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10月からついに消費税が10%になりますね。

修行から帰ってきたらいつの間にか8%になっていて、いよいよ10%ですか…。

まあ、ここは政策云々に関して何かを言う場ではありませんのでその動き自体ははさておき、これに伴って気になったニュースがありました。

それは、9/21に日本経済新聞デジタル版で出された記事が炎上したというニュース。

その記事のタイトルというのが「ニンジンの皮もおいしく! 増税に勝つ食べ切り術」というもの。

10月からの消費税増税を前に書かれたこの記事が炎上した理由と、これに関して私が感じる社会への不安を書いてみます。

なぜ炎上したのか?

私がこの炎上騒動を目の当たりにしたのはTwitterでした。

個人のアカウントの方がほとんどであるため、ここに載せることはしませんが、記事への批判の多くが「貧しさに喘ぐことになる国民に人参の皮を食べろというのか?」というもの。

今回の記事が切り取ったのは、人参の皮も美味しく食べることができる、ということではあります。

しかし、それを消費税増税で厳しくなる家計を補うために語ったのがまずかったのだと思います。

社会的には増税に対しては様々な意見が飛び交っており、増税への賛成反対に限らず、生活には負担がかかります。

そこにきて、人参の皮を食べるという節約術がありますよ!というアドバイスは「そういうこっちゃないんだよ」という反感を買っても仕方ないのかもしれません。

シンプルにフードロスに関する記事だったならこんなことにはならなかったはずなので、この炎上騒動の一番の原因は発信の角度だったといえるでしょう。

そもそも人参の皮って食べられるのか

そして実は私がこの炎上騒動で最初に思ったことは、

え、そんなにみんな人参の皮捨ててるの!?

という驚きでした。

今回の日経の記事で、そもそも「人参の皮も実は食べられますよ!」と言っていること自体が、私には驚きでした。

人参の皮、全く問題なく食べられますよ。

そもそも、スーパーで売られている人参というのは多くが収穫して洗う時点で表面の皮が剥けてしまうそうです

そのため、私たちが買った時は表面が削れて薄く皮が残った状態、もしくは皮は残っていなくて表面が乾いただけの状態ということになります。

また、人参の皮は調理法次第で、節約のためではなくても進んで食べたくなるような美味しい活かし方ができます。

これは一度「ほっと晩ごはん」でも行ったことがありますが、人参や大根の皮というのは、まず出汁を取りそのあとは刻んできんぴらにすることで食べれられるどころか一度で二度美味しい食材になります。

仏教の食というと菜食に注目されがちですが、肝心なのはこの「生かしきる」という精神・姿勢なのです。

人参の皮から考える食べ物に対する姿勢

そして私がこの騒動を通して一番感じたことは、社会に対する一つの不安です。

それはは、人参の皮を食べるには節約という理由が必要になるということ。

今回の記事は、もしかすると本来はシンプルにフードロス解消を目指すものだったものを、たまたま時事問題に絡めただけだったのかもしれません。

しかし、こうして出てきた記事や騒動だけを見れば、「経済的に困ったら」人参の皮も食べようという風に見えます。

これが逆に言えば「裕福であれば人参の皮なんか食う必要はない」と言っているように、私には見えるのです。

それは社会が食べ物に対する大切な一つの姿勢を見失い初めていることの顕れなのではないでしょうか。

「いただきます」の精神

お金を払えば食べ物が手に入る環境では、人は食べることの難しさを忘れてしまいがちです。

東日本大震災の時、スーパーから食料が消えた都内で、私ははじめて手元にお金があっても何も手に入らないという経験をしました。

あの時私は「食べ物を買う」ということが揺るぎない不変の営みではなく、絶妙なバランスで成り立っているものだったことに気づきました。

生産者と運送業者、そして消費者がバランス良く機能しなければ、私たちは本来コンビニでおにぎりの一つすら手に入らないのです

いくつものご縁が重なり合うことでようやく手元に食べ物がやってくる、その手元に有ることの難しさを、日本人は「有り難い」と表現しこのご縁を「いただきます」と言って口に運ぶのです。

仏教に視点から考えれば、この世界に人間の食べ物として生まれたものなどありません。

動物も植物も、それぞれの「はたらき」を持って生まれているものを、人間が食べ物として食べているのです。

「食べる」という行為の前提

さらに最近は、そこに「これを食べる人はだめだ」とか「これを食べないのはおかしい」とか、食べ物に関する思想や信条で人が対立することも増えてきました。

そこで思い出すべきことがあります。

どんなものを食べていようが、私たちは勝手に他のいのちを食べているということです。

ではなぜ他のいのちを食べるのか。

それは、食べなければ死んでしまうから。

しかも自分たちが食べられる側になることはほとんどありません

そんな食物連鎖から外れた人間ができることは「有り難み」を噛み締めていただき、良い生き方へのエネルギーに変えていくことだけです。

人参の皮を食べるのに、増税がどうこう、節約がどうこうは関係ありません。

そして、「生かしきる」というのは人間が食べることだけを指すわけではありません。

今その物がもっている「はたらき」の生かし道を考えることです。

どんな状況にあっても、ご縁があって手元にやってきたいのちを最後まで生かしきる、この精神だけは忘れてはならないと思うのです。

今回の炎上騒動の批判の対象は人参の皮ではなく発信の仕方だったわけですが、そんなことを感じました。

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