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大相撲9月場所は、新横綱照ノ富士関の優勝で幕を閉じました。
ケガからの復帰優勝、そしておなじく両ひざの大けがから幕内に復帰した宇良関との取り組みは大いにファンを沸かせました。
また朝青龍関の甥っ子で気鋭の力士である豊昇龍関の一本背負いが見られるなど、今場所も見ごたえのある取り組みが多くあったと思います。
そして、場所後には、衝撃的なニュースが飛び込んできました。
それは、長きにわたり横綱として活躍し、大相撲の歴史の中で先人たちが打ち立てた数々の記録を更新した白鵬関の引退表明です。
八百長問題や賭博問題、薬物問題、その他の不祥事によって大相撲自体が存続の危機に立たされていたときに、相撲の信頼回復、人気回復にもっとも貢献されたのは白鵬関に他なりません。
一方で、ここ数年は立ち合いにおける激しいかち上げや張り差しが物議を醸し、また物言いアピールや万歳三唱、時折見られたダメ押し、長期休場などが積み重なり、悪いイメージもついてしまっていました。
今回は大横綱、白鵬関について久保田が思うところを述べていきます。
(※推測によって書いている部分が多々あります。いちファンの戯言とお目こぼし下さい。)
Contents
白鵬関が追い求めた相撲道とは
私が白鵬関に対して抱いている印象は、ひたすらに勝負に徹し、相撲のすべてを追求している力士というものです。
過去の名横綱について真摯に学び、幻とすら言われる「呼び戻し」すら再現して見せた白鵬関。
「張り手も相撲の技」とは名横綱、双葉山関の言葉でしたでしょうか。
たびたび批判の対象となる激しいかち上げも猫だましも、張り手も、すべてが相撲の技です。
自分が使うことのできる技はすべて使い、自分にできることはすべてやる。
逆に言えば、そうしなければ勝負に手心を加えることになる。
そのような思いがあったのかもしれません。
百尺竿頭進一歩。
白鵬関は横綱の地位にあぐらをかくことなく、どこまでも相撲を追求し続けた力士だったと感じています。
張り手、かち上げ問題について
ところで、張り手やかち上げは、本当に横綱の「品位」を欠く技なのでしょうか。
白鵬関の追い求める横綱が相撲のすべてを体現しうる存在なのだとしたら、そこに「品位」の枷を嵌めてしまうことは果たして適切と言えるでしょうか。
かつて、三代目若乃花、花田虎上氏が横綱として立ち合いの変化で勝ったとき、各スポーツメディアは「横綱らしからぬ」として散々に批判を浴びせました。
しかし、当時の私は、力士としては小柄で多彩な技を持ち味としていた花田虎上氏が立ち合いで動くことは、むしろ技の一部であり、そこを「横綱らしさ」の枷で封じてしまうのはかえって不適切であるように感じました。
もし「品位」がその人の「個性」を封じ込めるものだとしたら、私はその「品位」の方が何かしら間違っているのではないかと疑問を抱きます。
ただし、当然のことながら、相手にケガを負わせるリスクについては問題視すべきだとも思います。
私は白鵬関のかち上げの何が悪かったのかと言えば、
肘を曲げてぶつかり、相手の上体を上ずらせるという「かち上げという技の本質から逸脱している」という点。
張り手においては、
「相手は横綱に対する暗黙のルールを承知しており、白鵬関に対して張り手は使ってこない」という点。
そして両者に共通して言えることが、
「相手に傷を負わせる可能性が高い」
という点だと思っています。
白鵬関が求めたであろう、真剣勝負
推測になってしまいますが、
白鵬関がひたすら己を磨き、研鑽する場として土俵を求めていたのだとしたら、
相手が自分に遠慮して、持てる技を駆使してこない。
ケガを恐れて手心を加えてしまう。
そんな状況こそ面白くなかったのではないでしょうか。
