永平寺の門を叩いた日 vol.4

前回、永平寺の安下処あんげしょである地蔵院に到着した私。

僧侶にとって大切な絡子らくすを途中で忘れてくるなど、出だしは最悪でした。

さらに永平寺の初雪は厳しい寒さとなって私を追い込みます。

今回は地蔵院を出発し、ついに永平寺の山門の前に立ちます

Contents

3月8日、朝

地蔵院にきて三日目を迎えたこの日、私を含めた8人の上山者は、参道を通って永平寺の山門へとむかうことになります。

地蔵院の戸が開くと、2泊の間に違う世界に来てしまったかと錯覚するような、白銀の世界になっていました。

思えば私はそれまでの人生で、どうにもならない厳しさ、逃れられない辛さというものを経験してこなかったのかもしれません。

私の地元ではとっくに電車は止まり、学校が休みになるレベルの積雪。

さすがにこんな雪の中を歩かされるわけがないだろう、そんな甘い考えが頭に浮かんでいました。

そこで無情にもかけられる「足袋と草鞋を履いて準備しなさい」という言葉。

言われるままに足袋を履こうと手に取りました。

 

冷たい。

 

地蔵院に着いた時には気づきませんでしたが、どうやら福井駅からの道中で、履いていた足袋はずいぶん濡れていたようです。

入り口で脱いだ網代笠と足袋、草鞋は2泊の間では乾かず、洗濯したてのような状態です。

これを履いて雪の中を歩いたらどうなるかなんて、考えたくもありませんでした。

しかし、準備を終えて外に出ると、案内役の先輩僧侶の足元は裸足に雪駄せった(下駄のような履物)のみ。

 

ありえない。

 

どんな修行をしたらこの冷たさに耐えられるんだ…。

そんな恐れを感じると同時に、これから自分が雪の中を足袋と草鞋で歩くという逃れられない運命を悟りました。

雪の中をゆく

私たち8人が地蔵院の前に並ぶと、修行僧の指導をする和尚さんが言葉をかけてくれましたが、

あまりの足の冷たさに言葉が耳に入ってきませんでした。

元から濡れていた足袋は雪の中であっという間に冷えて、割れずに密着し続ける氷のようです。

雪の中、先輩修行僧の後に続いて、永平寺の山門へとつづく参道を進みます。

網代傘をかぶっているため、目に入るのは足元とその先の数メートルのみ。

途中で、上山の記念撮影として一人ずつ写真を取りますが、当然その顔に生気はありません。

全員が写真を撮り終えると、再び参道を歩き、先輩の足が止まります。

山門に到着したようです。

「一人ずつ、木版もっぱんを三度鳴らしなさい。」

修行道場の玄関である山門をはじめ、お寺の玄関には、10cmほどの分厚い木の板と撞木しゅもくがぶら下がっており、これが現代でいうインターフォンの役割を果たします。

「○番の和尚」と呼ばれるごとに、それぞれが自身の不安や辛さ振り払うかのように全力で返事をして、木版を3回鳴らします。

「次、8番の和尚」

と呼ばれると、私は木版から伸びる綱の取っ手をつかみ、撞木を振り下ろします。

 

コーーン、コーーン、コーーン…。

 

誰かがこれを聞いてるとは思えないほど、その音は永平寺の巨大な伽藍がらん(お寺の建物のこと)と雪に吸い込まれていきました。

 

「これから迎えが出てくるまでそのまま待ちなさい。いくつか質問をされるが、素直に答えなさい。」

 

そう言い残し、ここまで連れてきた先輩修行僧の足音が遠くなっていきました。

曹洞宗では、ここでどれだけ寒くてもこの山門に立ち続け、迎えにきた先輩修行僧からの問答に答えて覚悟を示すのです。

山門の前の8人

 

どれだけの時間が過ぎただろう。

 

歩いていた時はまだマシだったと、その時気づきました。

左手に坐蒲ざふを持ち、右手は首から下げる行李こうりを下から支え持つ為、着物の袖から出た腕が寒さを逃れる術がありません

四肢の先端から感覚が無くなり、いつまで続くかもわからないこの状況に、何度も心がくじけそうになりました。

すると突如、目の前に人の気配がします。

迎えの先輩修行僧がやってきたのです。

そして一人ずつ順番に覚悟を問います。

尊公そんこう(あなた)は何をしにここにきた。」

それぞれが「修行をしにきました!」「自分と向き合いにきました!」と震えながら声を張り上げます。

それに対して「なぜここじゃなきゃダメなんだ。」など、淡々と続けられる問いに、ついに一人言葉に詰まってしまいました。

 

「それではまだ覚悟足りない。もう少しよく考えなさい 。」

 

そう言うと、先輩修行僧の足が去っていくではありませんか。

待ってくれ!とすがりつきたくなるような気持ちで遠のく足音を聞いていました。

 

崩れて最後に残るもの

もし8人の中の誰かがきびすを返したらあとに続こう、そう思いました。

もうどれだけの時間が経ったかはわからないが、修行の入り口でこれなら、自分はこの先耐えられないと思ったからです

 

こんなはずじゃなかった。

こんなに弱いはずじゃなかった。

 

小学2年から高校まで柔道、大学ではブレイクダンスをやってきて、体力は人並み以上にあると思っていたし、わずかでも大学で曹洞宗の修行について学んで知り、自分なら耐えられると思っていました。

 

しかし、そんな自分への信頼はもろくも崩れ去り、もはや私を支えるものはありませんでした。

 

そんな時、なぜか頭をよぎったのが、上山の直前に親友がくれた電話での言葉でした。

 

頑張ってこいよ、帰ってきたら飯おごるからさ!」

 

顔は見えずとも浮かんだ親友の顔につられて、友人達や家族やお檀家さん…私を送り出してくれた人の顔が次々と頭に浮かんだのです。

この人たちの思いを裏切って、自分に帰る場所なんて無いじゃないか!

そう思った時、自分の背中を押してくれている何かを感じました。

自分は一人じゃない…。

なんとかその場に踏みとどまると、再び先輩修行僧がやってきて私たちに言います。

 

「草鞋と足袋を脱いで山門に上がりなさい。」

 

ついに山門をくぐる許しが出た瞬間でした。

しかし、凍えた足は、自分のものとは思えないほど感覚がなく、一歩を踏み出すことすらままなりませんでした。

かじかんだ手は草鞋の紐をほどこうにもうまく動きません。

剥ぎ取るようにして草鞋を脱ぎ、なんとか山門に上がると、山門からその正面に建つ仏殿にいるお釈迦様に礼拝をし、私は永平寺の修行僧としての入り口に立ったのです。

しかし、それから5日間はさらに徹底的に基礎を教え込まれる期間、その後5月になるまでは正式な修行僧としては認められません。

 

そう、これはまだ修行のほんの入り口に過ぎないのです。

 

最終話につづく

【動画版】


 

 

 

 

 

 

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