仏教と肉食について考えるこちらのコラム。
初めの三回では食肉加工場で見たものや、食肉加工という職業の内容と根強い差別について書きました。
そして前回からは、仏教と肉食の歴史を振り返るため、インド仏教における肉食について触れました。
今回はインドからシルクロードを通って仏教が伝わった中国仏教と肉食についてのお話です。
Contents
禅宗の誕生と背景
中国に仏教が伝わったのは1世紀頃と言われ(諸説アリ)、インドでお釈迦様が亡くなってからは少なくとも約400年は経った頃でした。
中国ではすでに儒教が人々に生きる指針となっていたため、仏教といっても初めはお経の翻訳が中心でした。
それから徐々に教団ができたり、時の皇帝に保護されるなどして仏教信仰が盛んになり始めます。
そして、後に日本の臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の元となる禅宗が誕生するのが、5世紀頃のこと。
インドからやってきた菩提達摩大師が禅を伝えたと言われています。
菩提達摩というのはあのダルマさんのことですね。
余談ですが、ダルマさんが丸い形をしているのは防寒用の布をかぶって坐禅をしている姿が由来なんですよ!
インドとの違い
さて、その菩提達摩大師が中国でお弟子さんと出会い、広がっていった禅宗ですが、ここで一つ問題がありました。
それは、中国には托鉢という習慣がなかったということです。
インドではお釈迦様が生まれる前から、修行僧に食事を供養することで功徳を積むということが習慣になっていたため、修行僧は料理や農耕などの労働を一切しませんでした。
労働に関わらずに修行生活に打ち込むことが、世俗を離れ、経済活動を離れた本当の出家であったわけです。
しかし、中国にはその習慣がありません。
そのため、特定の人に寄付をしてもらうか、時に皇帝によって養われるかというくらいでしか、修行僧が食べていく方法がありませんでした。
作務の誕生
しかし、ある時期を境に禅宗で修行の改革が行われます。
それは、修行の中に寺院運営に必要な労働を組み込むということです。
寺院運営と言っても、掃除や洗濯、料理や畑仕事といった、いわゆる日常生活です。
しかしこれはインド修行僧には全て禁じられていたことでした。
この労働全般を「作務」と言い、日本の禅宗の修行にも伝わっています。
この「作務」の誕生が、山奥での集団生活を可能にし、寺院での修行生活というものが確立されたのです。
後に百丈懐海禅師が修行道場の規則である「清規」をまとめ、禅宗は花開き、多くの優れた禅僧を生み出していきました。
中国仏教と肉食
そして、中国ではお盆の元となった『仏説盂蘭盆経』のように、中国の土地や修行に沿った形で新たなお経も生まれます。
その一つが『梵網経』というお経で、ここには中国仏教における「戒」が説かれています。
中国に伝わった頃のインド仏教はすでに他宗教の影響を受けていたのでは、
という議論もありますが、いずれにせよここでは明確に肉食が禁止されています。
作務によって草刈りや農耕が可能になった、
いわば生活の為にある種の殺生が可能になった中国で肉食が禁止される理由はなんでしょうか。
その理由は「慈悲の種が断たれるから」と『梵網経』にはあります。
これは非常に大きな特徴です。
「食べ物」という判断
元々、遊牧民の文化も混ざる中国は肉食が非常に盛んな国でした。
その為、歴史上で仏教に帰依した皇帝が肉食を禁じても止めることができなかったそうです。
先ほどの『梵網経』でいう「慈悲の種が断たれる」というのは、
人間が美味しいものを「食べ物」と判断することに関係するのかもしれません。
例えば、最初に誰かが豚を食べるまでは、「動物」として見ていたかもしれませんが、「美味しい」と思った瞬間に豚には「豚肉」という価値が追加されます。
そうやって美味しさや栄養価という価値は、人間の生き物の見方を簡単に変えてしまうものです。
ここで前回ご紹介した「三種の浄肉」も、これと関連させて考えて見ましょう。
あくまで推測ではありますが、僧侶が肉を作る過程を知ってはいけなかったのは、生き物を食糧と見てしまうようになる、という面があったのかもしれません。
そして、これについては一つ恐ろしい例があります。
ショッキングな内容なので苦手な方は飛ばしてください。
ある島の悲劇
戦時中、ある島で潜伏した日本兵が手を出してしまった食べ物があります。
それは人間です。
その島の住人をさらって食べたのです。
一度ではなく、何度も村に現れて。
その島には他の動物や草木など、食糧となるものは他にもあります。
つまり、狙って食べたのです。
『もの食う人びと』という本では、この「被害者」の遺族の言葉が書かれています。
「食べ物」と認識することは人間の本能の仕事であり、ただでさえ様々な感覚が麻痺していた当時ならば、難しいことではなかったのかもしれません。
中国での不殺生
また、『梵網経』では殺生については「快意殺生」を戒めています。
快意というのは快楽のことで、楽しさや愉快さですが、美味しいというのも一つの快楽に入るかもしれません。
インドでは虫も雑草も含め、あらゆる殺生が禁じられていましたが、ここでは殺生の中に一つの区切りができています。
つまり、快楽の為に殺すことと、肉食を禁じたというのが中国の禅宗の特徴です。
これがあったことで、草刈りや農耕を含む作務が、修行となり得たのかもしれません。
「寺院に運営の為」という建前があれば何をしても良い、となっていればきっととんでもないことになっていたのではないでしょうか。
中国での食肉加工
また、中国では食肉加工という仕事はどのように扱われていたのでしょうか。
実は仏教が伝わったインド、中国、朝鮮、日本の中で、
食肉加工業に対して唯一社会的な差別が行われなかったとされるのが、中国です。
それどころか、宮廷の官職、つまり役人の仕事が与えられていた時代もあるほどです。
中国にも歴史上、上を「良」下を「賎」とする身分制度が存在しましたが、この身分外とされる階級はなかったそうです。
そしてインドや日本の身分制度の中核をなした「浄」や「穢」にあたる概念はこの身分制度の中にはなかったのです。
まとめ
中国は、今でも食の多様さが知られていますが、昔から盛んに肉食が行われ、その国土も相まって大きく禁止されたことはなかったようです。
その反動なのか、仏教では肉食が禁じられ、日本で受け入れられやすい形へと変化しました。(その理由は次回)
また托鉢という習慣がない地域で仏教を根付かせる上で、中国の禅宗で作務が生まれた影響は計り知れません。
細かく歴史を見ていけば、もっと細かな動きがあるのだとは思いますが、中国仏教における肉食については以下の点を抑えていただきたいと思います。
・肉食そのものが禁じられた。
・殺生は「快意」を伴うものが禁じられた。
・社会背景としては肉食・食肉加工の立場は悪くなかった。
次回は、日本の肉食を見ていきます。