法話「豪雪の中で見えたもの」by原山佑成(2023/11/29禅活しょくどうにて)

2024年2月まで毎月開催していた精進料理&食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、
現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当していました。

今回掲載するのは、2023年11月29日の回で原山佑成がお話しした法話です。

Contents

豪雪の中で見えたもの

九月から連続して食事を五つの視点から見つめる「五観の偈」について、
それぞれ一節ずつお話をさせていただいております。

今回は四つめの
四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんがためなり。
についてお話をさせていただきます。

簡単に言葉の意味を説明させていただきますが「良薬」とは読んで字の如く「良い薬」のことです。

そして「形枯」というのは、体が痩せ衰えてしまうという意味になります。

これを踏まえて現代語訳すると、次のようになります。

「こうして食事をもっぱら良薬としていただくのは、自分の肉体が痩せ衰えてしまうのを防ぐためである」

前回のお話では西田さんが「三つには心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす」
についてのお話ししましたが、食事というのはどうしても欲と隣り合わせになる営みです。

私も一度お話ししましたが、自分のお腹が減っている状態だと「もっと食べたい」という貪りの心が起こってしまいます。

しかし、そんな貪りの心が起こってしまう自分と向き合うことが、修行になってくるのです。

そして「四つには〜」から始まるこの部分では、目の前の食事をただ自分の欲を満たすものではなく、
自分の体を維持するための薬としていただくことの大切さが説かれています。

当然ですが、私たちは食事をしなければ生きていくことは出来ません。

しかし「飽食の時代」と言われる現代では、私たちは必要以上に「食」というものに様々な価値をつけ過ぎているような気がします。

できるだけ美味しいものを食べたいと思い、グルメサイトで評価の高いお店を探して食事をしたり、反対に栄養バランスを考えずにコンビニのお弁当や、カップラーメンなどで手軽に食事を済ませてしまうこともあるかと思います。

もちろんそれを否定することは出来ません。

私もたまの外食の時くらいは、せめて美味しいものを食べたいと思い、グルメサイトで入念に下調べをすることも多々あります。

また、自炊をするのが面倒なときはコンビニのお弁当やカップラーメンを食べることもあります。

しかし、食事という営みは本来私たちの生命を維持するためのものです。

これを改めて痛感する出来事がありました。

永平寺での経験

度々お話ししてきたように、私は五年前まで福井県にある大本山永平寺で修行をしていました。

永平寺での食事は菜食で、朝・昼・晩の食事がいわゆる精進料理です。

実際には前回の西田さんのお話でもあったように、差し入れなどででお肉や魚を口にすることもあるのですが、基本的には出されることがないので、修行僧は動物性タンパク質に飢えています。

しかし、私は修行中の食事で「公式」にお肉を食べたことがあります。

それは平成三十年の冬のことでした。

当時私は、永平寺の掃除や雪掻きを重点的に行う「直歳寮しっすいりょう」という部署のお役目をいただいていました。

山深い場所に位置している永平寺ですので、冬はたくさんの雪が降り、直歳寮では雪かきに精を出す時期でもあります。

そして、その年の冬は現在でも、「平成三十年の豪雪」として記録されるほど全国的に雪がたくさん降り、永平寺でも稀に見る大雪の年でした。

記録として残っていたものを見返すと、二月五日から二月七日までの二日間になんと一四七センチの雪が積もったそうです。

当時のことを思い返すと今でも寒気がするほどで、永平寺から一歩外に出ると、胸元まで雪が積もっており、私は直歳寮の仲間たちと顔を合わせて、「これどうするんだろう」と呆然としたことを覚えています。

