僧侶がグッときた言葉 #3 「地獄でなぜ悪い/星野源」

スポンサードリンク

禅活-zenkatsu-のTwitterアカウント(@zenkatsu_zen)で不定期更新している企画【僧侶がグッときた言葉】

ここでは禅活のメンバーが僧侶として気づきのあった言葉、感動した言葉をご紹介しています。

最近はインスタグラム(@zenkatsu_zen)でもグッときた言葉を手書きして公開していますのでぜひフォローをお願いいたします!

その内容は音楽、漫画、映画、著名人、お経など、ジャンルを問いません。

ここでは僧侶がグッときた理由を、詳しくご紹介します。

 

Contents

星野源という人

グッときた言葉を紹介する前にまずはこの人の事を語らせていただきます。

星野源

今やこの名前を聞いて全く知らないという方は少ないのではないでしょうか。

俳優・ミュージシャン・タレント、どの角度から見ても超一流で、お茶の間の印象の良さも日本トップクラスという、スーパー芸能人です。

私が星野源さんを知ったの大学生の頃。

前回の記事で買いた通り、ラジオが大好きだった私は、TBSラジオで深夜に放送される「バナナマンのバナナムーン」をよく聴いていました。

その日は五月の日村さんバースデースペシャルの回で、相方の設楽さんがプレゼントをあげたり、芸能人からのお祝いコメントが届くなど、深夜番組特有の盛り上がりを見せていました。

そしてサプライズゲストとして「ど〜も〜」と入ってきた人物に、日村さんは「おー!ゲンくん!ゲンくん!」と驚いた様子。

当時の私は、それが誰なのかわからずぽかーんとしながら聴いていると、その人物はバースデーソングと称してバラード調の曲を弾き語りし始めます。

(ちなみにこのバースデーソング企画を元に、「SUN」や「Family Song」が生まれました。)

しかしそれは、っかり作られたメロディの中で日村さんを貶していくという手の込んだお笑いだったのです

めっちゃおもしろい!

この人何者だ!?

これが私のファースト・星野インパクトでした。

気になった私は星野さんの経歴を調べてみました。

元々は「SAKEROCK(サケロック)」というインストバンド(ボーカルのいないバンド)として活動する傍ら、俳優としても活動していた星野さんは、2006年の「アキハバラ@DEEP」というドラマでバナナマンのお二人と共演します。

それからバナナマンの設楽さんと意気投合し、バナナマンのライブのテーマソングを作るようになった、という関係性だということが調べてみてわかりました。

それからは毎年星野さんのバースデーソングを楽しみにしていましたが、大学卒業と共に修行に行ったため2年間情報が途絶えてしまいました。

アルバム「Yellow Dancer」と闘病

永平寺での修行から帰ってくると、星野さんは「SUN」が大ヒットし、超メジャーアーティストに。

 

ラジオで好きだっただけの私も、「SUN」が収録されたアルバム「Yellow Dancer」を購入。

 

ブラックミュージックの雰囲気を備えた日本のポップスという感じがとても心地よく、歌詞も練られていて、アルバムでリピートしたくなる一枚でした。

 

また、ミュージックビデオも作り込まれたものが多く、Youtubeで色々見ていると、一きわ目立つ作品がありました。

それが今回ご紹介する「地獄でなぜ悪い」のミュージックビデオでした。

まずはご覧いただきたいと思います。

他の作品と異なり、本人が出てこず、全編がアニメになっているのです。

それもポップな感じではなく、なにかただごとではない感じの。

そして最後の最後、腕を管に繋がれた状態でピースをする人の手が映ります。

いったい二年の間に何があったのだろう。

そう思い調べてみると、衝撃の事実がありました。

忙しさの中でのくも膜下出血

2012年、俳優・ミュージシャンとしての仕事が軌道に乗り、多忙を極めたある時、星野さんはくも膜下出血でます。

その時の様子は星野さんが執筆した「蘇る変態」に詳しく書かれていますが、手術後の薬の副作用や辛いリハビリなどを経て、なんとか復帰することができました。

復帰翌年、園子温監督の映画「地獄でなぜ悪い」に出演、さらの主題歌制作を担当することになった2013年、くも膜下出血が再発、2度目の入院を余儀なくされます。

そう、ミュージックビデオに映った管で繋がれた手は、入院中の星野さん自身だったのでした

映画と同タイトルの主題歌「地獄でなぜ悪い」の歌詞には、病室での自身の心境が込められているのです。

病室 夜が心を そろそろ蝕む

唸る 隣の部屋が 開始の合図だ

と歌い始めるこの曲の歌詞こそが、今回のグッときた言葉です。

#3 「地獄でなぜ悪い/星野源」

「ここは元から楽しい地獄だ」

修行から帰ってきたばかりだった当時、仏教の勉強を大してしていなかった私にも、この言葉には何かすごい意味があるのが、なんとなくわかりました。

そして、仏教を学んでいくなかで、やはりこれは闘病の中で自己を見つめた人だからこそたどり着いた言葉であることがわかりました。

そもそも「苦」の中に生まれている

仏教では、この世は「一切皆苦」であると考えます。

苦というのは「思い通りにならない」という意味で、この世のあらゆるものは思い通りにならないというのが仏教の基本的な人生観なのです。

そしてそんな思い通りにならないこの世界を、仏教では「耐え忍ぶ世界」という意味で「娑婆」と言います。

私たちはそもそも幸せの中に生まれたわけではなく、辛くてしんどい世界の中で一時的に「喜び」や「幸せ」というものを感じているのです。

自分の仕事が順調にいっている最中で死に直面して再び帰ってきた時、星野さんの目にはこの世界が違ったもの見えたのかもしれません。

幸せな世界で自分だけが不幸に見舞われたのではなく、

「そもそも辛く苦しい世界の中で、自分は生きがいや楽しさを見つけることができていたんだ」

そんな風に思ったことで、この歌詞が生まれたのではないかと私は考えています。

考えてみれば、今自分が幸せだとすれば、それは本当に奇跡的なことなんですよね。

一時的に自分の望む現実がここにあるけど、それは次の瞬間にはなくなってしまうかもしれない。

そんなギリギリのバランスの中で私たちは生きています。

だからといって全てを諦めて、悲観して生きるのではなく、より良い今を生きようとすることが大切なのです。

この曲の最後に

ただ地獄を進むものが 悲しい記憶に勝つ

という言葉がありますが、辛く苦しい地獄のようなこの世界を歩んでいくことで、人は生きていることの奇跡を噛み締めて、周りを元気付けるようなエネルギーを発することができるのだと、星野さんは教えてくれたのでした。

 

いやー、語り足りません。笑

星野源特集やろうかなあ。

 

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事