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先日、友人からある相談を受けました。
聞いてみると、お母さんのお姉さん、彼にとっては叔母にあたる方が最近亡くなったのですが、この状況下でお母さんは関東から九州まで行くことは断念せざるをえなかったそうです。
最愛の姉を失いながら最後のお別れに立ち会えなかったことを、お母さんはとても悲しんでおられるようで、自分はどうすべきだったのかと、友人もまた大きく悩んでいる様子でした。
実はこの、最期の別れに立ち会えなかったことへの悲しみというのは、私が僧侶としての自覚が芽生える前から一つのテーマになっています。
日本では親の最期を看取る、いわゆる「親の死に目に合う」ということが最後の孝行とされ、これが叶わなかった方は強い罪悪感や負い目を感じる場合があります。
しかし現在のような、人が顔を合わせることが危険な状況で、私たちは今後大切な人の死に目に会えない、もしくは自分自身が最期を迎えるのに近しい人が側に来られないという状況が、決して無いとはいえません。
そこで今回は「死に目に会うことができなかった」ということについて、二人のお坊さんのお話から考えてみたいと思います。
Contents
母の悲しみ
はじめに、私がはじめて「親の死に目の会えなかった」という悲しみや罪悪感を抱える人を目の当たりにしたのは、大学4年生の時でした。
その年の6月、私は父方の祖父を亡くし、家族親族、お檀家さんや地域の和尚さん方と共に見送り、仏教のお葬式の意味を感じた矢先のことでした。
それから49日を迎える直前の7月下旬、今度は母方の祖父が亡くなったのです。
母は伊豆諸島の八丈島という離島の出身で、とても日帰りで行ける場所ではありません。
その時母は、週末に控えた父方の祖父の49日の準備に追われており、結局私と父が夜行船で八丈島に向かい、お焼香だけしてお昼には飛行機で帰ってくるということになったのでした。
父方の祖父の49日も終わったところで、母は八丈島に行き遺骨となった父親に手を合わせましたが、後日口からこんな言葉がこぼれました。
「私は親の死に目に会えなかった」
実は私の母は、母親が亡くなった時にも、嫁いできたこのお寺の行事と被ってしまい、葬儀には参列できなかったそうです。
お寺に嫁いだばっかりに、親の死に目にも会えなかった、そんな母の悲しみが口からこぼれたように感じ、当時大学生だった私の心に強くの残りました。
では、そんな母は親不孝な人間なのでしょうか?
これからもそれを負い目に感じて生きていかねばならないのでしょうか?
ここで二人のお坊さんの話を取り上げ、考えてみたいと思います。
二人のお坊さんのお話
お坊さん①
その方は今からおよそ2500年前、お釈迦様ご在世の頃におられた方です。
裕福な長者の家に生まれるも、俗世間というものが嫌になり出家し、お釈迦様の弟子となります。
裕福なお生まれた反動もあるのか、その方は誰よりも慎み深く、欲を捨てた生活を徹底しました。
また当時、お釈迦様の弟子たちは修行を積むと、その教えを広めるため、散り散りに説法の旅に出ました。
そんな旅をしていたある日のこと、道で出会した一人の修行者がこんなことをいいながら通り過ぎていきます。
「お釈迦様がお亡くなりになられた。」
お釈迦様の死といえば、以前も触れたように、弟子だけでなく神々も看取りにやってきたと言われる「涅槃」の瞬間です。
しかし、その方は説法の旅に出ていたためその瞬間に立ち会うことができませんでした。
一方、お釈迦様がお亡くなりになった村では、弟子達は火葬のためにお釈迦様のご遺体に火を灯そうとしますが、どうやっても火がつきません。
そこに、ようやく到着されたその方が松明を取って火を近づけると、まるでそれを待っていたかのように火が灯ったそうです。
お釈迦様の死に目に会えなかった、しかし火を灯すことができたこの方の名前は摩訶迦葉尊者といいます。
