後輩に会いに、小田原へ行ってきた

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私が永平寺を下りて、間もなく5年が経つ今日この頃。

今回は一人の後輩を訪ねて、小田原へ行ったお話です。

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小田原へ

2020年2月16日、日曜日。

雨が降るその日、約1時間半電車に揺られ、私は初めて神奈川県小田原の地を踏みました。

目的は大学時代の後輩に会う為

大学3年生の時、所属していたダンスサークルに入ってきた彼は、ダンスではなくレゲエのDJでした。

私がいたサークルはダンスに限らずDJもいたので、彼が入ってきたこともそこまで特別なことではありませんでした。

彼とは後輩の中でも特に仲良くなり、私の家にも頻繁に遊びに来るようになりました。

私が永平寺に行っていた2年を経て再会すると、彼は1年多めに大学で勉強する一方、レゲエのDJとして着実に成果をあげていました。

そんな彼の名前は、まさや。

JIGGY ROCKというチームで活動しつつ、AK-MOVEMENTという関東レゲエ界の若手注目株が集まったグループにも所属しています。

(写真右下)

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私はそんな彼に会いに、地元である小田原の地を踏んだのです。

ちなみに、見た目は強面ですが、高所恐怖症、アルコールはもちろん炭酸も苦手という心優しい人間です。

魚!お城!

さて、小田原駅まで車で迎えにきてくれたまさや。

まずは彼オススメの魚が美味しい食堂へ。

案内してくれたのは「こじま食堂」さん。

漁港からすぐそばのお店です。

なんでも金目鯛の煮付けがオススメとのことで、金目鯛の煮付け定食と、これまたオススメのアジのたたきを注文。

あれやこれやと話していると、きました!

どん!

これだけ立派な金目の切り身で980円とは素晴らしいですね!

そして、脂が乗っていて、よく味が染み込みつつも身がしっかりとしているこの煮付けの美味しさたるや…。

最高です。

そしてアジのたたきもこれまたたまりません。

美味しい魚がお手頃な価格でいただける、これだけでもう小田原に感動しています。

そしてなんと、遠くから来てくれたからと、いつの間にか会計を済ませるまさや。

いやいやさすがに後輩に奢られるわけには…、え、なに?いいの?

ごちそうさまです!!

いやはや、本当に美味しかった。

小田原駅からは少し離れますが、本当にオススメです。

ちなみにかなりの人気店で、14時頃に行くと待たずに入れるとのことです!

 

続いて訪れたのは関東屈指の名城である小田原城

梅が咲きはじめ、天気さえよければ天守閣から相模湾を見渡す景色もさぞかしきれいだったのでしょうが、天気は生憎の雨

お城の中の展示などを見学して周りました。

その後は、駅前で小田原名物のかまぼこ梅干しを購入し、なんと車で都内まで送り届けてもらい、小田原プチ旅行は終了しました。

小田原に会いに来た目的

さて、今回小田原までまさやに会いに来たのには一つの目的がありました。

それは5年前に借りたCDを返すこと

わざわざ今小田原まで返しに行ったのには理由がありました。

それは彼が2月25日から修行に行くからです。

実は、まさやは私と同じ曹洞宗のお寺に生まれ、駒澤大学の仏教学部に入学したことが、知り合うきっかけとなりました。

いずれお互いに同じ道へ進むということも、気が合う理由の一つだったのかもしれません。

私が会いに行った日から10日後、神奈川県足柄にあるお寺での修行が、彼を待っていました。

無意識のうちに、私は自分が修行に行く10日前を思い出していました。

ちょうど、周りからの冗談半分の励ましが冗談に聞こえなくなる頃

何をやっても空しく感じ、無気力になりました。

そんな時に友人が訪ねてきてくれたことが何よりも嬉しかった記憶があって、私は小田原に行ったのかもしれません。

今何を言われようと、修行に向かう時は一人、その道のりの心細さや辛さは以前記事に書いた通りです。

大した力になれないことがわかっていながらも、私はいてもたってもいられませんでした。

置いていく物の大きさと支えの大きさ

私が修行に行く直前のまさやに会いに行ったのは、自分と重ねたことや彼との親しさ、そしてもう一つ理由があります。

それは、彼がレゲエのDJという情熱を注ぐものと、大切な仲間を置いて修行に行くからです。

情熱を注ぐもの、好きなこと、大切な人たちがいることは、修行の行く時の辛さの大きな原因です。

起床時間が早い、携帯電話・パソコンが使えないということ自体は、実は慣れてしまえば肉体的にはそれほど辛くありません。

しかし、情熱を注いでいたことから離れ、仲間や友人や恋人ともまったく異なる生活サイクルを送り、連絡が取れないことの辛さばかりは、なかなか慣れることができません。

私の同期で、音楽をやっていた修行僧には、病院に行った帰りに携帯ショップでブログを更新したツワモノもいます。

置いていく物、離れる人の存在が大きいほど、修行に行く時や修行中の辛さは増すものなのです。

一方、修行中に大きな心の支えとなるものもあります。

それは他でもなく、情熱を注ぐもの、好きなこと、大切な人たち…そう、辛さの原因となるものと同じなのです。

修行中に辛くなった時、同じ空の下で頑張っている仲間や心の底から自分を思ってくれている人の存在は、大きな支えになります。

自分を本当に想ってくれている人は、ズルをしてうまくやり過ごすより、たとえ格好が悪くても、正直に、真摯に自分と向き合い、修行に打ち込むことを望んでいるはずだからです。

置いていくものや人の存在を大切に思う、なればこそ、それを妥協や目を背ける理由にはせず、正しい道を歩むためのコンパスとしていくことが重要なのだと、今では思います。

余計なお世話だったかもしれませんが、そんな経験を一応の先輩からのメッセージとして伝えさせてもらいました。

それぞれの修行、それぞれの景色

「曹洞宗の修行」と一言に行ってしまうとどこも全く同じことをしているように聞こえてしまいますが、実は修行僧一人一人が経験することは、全くと言っていいほど異なります。

修行道場の規模や土地柄によってシステムも微妙に違いますし、さらに年代や指導者によっても大きく雰囲気が異なります。

実は永平寺の中でですら、どんな役割を経験するか、どんな指導者に出会うか、何年いるかで、見る景色は全く変わってくるのです。

ですから、禅活メンバーの中でも、同じことを経験しているようで、それぞれに違う景色を見ています。

それでも共通することは、大切な物・事・人との別れです。

そして、離れ離れになる大切な存在を、修行中の妥協の理由にするか、精進の原動力とするかで修行の在り様は大きく変わります

正直なところ、私はそんな存在によって支えられたこともあれば、それを理由にズルをしたこともあります

しかしそうして、「支えられて生きる自分」「弱さに負ける自分」の両方を知ることに大きな意味があったと思っています。

永平寺を開かれた道元禅師は、中国で修行をして「眼は横、鼻は縦についていること」を知ったと言われています。

それは、非日常の想像を絶する体験をすることが修行ではないということを表しているのではないかと、私は思います。

握手をして別れたまさやが、これからどんな修行生活を送るのか。

彼が置いていく大切な存在が、彼を支える柱となり、「行ってよかった」と思える修行になること、そして健康を心から願っています。

 

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