そして、そこからは毎日降り続く雪との戦いでした。

永平寺では、雪掻きをする作務を「雪作務」と呼んでいるのですが、
本来は坐禅や各自の部署で行うお勤めの時間がすべて雪作務に当てられていきました。

直歳寮だけでなく、山内の修行僧全員が一丸となって雪作務に励んだのです。

しかし、雪は止む気配がなく、次第に建物の中にも雪崩れ込み、
その重みが雪囲いを破り屋根や柱を倒壊させるほどになっていきました。

終わりが見えない雪作務の中で、私は精神的にも肉体的にも追い詰められていきました。

そんな生活の中で一番の楽しみは、お風呂の時間でした。

一日中汗をかいて働いた体を熱いお湯で洗い流し、
湯船の中で体の芯から温まる時間が何よりも尊く、幸せな時間でした。

しかし、降り止まない雪の影響で、交通機関が止まってしまい、
ついには灯油などの燃料が永平寺に届かなくなる事態にまで発展しました。

そのため、永平寺全体で燃料の節約が必要となり、二日に一回しかお風呂に入ることが出来なくなってしまったのです。

さらに食料も少なくなり、ただでさえ大変な労働環境の中で、
さまざまな面で我慢をしなくてはいけなくなったのです。

しかし、降り止まない雨が無いように、降り止まない雪もありません。

永平寺全体で雪作務を始めてからおよそ二週間が経過すると、
雪の勢いも弱まり始め、福井県内の高速道路も通れるようになり、燃料や物資が永平寺に届くようになりました。

さらには全国の曹洞宗の寺院や、有志団体からも大量の支援物資が届き、たくさんの方々の温かい気持ちに励まされました。

そして、送られてきた支援物資の中には、驚くべきものがありました。

それは大量のカップラーメンと菓子パン、そして「肉」です。

カップラーメンと菓子パンは、修行僧全員に二つずつ均等に配られて昼食の時間に食べたのですが、久しぶりに食べたクリームパンの優しい甘味と、味の濃いカップラーメンの美味しさが身に沁みて、今でもその味は忘れることが出来ません。

そして、何よりも特筆すべきは大量の肉の塊です。

私もそれを直接見ることはなかったのですが、永平寺の厨房である「大庫院」の修行僧の話を聞くに、三十キロもある豚肉の塊と、二十キロの鶏肉が送られてきたそうで、私を含めた修行僧たちは密かに、その肉がどうなるのか生唾を飲み込みながら想像を膨らませていました。

とある日、その日も当然のように雪作務を行なっていたのですが、永平寺の山内放送で「本日、庫院飯台くいんはんだい」というアナウンスがされました。

庫院飯台というのは、大庫院の中で、修行僧全員が集まって食事を行うことで、基本的には僧堂坐禅をしながらで食事をとる永平寺では珍しいことです。

私は、今日はきっとお肉を食べることが出来ると確信し、どんな料理が出てくるのだろうと、ワクワクしていました。

しばらくすると、先輩の修行僧から
「今日の庫院飯台は、箸と匙(スプーン)を各自で持参するように」
と伝えられました。

夕食の時間になり、永平寺中の修行僧が応量器を持たずに箸と匙を持って大庫院に集まって行く光景は、なかなか見られないもので、私が修行していた二年間の中ではこの冬の時期を除いて一度もありませんでした。

大庫院に到着すると大きな鍋に大量のカレーと、お盆の中にこれまた大量の唐揚げが山のように積み上げられていました。

私はその光景を見た時に、それまで必死に頑張ってきた雪作務の苦労が報われた気持ちになりました。

それはきっと、私以外の修行僧たちも同じ思いだったと思います。

毎日朝から晩まで無心で雪を掻き、時には危険と隣り合わせの場所でも雪掻きをしてきた修行僧の間には、それまでの修行生活の中では得ることの出来なかった一体感と絆が生まれていました。

修行僧全員が席につき、食前の偈を唱えて、久しぶりに味わった肉入りカレーと唐揚げの味は、今まで食べたどんなカレーよりも美味しく、どんな唐揚げよりも体に染みていきました。

連日の雪作務で疲弊した体に、お肉の旨味や脂が染み渡っていったのだと思います。

修行生活の中でお肉を食べるということの善し悪しは、色んな意見があるかもしれません。

しかし、当時の雪かきに疲れ切った私たちは、決して冗談ではなく、あのカレーと唐揚げに救われたのです。

さらに、永平寺のことを心配して下さった全国の方々によって目の前の食事をいただけているということを実感したという点では、私は何よりも深く食事の有り難みを知った出来事でもありました。

私は永平寺での過酷な雪作務の経験によって、食事の本質の触れたような気がします。

それは最初に紹介した「四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんがためなり。」の教えに込められていると思うのです。

菜食だとか肉食だとか、口コミの評価が高いとか、栄養素が高いとか、現代には食事に関する情報や価値や主義が溢れています。

しかし、全ての前提として私たちは食べなければ死んでしまうのです。

私はあの豪雪の中で「食べることで生かされている自分」に身をもって気付かされました。

いろんな主義や価値観はさておき、私たちは生きるために食べるんだ、という事実にまずは目を向けることが大切なのではないでしょうか。

そんな食べるということの大前提を確認した上で、最後の「五つには成道の為の故に、今この食受く」という言葉へと繋がっていくのです。

 

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