どれだけ批判にさらされても白鵬関が立ち合いの張り手やかち上げをやめなかったのは、
「さあ、張って来い」
「さあ、かち上げて来い」
との、メッセージを送っていたのではないかとさえ思えてくるのです。
そう考えると、先場所で批判を浴びた白鵬関の取り組みの見方も変わってきます。
まずは14日目の正代関との取り組み。
白線から土俵際まで大きく下がり、腰を下ろす
という、
立ち合いの奇策によって、正代関の圧力を封じ、白鵬関が勝利を収めたという取り組みです。
この取り組みについて、挑戦を受ける立場の横綱が奇策を弄したことに批判が集まりました。
しかし、この取り組みにはもう一つの隠された意味があったように思います。
そう思う理由は、同場所において白鵬関が翔猿関の挑戦を受けた一番にあります。
その取り組みでは正代関に対して白鵬関が行ったのと同じように、翔猿関が白線から大きく離れて仕切ったのです。
翔猿関の持ち味は、その名の通り、動く相撲です。
強烈な当たりを抑え、自らの持ち味を生かそうとした翔猿関の奇策は、横綱の圧力の前にあえなく敗れることとなりました。
が、戦略を立てて不利を覆そうとする翔猿関の姿勢を、白鵬関は買っていたのだろうと思います。
でなければ、自らも同じ戦法を取ろうとはしません。
翔猿関が試みた奇策は、横綱に胸を借りる立場の力士として、ともすれば礼を失すると見なされる可能性もあったと思います。
しかし、白鵬関はそれを受け入れ、さらに自らの相撲にも活かそうとする姿勢を見せました。
「なかなか、面白いことをやってくるじゃないか」
「だが、その作戦はオレならこう使うぞ」
このようなメッセージが込められていたように感じられました。(※ もちろん久保田の妄想です)
次はもう一度、7月の名古屋場所での白鵬関VS照ノ富士関を思い起こしてみましょう。
立ち合い、照ノ富士関に対して、すばやく左手を突き出して視界をさえぎり、すかさずかち上げを叩きこんだ白鵬関。
照ノ富士関を何度か張った後は、張り手の応酬になりました。
照ノ富士関にしてみれば、白鵬関の土俵に乗った形で、張り手という普段使わない技を使わされた格好になってしまいました。
が、実はそれこそが白鵬関の狙いだったのかもしれません。
「お互いに」どこまでも勝利を求めて、知恵を絞り、力を出し尽くし、ぶつかり合う。
そこに地位などは関係ない。
それが、白鵬関が求めたであろう真剣勝負だったのではないかと思うのです。
「伝統」をどうするか問題
ただ、いかに真剣勝負とはいえ、
近年の、土俵上における白鵬関の振る舞いはいささか「行き過ぎ」であった感が否めないと思います。
私も先場所後には、白鵬関の振る舞いに対しての否定的な記事を書きました。
一方で、横綱白鵬関に対して各メディアや横審、世間一般がどれだけ理解しようとしていたかにも疑問があります。
むしろ、伝統の名のもとに「品行方正」「模範的」といった紋切り型の横綱像を白鵬関に押し付けてこなかったでしょうか。
伝統的な考え方で言えば、
「横綱とはそういうものだ。それに従えないのなら横綱ではない。」
ということになるのでしょうか。
これはこれまで関取が日本人ばかりだった時代であれば通用した理屈かもしれません。
しかし、多様化が叫ばれる現代において、異なる文化や考え方をいかに受け入れるかは社会全体の大きなテーマです。
大相撲も例外なく、多くの面で変革を余儀なくされているのでしょう。
伝統として守っていくべきもの、少しずつ変えていくべきもの。
それらを見きわめながら、魅力いっぱいの大相撲をこれからも見せてほしいと思います。
おわりに
なにはともあれ、白鵬関、お疲れさまでした。
私もいちファンとして、横綱のすばらしい研鑽に、勇気づけられ、また興奮させてもらいました。
今後、親方として歩まれる白鵬関のさらなる相撲道の邁進に期待を寄せております。
ありがとうございました!