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大相撲名古屋場所。

今場所も熱い取り組みが多くありました。

脱サラ力士の異名をとる新入幕の一山本関や、大けがから幕内に復帰して10勝を挙げた業師の宇良関の活躍。

私イチオシの翔猿関は4勝11敗と勝ち星こそ奮いませんでしたが、上位相手に見ごたえのある取り組みを見せてくれました。

しかし何といっても今場所の最注目だったのは、白鵬関と照ノ富士関の二人でしょう。

結果から言うと、たび重なる長期休場によって物議を醸していた横綱白鵬関が、自ら進退をかけると臨んだ場所で、全勝優勝を遂げました。

また綱取りのかかる照ノ富士関も、14勝1敗という優勝に準ずる成績を上げ、横綱昇進を手中に収めました。

白鵬関、照ノ富士関、おめでとうございます。

そして場所を戦ったすべての力士の皆様、お疲れさまでした。

さて、今回の記事は、大相撲における横綱という地位について、久保田が思うところを述べていきます。

※ 白鵬関のファンの方は不快に思われる可能性が高い内容だと思います。あらかじめお伝えしておきます。

相撲道

今回の記事を書こうと思い至ったのは、先々週の記事で取り上げた、炎鵬関VS貴源治関の取り組みに端を発します。

こちらの記事では、「勝つためなら何をやってもいいのか」「勝負の世界だから、ルールに違反しないから、といっても相手を壊すような取り口はよくない」「相撲の心とは何か」といったことをテーマとしています。

