選んでお話ししましたが、研修といえども私は内心ハワイに行けることを凄く楽しみしていました。

初の海外旅行だったうえ、澄み切った綺麗な海と、ダイアモンドヘッドを代表とする雄大な自然。

人も温かい南国リゾートのハワイを想像するするなという方が酷というものです。

しかし、そんな私のハワイ旅行は、想像したものとは違うものになりました。

それは、研修中でハワイの日系人の歴史と、想像を絶する努力を知ることになったからです。

先ほどもお伝えしましたが、ハワイには曹洞宗をはじめとして多くの日本の仏教寺院が存在します。

その理由としては、かつてハワイには多くの日本人が移民した歴史があります。

明治元年に百五十人人ほどの日本人が日本からハワイの地に渡りました。

その後も六十年の間に二〇万人以上の日本人がハワイに移住しました。

その理由は、サトウキビ畑での労働でした。

当初は日本からハワイに渡って労働し、大金を稼いで日本に戻ってくる、いわば出稼ぎのような感覚だったと言われています。

しかしその実態は異なり、実際は奴隷のような扱いを受けていたそうで、現地では厳しい労働環境のもと、安い賃金で強制的な労働を強いられていたのです。

当然生活は貧しかったため、食べられるものは限られていました。

それでも日本からの移民の方たちは必死に労働をして、少しずつハワイでの地位を築いていったのです。

そして、さとうきび畑で労働をする多くの日本人のために、日本から宗教者が派遣されることになりました。

ハワイで最初の曹洞宗寺院が創設されたのは一九〇三年のことで、今から百二十年前のことです。

当然、曹洞宗以外の宗派も続々とハワイでの布教活動を進め、お寺はハワイで厳しい労働に励む人々の心の支えになっていました。

そんな中で起こったのが太平洋戦争の火種ともなった、真珠湾攻撃です。

当時の日本軍はアメリカへの先制攻撃として、真珠湾(パールハーバー)に存在したアメリカ海軍の基地に攻撃を仕掛け、その結果として真珠湾では多くの犠牲者が出ました。

当然その影響はハワイのサトウキビ畑で労働をしていた日系人にも大きな影響をもたらしました。

当時ハワイに在住していた日本人宗教者や、指導者と呼ばれる一部の人たちは、強制収容所に収容されてしまいます。

また、ハワイの日本人や日系人は母国である日本を敵国としなくてはならず、自分の故郷への思いを殺しながらアメリカに従軍しました。

結果として日系人を主として編成された部隊が戦争で大きな成果を挙げたことにより、ハワイでの日系移民の地位は確固たるものとなりました。

最も代表的な人物としては、現在ホノルル空港の名前にもなっている、ダニエル・ケン・イノウエさんです。

ダニエルさんは日本名だと、井上健さんという名前です。

井上さんは日系二世でありながら、第二次世界大戦中はアメリカ軍に従軍し、戦闘によって右腕を失いながらも勝利に貢献し、戦後はアメリカの上院議員にもなった人物です。

イノウエさんを代表とする日系人たちは戦争後もハワイの地に留まり、それぞれが事業で成功するなど多くの功績を残しました。

現在ハワイで日本語が通じる場所が多いのは、多くの日系人たちの活躍によるものなのです。

ハワイでの研修期間中、現地では多くの日本の文化や風習に触れることがありました。

その一つが盆踊りです。

現在の日本では大々的に行なっている場所は少なくなった印象を受けますが、ハワイの盆踊りは活気があり、白熱していました。

老若男女が櫓を中心として円になり、一体となった様子に、私は盆踊りのなんたるかを教わったような気分でした。

特に「福島音頭」という曲が印象的で、「福島音頭」の演奏が始まると、それまで見学していた人たちが一斉に櫓の周りに集まり、二重・三重の円になって熱気を帯びて踊っていました。

ハワイで出会った「いただきます」

そして、私が現地で感動したことがもう一つあります。

それは私がジッピーズというハワイでは有名なファミリーレストランで食事をしていた時のことです。

店内にいた日本人は私を含めて研修に同行した二人の僧侶だけ。

他にもたくさんお客さんはいたのですが、みなさん現地の人たちでした。

ふと私が他のお客さんのテーブルを見ると、若い女性の元に料理が運ばれてきたところでした。

どんなものを注文したのだろうと横目で見てみると、そこには大きくて分厚いステーキが三枚も重なっており、アメリカの人たちの一食分の食事量に驚きながら、少しの間眺めてしまいました。

そして次の瞬間、驚くべきう光景を目にしました。

その方が片言の日本語で「いただきます」と言ってから食事を始めたのです。

私はそれまで、食事の前に「いただきます」と言う文化は日本にしかないと思っていました。

しかし、明らかに日本人とは違う欧米の若い女性が、手を合わせて「いただきます」と言っていたのです。

日本に旅行に来た方が言うことはあっても、まさか海外で聞くとは思いませんでした。

その女性がどのような経緯で「いただきます」を知ったのかは分かりません。

もしかすると、意味を知らない可能性もあります。

しかしながら、移住後の苦労や戦争の中で満足に食事をすることができなかった歴史の上に今があることを思えば、不思議なことではないのかも知れません。

現在でもハワイには、日系の方達が多く住んでいます。

その方達は自分のルーツが日本にあることを誇りに持って、日本語学校に通い、日本の文化を大切にしているそうです。

おそらくその方達のご先祖さまは、サトウキビ畑で苦労をしていたのだろうと思います。

貧しい生活の中で、食事が出来ることのありがたさを噛み締めながら「いただきます」と手を合わせていたのではないでしょうか。

それは、決して当たり前ではない一食を目の前にしての心の底からの営みであったはずです。

そしてその心の在りようが日系人のみならず現地で広く伝わっていったのかもしれません。

 

はじめにご紹介した「五観の偈」の最初の一節。

 

一つには功の多少を計はかり 彼の来処を量る。

 

今、目の前にある食事に込められた計り知れないご縁をいただくということに対して、私は頭では分かっていても心の底から思いを馳せることはできていなかったかもしれません。

貧しさを知らずにここまで生きてこれたことも先人たちが紡いでくれたご縁によるものです。

一度の食事、一皿の料理の中には今日に至るまでの歴史すらも込められていることを、私はハワイで聞いた「いただきます」に教えてもらったような気がします。

 

 

 

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