永平寺の門を叩いた日 エピローグ

これまで4回にわたって「永平寺の門を叩いた日」を掲載してきました。

最終回となる今回は永平寺に上山したあの日を、「今の私」がふり返ろうと思います。

Contents

5年経った今、考えること

上山の日、私はとても大事なことを学びました。

何かを成し遂げるには人の力を借りず、自力でできるに越したことはないと思っていた私。

しかし、地蔵院での2泊3日と山門の前に立ったあの時、それまで頼ってきた「自分」という存在のもろさに気づきました。

思うように作法ができず、大きいと思っていた声が小さいと言われ、山門で直面した寒さと孤独感の前に、体力や知識という今まで頼ってきた「自分」が音を立てて崩れ去っていったのです。

しかし、そうした根拠のない自信に支えられてきた「自分」が崩れ去ったとき、そこには人に支えられ、生かされてきた自分」が現れたのです。

「一人であっても独りじゃない」

そう思えた時、私は自分の力で自分の為に頑張ろうとすることをやめ、人の支えの上に根を張ってどっしりと立ち、その支えてくれる人たちの為に頑張れるようになった気がします。

私の師匠はよく

「人間が自分の為に出せる力はせいぜい50~60%にすぎない。誰かの為に、何かの為になった時初めて100%、120%の力が出せるんだ。」

と言っていますが、今ならその意味がよくわかります。

それは柔道をやっていた頃、勝ったらゲームを買ってもらうと約束した時の試合より、団体戦の勝敗がかかった時の方が最後の踏ん張りが利いたのと近い感覚かもしれません。

「厳しさ」の正体

また、禅の修行・永平寺の修行というとよく「厳しさ」に注目されます。

「辛かった?」「厳しかった?」という質問は、永平寺から帰ってきてから何度も投げかけられましたし、確かにそういう場面もありました。

しかしよくよく考えてみれば、私が感じたこの辛さや厳しさというのは、修行生活そのものにではなくそれまでの生活とのギャップにあったのだと思います

いつでも不足なく食べ物が手に入り、顔を合わせなくてもインターネットで人と繋がっていられた学生生活。

一方で曹洞宗の修行生活が成立した鎌倉時代には一汁二菜食べられたら質素ではなかったはずでしょうし、連絡手段の手紙だって今よりずっと不便であったはずです。

私が感じた厳しさの根源の大部分は、現代社会に生まれた私の「恵まれ慣れ」にあったのです。

「ゆとり世代」の私が歩む仏道

そう考えると修行生活自体を厳しいものとして一括りにして、それを乗り越えてきたと胸を張ることには、どうしても違和感を感じてしまいます。

誤解や批判を恐れずに言うなら、曹洞宗の修行を「厳しさ」というパッケージで包んで語る時代は終わったと、私は思っています。

僧侶の世界でも私の世代は「ゆとり世代」と呼ばれ、修行生活に厳しさが足りないと、諸先輩方にはお叱りを受けることもあります。

しかしそんな世代だからこそ、今まで以上に「どれだけ」修行道場にいたかではなく、「どのように」修行道場にいたかが問われているのだと思うのです。

私の修行生活は決して順調なものではありませんでした。

福井駅のトイレで一般男性に叱られてから、二年間でどれだけ先輩や同期から叱られたかわかりません。

差し入れのソーセージを食べ過ぎて怒られたり、誕生日に「もうハタチ越えてるんだろ?」と怒られたこともあります。

その時は辛かったり悲しかったり挫けそうになった出来事が、今になって私に様々な気づきをくれます。

特に作法や生活の規則に関しては、人に伝えるとなった時、社会に出た時に気づかされたことが数え切れないほどあります。

きっとこれから歳月を重ねながら振り返るたびに、永平寺での日々はまだまだ新たな気づきをくれるのだと思います。

もしその気づきが無くなるとすれば、私の中で上山の日や修行の日々がセピア色の思い出に変わってアルバムの中に収まってしまった時でしょう。

そうならないよう、私はこの季節になったら毎年、2014年3月8日の「あの日」の自分に失望されないだろうかと、我が身を振り返ろうと思います。

「あの日」から続く今日を

ここまで書いてきたことは2014年3月6~8日の3日間の出来事です。

この日、私は僧侶として本当の入り口に立ったような気がします。

それまでは「お寺に生まれた」ということが私の僧侶としてのアイデンティティの多くを占めていました。

しかし、自らの足で永平寺に向かったあの日、私は初めて自分から僧侶としての一歩を踏み出したのです。

肉体的にも精神的にも本当に追い詰められた時、私を救ってくれたのは親友をはじめ、大切な人たちの存在でした。

そんな人たちの力になりたいということが、今の私の原動力です。

そしていつしか私の僧侶としての目標は、

「自分の手の届く範囲の人だけでも安心させてあげたい。」になりました。

修行生活とは僧侶にとっての基盤であり、たとえ道場を離れても常にその経験は「今の自分」がリマスターして気づきを重ねていかなければならないものだと、私は考えています。

上山から5年が経った今、私はまた新たな岐路に立っています。

そしてあの日から続く一歩をまた踏み出していくのです。

〜完〜

 

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