僭越ながら、対戦相手への敬意を忘れ、結果だけを追い求めるような姿勢は望ましくないと述べました。

私は、相撲は武道だと考えています。

単なるスポーツや格闘技ではなく、鍛錬を通じて人間の歩むべき「道」を指し示してくれるものです。

それは興行という側面を強く持つ、大相撲においても変わりません。

むしろ、衆目を集め、国技とされる大相撲だからこそ、取り組みを通じてその「道」を広く知らしめてほしいと願うのです。

苛酷な勝負に生きる力士たちの姿は、それだけで人の胸を打ちます。

しかし、ただ勝ち星だけを求め、相手を慮る心を忘れてしまったのなら、相撲の技は単なる暴力にまで成り下がります。

今場所、序盤から私が気になっていたのは、報復のような相撲が何番かあったことでした。

先場所の取り組みで顔を張られて負けた相手に対して、普段はあまり使わない張り手を繰り出して「やり返す」ような取り組みが見られたのです。

もちろん、力士も人間です。

顔を張られて負けたら悔しいし、やり返したくもなる。

しかし、やられたらやり返す、壊されたから壊し返す、これを繰り返していたら、

その先にあるのは、言わずもがな破滅です。

よく力士たちが「一番一番集中して、相撲を取る」というように、先場所の思いは堪えて、自分の相撲を全うすることで雪辱を果たして欲しいと願っていました。

白鵬関と照ノ富士関の優勝争い

そんな中、復活を期す白鵬関と、綱取りのかかる照ノ富士関は両者ともに順調に星を重ねて行きました。

全盛期から体力は衰えたものの、磨きぬいた技で勝ち続ける白鵬関。

手術明けの右ひざに不安を抱え、序盤から中盤にかけては危なく見える取り組みこそありましたが、持ち前の柔軟性と身のこなしを活かしつつ、相撲勘を取り戻していきます。

後半戦に入ると、「やはり白鵬は強い」と往年のファンをもうならせる取り組みになっていたと思います。

一方の照ノ富士関。

持ち前の体格と腕力に加え、技術も身に付け、綱取りに向けて気合十分といった取り口で、白星を積み重ねていきます。

かなり早い段階から優勝はこの二人に絞られた感があり、千秋楽が近づくにつれ、全勝同士が本割で優勝を争うのではという期待が高まっていきました。

このような状況で異変が起きたのは、14日目の白鵬関と正代関の取り組みです。

14日目:白鵬関と正代関の取り組み

大関として勝ち越しのかかる正代関。

普段はあまり気合を表に出すことはない力士ですが、この時は横綱に目いっぱいぶつかっていこうという気概に満ちているように見えました。

異変は、立ち合いで起きました。

白鵬関が白線から土俵際まで大きく下がり、腰を下ろしたのです。

そのまま何となく両者が手をついて、立ち合いは成立。

完全に意表を突かれた正代関が、何が起きているのかもよくわからぬまま、恐る恐るという風に白鵬関に近づいていきます。

そこへ、狙いすましたかのような白鵬関の張り手が正代関を打ち据えます。

何度か張り手を浴びせられた正代関は、少しふらついた様子で土俵際まで追い詰められてしまいました。

最後に起死回生のうっちゃりを放って逆転を狙いますが、体勢の不利を覆すことはかなわず、寄り倒しによって白鵬関が勝利しました。

私は、この取り組みに何とも言えない後味の悪さを覚えました。

横綱=チャンピオン、その他の関取=挑戦者

言うまでもなく横綱は、大相撲において最強の存在です。

取り組みにおいては常にその力量を示す必要があります。

その横綱に挑む大関以下の力士たちは挑戦者

横綱との相撲は特別なものですし、

力士たちの挑戦を鍛えた力と技で受け止めて跳ね返す、そのような相撲が期待されます。

しかし、今回の場合はどうでしょうか。

立ち合いで離れるのも、張り手を見舞うのも、白鵬関の老獪さと技量のうちという見方もあるかもしれませんが、

私はどうにも納得がいきませんでした。

たとえて言うなら、高校野球で松井秀喜さんが5打席連続敬遠されるのを指をくわえて見ているかのような気分です。

横綱の胸を借りようとしたら、門前払いを喰らって、おまけに塩までかけられた。

私の目には、正代関の状況はこのように映りました。

もちろん、勝負に徹する白鵬関のことですから、おそらくは正代関の実力を認め、立ち合いの威力を警戒した結果として必勝を期すために選択した作戦なのでしょうが、

「お前の挑戦なんて受けないよ(笑)」

と、言わんばかりの立ち合いは、到底納得のできるものではありませんでした。

15日目:白鵬関と照ノ富士関の取り組み

そして15日目、千秋楽における、白鵬関と照ノ富士関による、全勝同士の優勝をかけた一番です。

両者ともに気合十分。

仕切りから睨み合いが続き、否が応にも緊張感が高まります。

しかし時間いっぱいを迎えて、いざ立ち合い、となっても、両者なかなか腰を下ろしません。

土俵上に不穏な空気が漂います。

私はこの時点で非常に嫌な予感がしていました。

白鵬関はかつて、優勝のかかった横綱同士の取り組みで、変化による注文相撲で勝利したことがあります。

また、周知の通り、立ち合いにおけるかち上げや張り差し……というより、エルボーやビンタがたびたび物議を醸しています。

このときの私の心境は、

「お願いだから、真っ向からぶつかってくれ!」

というものでした。

前日の奇策も、絶対に全勝同士で照ノ富士関とぶつかり合いたいという思いがあってなら、何とか理解できるというもの。

長期休養や取り口に対する様々な批判をねじ伏せることができるほどの見事な横綱相撲を期待したのです。

しかし、いざ立ち合いとなって、私の期待は、およそ考えうる最悪の形で裏切られました。

 

