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新宿四ツ谷の東長寺さんで毎月開催している【一行写経と法話の会】も今回を入れて残すところ2回。

今回は私西田が法話を担当させていただきました。

涅槃会からお通夜の心について考えてみます。

お釈迦様の涅槃

本日は先週二月十五日お釈迦様の御命日である仏涅槃会ぶつねはんえについてのお話をさせていただきます。

二十九歳で出家をされたお釈迦様は五十年に渡る修行と布教の旅の末、クシナガラという地でお亡くなりになりました。

先ほど申し上げた通り、涅槃会というとお釈迦様のご命日を意味しますが、実は「涅槃」という言葉自体は、本来死を表す言葉ではありません。

元はインドの言葉「ニルヴァーナ」で、蝋燭ろうそくの火が消えた状態を表現したものです。

この蝋燭の火は人の身を焦がす煩悩をたとえたもので、そんな煩悩の火が消えて覚りに至った状態が「涅槃」なのです。

「煩悩の火が消えた」状態とは、

自分の思い通りにしたいという「貪り」から起こる様々な欲望と、欲望が叶わないことで起こる「いか、そして怒りによって周りが見えなくなる「おろかさ」、この「貪り」と「瞋り」と「かさ」の、とんじんを中心とする諸々の煩悩の火が消え、何事にも惑わされない安らかな心の状態です。

そして、同時にこれは仏教が目指す最大のテーマでもあります。

二つの涅槃

ただ、ここで一つの疑問が湧きます。

「涅槃」が煩悩の火が消えた状態ならば、お釈迦様はお覚りを開かれた十二月八日にすでに涅槃に入られていたはずです。

それなのになぜお覚りを開かれた日ではなく、亡くなられた日を涅槃会というのでしょうか?

実は、お覚りを開かれてなお、弛まぬ修行の中で涅槃の境地に在り、一切の執着しゅうぢゃくを離れておられたお釈迦様でしたが、そのお釈迦様を苦しめる唯一の存在がありました。

一体何でしょうか?

 

それはご自身のお身体です

 

 

八十歳を迎え、老い衰えて病を抱えたお釈迦様のお身体にとって、晩年の旅はそれは苦しいものであったようです。

ところが最後まで残ったそのお身体すら、死によって手放された時、お釈迦様は本当に囚われるものがなくなったのです。

先ほどの蝋燭の例えで言うならば、お釈迦様はお覚りを開かれてから、煩悩の火は消えていても、火を点す蝋燭が残っている状態でした。

これを、有余うよ涅槃といいます。

ところが死によってその蝋燭すら無くなった、同じ火が消えた状態でも根源から消えたということで、お釈迦様の死を完全な涅槃、はつ涅槃(無余むよ涅槃)と呼ぶようになりました。

つまり、お釈迦様のご命日を涅槃会と申し上げるのは、お釈迦様が完全なる涅槃「般涅槃」に入られたからなのです。

また、お釈迦様が般涅槃に入られたクシナガラの村の民は、絶えず花輪を飾り、夜通し歌や踊りによって盛大にご遺体をお祀りし、とても華やかで賑やかな様子だったようです。

それはお釈迦様の死を悼むというより、「般涅槃」に入られたことを賛嘆したものとも言えましょう。

涅槃会とお通夜

そんな仏涅槃会ですが、実は二月十五日に限らず日本ではこれにまつわる儀礼が広く行われています

臨時行事ではありますが、全国的に見れば今日もあちこちで勤められていることでしょう。

一体どんな行事でしょうか?

 

その儀礼とは「お通夜」です。

 

昨年、地元のご老僧が亡くなられ、私はお通夜とご葬儀の法要解説を勤めさせていただきました。

これを機に改めてお通夜について調べてみて、驚きました。

お通夜で行われることの一つ一つ、例えばご遺体のお祀りの仕方お唱えするご回向などが、お釈迦様が般涅槃に入られた時の様子を見事に再現していたのです。

つまり曹洞宗のお通夜では、和尚さんに限らず一般の方も同様に、故人を生前の誰々さんとしてお送りするのではなく、般涅槃に入られたお釈迦様になぞらえてお弔いしているということになります。

では、そんなお通夜という儀式に、遺された者はどのような心で臨むべきなのでしょうか

お通夜と仏遺教経

お通夜でお唱えするお経に『仏垂ぶっし般涅槃はつねはん略説りゃくせつ教誡きょうかい』があります。

略して、釈迦牟尼された最期のえ、遺言の教えということで『仏遺教経ぶつゆきょうぎょう』とも言います。

このお経は、お釈迦様が涅槃に入られる直前まで、枕辺まくらべに集う大勢のお弟子さんを思い、死が間近に迫るお体の苦しみを耐えながら、穏やかに教えの要を説き尽くされた様子を伝えています。

