前回は雪の中、ついに永平寺の門前へとたどり着きました。

今回は上山の前に2泊する永平寺の安下処、地蔵院でのお話です。

最悪のスタート

旅館「東喜家」のおばちゃんに送り出され、地蔵院へと足を踏み出した私。

そのすぐ近くには、曹洞宗の大本山、永平寺がそびえ立ちます。

そびえるだなんて大げさな、と思われるかもしれませんが、この時の私には永平寺が暗闇に佇む魔王の城のような恐ろしいもの見えました。

しかしこの日の目的地はその手前にある地蔵院です。

15時30分頃、指定の時刻までは残り30分というところで地蔵院に到着です。

網代傘を脱ぎ、お寺のインターフォンである木版を叩くと、

※ここからは先輩僧侶との実際やりとりです。

僧「そこ(下駄箱の上)に傘を置くな。」

(声の方を見る私)

僧「目を見るな。」

(慌てて目を伏せる私)

僧「返事をしろ。」

私「はい!(焦)」

僧「なんだその返事は。」

私「はい!

僧「そんなもんか。」

私「いいえ!」←(はい!と言うべきだった)

僧「なんだと、それで本当にやる気があるのか。」

「はい!!!」

僧「まだ(声)出るだろ。」

はい!!!!

 

何度繰り返したか覚えていないほど、このやりとりが繰り返されました。

これまで自分は声が大きいほうだと思っていたので、声が小さいと言われたことにとても驚きました。

そしてようやく、「中に入って草鞋を脱ぎなさい」と言われ、玄関に腰掛け荷物を下ろした時、ある重大なミスに気がつきます。

絡子らくすがない。

絡子というのは、移動する時などに着ける簡略化したお袈裟のことです。

この肩から斜めにかかっている黄色い布が通常のお袈裟。

そして首からかかっている紺色のものが絡子です。(色は様々です。)

お袈裟とは得度とくど(出家のこと)の際に師匠から授けられる僧侶の証やアイデンティティとも言えるものです。

それをどこかに置いてきてしまったという事の重大さは当時の私でも容易に理解できました。

この事を言うか言うまいか。

言えば怒られるだろう。言わなくてもどこかで無いことに気づかれるだろう。

そもそも忘れてきたことにするか。

いや、修行に来て早々に嘘や言い訳をしてどうする!

永平寺では先輩に話しかける場合は「失礼致します」と言う決まりがあり、それは私も知っていました。

そこで

私「失礼致します!」

僧「勝手に喋るな。」

私「はい!」

僧「…なんだ?」

※文章のミスではなく、実際のやりとりです。

私「絡子を門前に置いてきてしまいました!」

僧「お前、絡子がなんだかわかっているのか!」

私「はい!」

僧「時間がないからこちらで取りに行く。お前は入れ!」

 

後に、この絡子は「東喜屋」さんでも見つからず、恐らく新幹線に置いてきてしまったようです。

昔から忘れ物が多かったり、おっちょこちょいなところは両親から言われ続けてきましたが、これほど自分の短所を恨んだことはありませんでした。

そして、これをきっかけに私はいわゆる「目をつけられた」ようでした。

地蔵院での2泊3日

私が上山した頃、地蔵院では上山者は番号で呼ばれました。(今は変わっているかもしれません)

地蔵院に到着した順に「○番の和尚」と呼ばれ、私はこの日の上山者の中で最後の「8番の和尚」でした。

そして先に到着した7人は、壁に向かって座り、修行生活で必要な言葉を必死で覚えているようでした。

地蔵院での2泊の間に行うことは、持ち物の点検と、作法の練習です。

合掌の形、食事作法、着物の着方などを繰り返し行います。

その間、上山者同士の私語は一切禁止です。(これはここから1週間続きます。)

中でも辛かったのは睡眠です。

修行道場では熱を逃がさない&寝るスペースをはみださない為に、かしわ布団という布団の使い方をします。

言葉では難しいので絵で解説。(手書きですいません…。)

これが毛布などを入れれば寝袋のように暖かく、理にかなっているのです。

また寝方も、お釈迦様が涅槃に入る(亡くなる)際に右肩を下にしていたということから、それに倣って同じように横向きで寝ることになっています。

しかし枕がないので、腕を頭の下にいれないとおばたのお兄さんのような首の角度で寝ることになるわけですが、寒すぎて布団から腕を出せません。

結局「まーきのっ」の状態で寝る事になり、私はまともに睡眠を取れぬまま朝を迎えることになったのです。

※実は坐蒲(坐禅用のクッション)を枕にしてよかったことを後から知る事になる。

 

3日目の朝

必死になっているうちに、あっという間に3日目の朝を迎えました。

この日はいよいよ永平寺の玄関である山門の前で入門の許しを乞うことになります。

やけに冷えると思った夜が明けたその日の朝、永平寺はその年初めての積雪となったのでした。

私を含めた8人の上山者はこの日、雪景色に草鞋の跡を残しながら、山門へと向かうのです。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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