そしてこの摩訶迦葉尊者こそが、お釈迦様の跡をついだお弟子様なのです。
お坊さん②
続いて、時代は下り日本は鎌倉時代。
その方は幼少期に両親を亡くしたことがきっかけで仏道を志し、出家しました。
しかし、当時の日本の優れた和尚さんを訪ねるも、自分の疑問を解決してくれる方にはなかなか出会えません。
そこで、その方は中国への留学を決意します。
それから中国の寺院を訪ね歩き、ついに心から師と仰げる方との出会いを果たします。
そのお師匠様の元で修行を積み、その方は教えを正しく理解できた者として正式に認められます。
そこで学んだ教えを、日本で広めたい。
そんな思いから日本に帰ろうと考えたその頃、ちょうどお師匠様が体調を崩しはじめます。
父のように慕ったお師匠様が弱っていく様子を見て、その方はせめて最期を看取ってから日本へ帰ろうと考え直します。
するとお師匠様が口を開くのです。
「今すぐ日本へ帰って、この教えを少しでも多くの人に広めなさい。」と。
その言葉を聞いて、二度と会うことが叶わないと知りながら、その方は日本へ帰り、教えを広めます。
その方が伝えた教えは曹洞宗として私たちが受け継いでいます。
この方の名前は希玄道元。
永平寺を開き、日本に曹洞宗の教えを伝えた道元禅師なのです。
大切な人が本当に望むことを
ご紹介したお二人のお坊さんはどちらも、人生を導いてくれた、心から慕っていた師匠の死に目に会うことができませんでした。
しかし、それぞれの師匠がそれを恨むこともなければ、伝記の上でそれが悪く言われることもありません。
なぜなら、摩訶迦葉尊者も道元禅師も、仏道という道の上で自分がすべきことを為していたからです。
距離を隔て、すぐに駆けつけることはできないその人を、大切に思うからこそ今自分がすべきことをする。
これが仏教の取る立場の一つだと、私は思います。
当然、感情としては最期の瞬間は手を取って見送りたいはずです。
しかし、それが叶わないとき、もしもその人が本当に自分を想ってくれているなら、それを恨んだり憎んだりはしないはずです。
本当の意味で私たちを想ってくれている人は、私たちの幸せと自分の道で精進していくことを望んでいます。
現在の状況でいえば、看取りにきたことで感染してしまえば、それこそがその人への不孝になってしまいます。
もちろん、大切な人の最期は側で看取れるならそれに越したことはありません。
ただし、それが叶わない時にはまず、その人が自分に何を望んでいるかを思い返してみてはいかがでしょうか。
おわりに
今回の記事は、志村けんさんが亡くなった際、ご遺族が遺体と会うこともできなかったという悲しいニュースを見て、すぐに頭をよぎりました。
しかし、手が止まりました。
なぜなら、今この瞬間にも世界で16万人以上の方のご家族が同じ思いをしていると考えた時、こんなことを言っても綺麗事にしかならないのではないかと、不安になったからです。
自分の家族や自分が同じような思いをした時、同じことが言えるだろうかと考えたら自信はありません。
しかし、冒頭の友人から相談を受けたとき仮に役に立たないとしても書いておこう、そう思いました。
大切な人の死に際して、今回書いたようなことを頭で理解するのと感情は全く別問題です。
友人はウェブを使って葬儀を中継して少しでも距離を近づけてあげればよかったのかも、と悩んでいましたが、目に見えるのに届かない距離がお母さんを余計に辛くさせてしまうこともあるかもしれません。
どんな技術を活かしても、その人の体温を超える情報はないでしょう。
科学技術では超えられないものがあるからこそ、今は響かないとしても、ここに私が思う仏教の立場を書いておこうと思いました。
この記事を読んで、余計に辛くなった、怒りが沸いたという方は、本当に申し訳ありません。
ただ、もし誰かの辛さを少しでも和らげることができたなら、これ以上有難いことはありません。