今回お写経していただくのはそんな『仏遺教経』の結びのお言葉、お釈迦様がこの世に残された最期お言葉です。

汝等且止。勿得復語。時將欲過我欲滅度。是我最後之所教誨。

(汝等なんだちしばらみね。ものいうことることなかれ。時まさに過ぎなんと欲す、我滅度めつどせんと欲す。是れ我が最後の教誨きょうげするところなり。

そのご生涯で説かれてきた教えの要を改めて確認し、質問がないことを確認されたお釈迦様は、

「それでは皆静かになさい。もう言葉を語ってはならぬ、永久の安らぎに入る時が来た、この私の旅立ちの姿こそ最期の教えである。だから、黙して見つめよ。」

とのお言葉をその場のお弟子さんたちに掛け、最期の時を迎えられました。

自らの死に逝く現実を最期の教えとして説かれたのです。

学生時代の出来事

私はそんなお釈迦様の御最期から思い起こされることがあります。

学生時代の事です。

成り行きで駒澤大学仏教学部に入学した私は、単位を落としはしないものの、興味を持って熱心に学んでいるとは言えない学生でした。

しかし、三年生の時に偶然受講したある講義で、仏教を学ぶ態度に変化が生じました。

その講義は、まだ若い三十代の非常勤講師さんが担当される講義で、受講者は、学生が5〜6人、そして少しお年を召した聴講の方々が10人程という異色の受講者構成でした。

さらに、その講義の内容は受講者の構成に増して異色でした。

決まったテキストは無く、その日に受講者が知りたいことを講義するというものだったのです。

この型破りな先生は、学生との間に隔てを付けずまるで友達か兄弟のように接して下さり、講義のあとは食事や飲みに連れて行ってくださったり、期末のテストに至っては大学近くの沖縄料理屋さんで飲みながら採点をしたほどです。

自分がわからないことを聞けて、納得できるまで教えてくれるその先生のお陰で、私は仏教の学びに楽しさを感じるようになりました。

祖父の死と先生の経験

そして、その講義の単位を三年生で取得しましたが、単位とは関係なく四年生になっても先生の講義に足を運びました。

その大学四年の年の六月、私のその後を大きく方向付ける出来事が起こります。

大学に入るまでお寺でずっと一緒に暮らしていた祖父が亡くなったのです。

心臓疾患で肺に水が溜り、苦しさは浅く早い呼吸になって表れ、入院するも日に日に体力が衰えて最期を迎えました。

もちろん悲しみもありましたが、生まれてからずっとそばにいた祖父の死はどこか現実味がなく、気持ちが宙に浮いたような感覚でした。

私は大学で多少なりとも仏教を勉強して、無常であるとか無我であるとか、仏教が人の命についてどう考えるかはなんとなく知っているつもりでした。

しかし、本当に私を可愛がってくれた祖父の死を目の当たりにした時、その死という現実をどう受け止めたらよいのか、私にはわからなかったのです

葬儀も終わり、二週間ぶりに大学の講義に出た私に、先ほどの先生が、

どうした、何かあった?

と声を掛けて下さいました。

祖父が亡くなった旨を伝えた私に、先生は講義の終了後、

飲みに行こう

と一言、誘ってくださいました。

駒沢にあるもつ鍋屋さんで、先生はこう仰いました。

 

人の死っていうのは、その人の最後の説法なんだよね

 

そう仰ってから先生はご自身の経験をお話し下さいました。

お聞きすると、先生は大学生の頃にお母様を自死で亡くされていたのです。

お母様が抱えていた苦しみに気付けなかったこと、そしてその死の悲しみと向き合い、解決したいという思いが、仏教を真剣に学ぶきっかけになったとのことでした

安らかな顔に導かれて

お話を聞いて、私は亡くなった時の祖父の顔を思い返しました

頑固で真面目で不器用、しかし僧侶としての生き方を全うした祖父は、とても安らかな顔で永久の眠りについていました。

呼吸が苦しくてずっと眉間に寄せていたシワは消え、穏やかな笑顔を見せくれていたのです。

山間の農家に生まれ、苦労に苦労を重ねながら辿り着いた僧侶の道。

仏道を信じて仏道を歩み切って死を迎えた祖父の、その安らかで穏やかな笑顔は、僧侶としての人生を歩む覚悟が定まり切っていなかった私に、

この道でいいんだよ

と、優しく諭してくれていように思えました。

高野山金剛峯寺所蔵

最後の説法とお通夜の心

お釈迦様は、お弟子様たちに教えの要を遺言として説かれたのち、静かにご自身の最期を見届けるよう言い残されました。

それは、思い通りにならない無常・無我の世でも、仏道を信じ歩んで行けば何の心配もないことを、ご自身の最期を以てお示し下さった無言の説法でありました。

そして、最後の説法をしかと受け取ったお弟子様たちは、涅槃に入られたお釈迦様のお側で、夜通しその教えと、自分たちの今後の生き方を確認し合いました。

この、お弟子様たちが「夜通し」教えを確認しあったことが、お通夜という言葉の起源となっています。

つまりお通夜とは、故人を般涅槃に入られたお釈迦様と重ね合わせ、故人が無言で説いて下さっている最後の説法を聞き届ける儀式だったのです。

皆様はこれまで大切な人との別れの中で、どのような説法を聞いて来られたでしょうか。

心温まる優しい教えもあるでしょう。

厳しさに耳を覆いたくなるような教えも、或いは、故人の至らなさから、半面教師として受け取るより仕方ないこともあるかも知れません。

いずれにしても、遺された者の勤めは、故人が残して下さった教えを受け取り、正しい道を歩んで行くことではないでしょうか。

そうすることで初めて、故人は遺された人を正しく導く存在、仏様になるのです。

 

汝等且止。勿得復語。時將欲過我欲滅度。是我最後之所教誨。

 

涅槃会にちなんだ本日の一行写経と法話の会では、『仏遺教経』のこちらの一節をお写経して頂き、皆様がこれまで出会われた最後の説法に、改めて耳を傾けて頂けたなら有り難く存じます。

ご清聴ありがとうございました。

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