手をつくと同時に、白鵬関は素早く左手を開き、目つぶしのような格好で照ノ富士関の顔面目掛けてまっすぐ突き出します。

目くらましで照ノ富士関の出足を封じたと見るや左手を引き、あご目がけて強烈なエルボー

さらに幾度かボクシングのフックのような張り手を見舞います。

これには照ノ富士関もさすがに平静を保つことができず、普段はほぼ繰り出すことのない張り手を白鵬関に見舞おうとします。

しかし、これが白鵬関の思うツボだったのかもしれません。

その後、お互いに四つ相撲の姿勢となりますが、白鵬関が小手投げを打つのに絶好の体勢となってしまいました。

小手投げは、片腕の関節を極めた状態で投げるという、とても危険な技です。

その小手投げを、白鵬関は体重をかけて照ノ富士関の肘を折らんばかりの勢いで繰り出しました

こらえきれず、土俵に叩きつけられる照ノ富士関。

それを尻目に雄たけびを上げ、ガッツポーズを決める白鵬関。

 

そこには相手への敬意も、思いやりもなく、私が期待した横綱の姿もありませんでした。

横綱「らしくない」振る舞いへの批判について

白鵬関の振る舞いについては、以前から様々な批判が巻き起こっていました。

そのどれもが「横綱としての品位」を問うものです。

立ち合いのエルボー、張り差し、変化、ねこだまし、奇策。

ダメ押し、万歳三唱、自分から物言いをつける、ガッツポーズ、雄たけび。

相手への敬意や品格を損なう「横綱として相応しくない」行動があるたびに、注意を受け、批判にさらされ続けてきました。

今回の取り組みは、これまでに受けてきた注意や批判、助言や提言など、そのほとんどすべてを無視するような形となってしまいました。

その他の力士や、部活動で相撲を取る少年少女の範たる存在である横綱が、このような振る舞いを繰り返してしまうというのは、

ほんとうに残念でなりません。

白鵬関にしてみれば、張り差しもかち上げも、自分が使える技をすべて出し尽くした、勝負に徹したということなのかもしれません。

そこで力を抜いたら失礼に当たるという考え方も当然あるでしょう。

しかし、相撲は相手をノックアウトする競技ではないはずです。

押し出す、転がすのが目的の相撲において、ノックアウトは明らかに余分です。

ノックアウトした結果として勝ちも転がり込んでくるでしょうが、その勝利は果たして相撲の勝利と呼べるでしょうか。

 

私個人の意見ですが、相撲に限らず、

ルールにないから何をやってもいい、というのは外道の考えだと思います。

野球で大投手がビーンボールを多投したら興ざめですし、

その他の競技でも審判の見えないところであったり、ルールの隙間をついて相手を傷つけるような行為をするのは言語道断でしょう。

横綱はヒーローだから

なぜ、横綱に「品位」は求められるのでしょうか。

ただ強いだけではダメなのでしょうか。

もちろん、ダメです。

横綱はヒーローです。スーパースターです。アイドルです。

誰もが憧れて、まねしたくなる存在でなきゃいけません。

横綱のまねをすることで相撲が強くなったり、相手への思いやりを知ったりする。

そんな存在でいてほしいと願われているのです。

横綱は大相撲という過酷な条件の中で心技体を磨き上げたからこそ至ることのできる場所です。

それが出来ると判断されたから、横綱になっているのです。

もちろん、白鵬関もそれだけの実力を兼ね備えている一人だと思います。

まとめ

今回の記事は、白鵬関のことを悪く言うばかりの内容になってしまったかもしれません。

しかし、私は白鵬関だからこそ、他の誰にも真似できない横綱の道を示すことができると信じている者の一人です。

若くして相撲道を志して日本に渡り、名横綱とされた大鵬関や双葉山関を敬い、武道の境地の一つである「後の先」を口にした。

それらが、自らのイメージアップを図るためのまやかしだったとはどうしても思えないのです。

今は、白鵬関は「勝ち」ということにこだわりすぎている気がします。

勝たなければ「価値」がない。

そうではないはずです。

負けっぷりの良さ、見事な引き際という美学もあります。

その上で白鵬関は、今もなお、真っ向から相撲を取って、常に優勝争いできるだけの実力を持っていると思います。

白鵬関と照ノ富士関がさらに素晴らしい相撲道を進まれることを祈って、記事を終えます。

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