【肉を食べるということ】食肉加工場にいってきました vol.1

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「お坊さんってお肉食べていいの?」

これはとてもよくある質問です。

最初に言います。

お肉大好き!

牛豚鶏はもちろん、羊やイノシシ、ワニやウミガメも美味しく食べたことがあるくらい、お肉ならドンと来いという感じです。

ちなみに禅活-zenkatsu-メンバーもみんなお肉を食べますし、他のお坊さんもだいたい食べます。

こんなことを言うと生臭坊主とか、戒律を破っているとか殺生に加担するのかとか、いろんなことを言われるかもしれません。

しかし私は、「仏教と肉食」について考えたことがきっかけで、食に関する活動を始めました。

このコラムでは、私の活動の原点でもあり、今も大きな課題である「仏教徒が肉を食べること」について色々考えてみたいと思います。

Contents

肉はどこからやってくるのか

五観の偈

曹洞宗の食事作法では、いくつかお唱えごとをします。

その代表的なものが五観ごかんというもので、食事の際の五つの心構えが示されています。

その一つ目が「功の多少を計り、彼の来処らいしょを量る」というもの。

これは簡単に言えば「どれだけの手がかかって、どのようにやってきたかを推し量る」という意味です。

一杯のお粥は、農家さんが一生懸命にお米を作って収穫し、運送業者さんが運び、お店の人が売り、炊いてくれた人がいて初めて器に入ります。

量っても量れない多くのご縁の上にこの食事があるという心が、この一節には表されています。

修行中、今まで経験したことのない空腹感の中でこの言葉を噛みしめると、食べ物の本当のありがたみがわかった気がしました。

 

「彼の来処」が量れない!

永平寺から帰ってきてもその気持ちは忘れず、一つ一つの食べ物とこうして巡り会えたご縁の有り難さを感じていました。

ただ、どのような手間、どのような過程を経て目の前にやってきたのかを知らない食材がありました

それがお肉です。

野菜も果物も魚も、どこからどうやって生産されて運ばれてくるのかは、普段直接見られないものでもだいたい一度は見たことがあったり、想像もつきます。

しかし、お肉だけは、豚も牛も、牧場と店頭の間の過程が抜けているのです。すっぽりと。

さんざん食べていながら、どうやって食卓まで運ばれているのかも知らない、これでいいのだろうか。

私はそんな現状に愕然としました。

食肉加工場見学決定

そして転機が訪れたのは3年前。

私が所属する曹洞宗総合研究センターの研修で、東京都品川区にある東京都中央卸売市場・芝浦と場の見学の機会をいただいたのです。

「僧侶の皆さんが学ぼうと言ってくれるなら」ということで一般公開されていない「と場」見学をすることができました。

なぜ一般公開されていないかというと、そこには食肉加工という職業に対する根深い差別があるからです。

食肉加工と差別の歴史

食肉加工業、つまり牛や豚などの家畜を解体する仕事の歴史は古く、元々は食肉用に育てられた牛や豚ではなく、何らかの原因で死んでしまった牛や馬などの動物を解体して皮などに加工するのが主な役割でした。

しかし、日本では古くから、死や血に対するけがれ」「罪業」という観念が強くあり、こうした仕事に携わる人を差別したり、低い身分に位置付けていきました。

こうした社会の背景には、町人や農民と呼ばれる人々を安心させて統治したい権力者の思惑もあったようです。

そうして生み出された「穢多」や「非人」という呼称は、日本で肉食が本格的に始まった明治時代、四民平等と言われてもなお、無くなることはありませんでした。

この歴史には時代時代で様々な変化があり、複雑になりますのでまだまだ書ききれない、また私が学び切れていない部分が多々あります。

ただ、ここで知っていただきたいのは、こうした科学的な根拠のない差別は、形を変えて令和の世にもまだ残っているということです。

現代の食肉加工業への差別

先日、維新の党の党員である長谷川豊氏は、こうした差別を受けていた人々のことを「犯罪のプロ集団」と自身の講演の中で発言し、問題となりました。

https://www.asahi.com/articles/ASM5Q4FKJM5QUTIL01X.html

政治家だけの話ではありません。

実際に芝浦と場に行くと、研修用の建物の中に送られてきた差別文書が張り出されています。

ただただそこで働く方々を貶める罵詈雑言を書き連ねた文書は、怒りを通り越して悲しくなるものでした。

そしてこれらの発言の根底にあるのは、知識や教養ではなく、誰かを見下して保とうとする弱い自我です。

今、お肉や革製品を一切必要とせずに生活している人がどれだけいるでしょうか?

百歩譲って、医療や科学が発達していなかった時代に血や死を恐れるならば、まだわかります。

しかしこれだけ医療も科学も進歩しているのに、変わっていない「根っこ」があるのです。

現在でもこうした職業の差別があること、そしてそれを知らずに肉を口にしている自分がいたことに、ショックを隠せませんでした。

食肉加工場見学事前講習

以上のような背景から、食肉加工場を見学する際には正しい知識をつける必要があり、事前に講習を受けます。

芝浦と場の職員であり、部落解放同盟の会員として差別を無くすために活動されている高城さんからお話を伺います。

そして、その一言目は

「私たちは牛や豚を解体する時にかわいそうとか申し訳ないという感情は持ちません」

というものでした。

この一言に、食肉加工という職業の方々が受けてきた今までの色んな不条理や差別の歴史が垣間見えた気がしました。

稲刈りをする人がわざわざこんなことを言うでしょうか?

マグロの解体をする人がわざわざこんなこと言うでしょうか?

昔から今も変わらず、必要とされるからやっている仕事なのに、浴びせられてきた心ない言葉や敵意の積み重ねが、高城さんにこの言葉を言わせたように、私は思います。

もしかすると宗教者の言葉が傷つけたこともあったかもしれません。

それでも正しい理解のために、高城さんは先ほど紹介したような差別の歴史に触れ、注意事項などの案内をしてくださいました。

この日はこれで解散となり、この2週間後に実際に工場を見学します。

 

決して読んでいて笑えるようなコラムにはならないと思いますが、これはぜひ知っていただきたいことです。

お付き合いいただけると幸いです。

 

vol.2へつづく

 

食肉加工の歴史についてちゃんと知りたい方にはこちらの本をお勧めします。

「いのちの食べ方/森達也著」角川文庫・2014年

 

 

 

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