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僧侶の視点から様々なものをレビューするこちらの【僧侶的よろずレビュー】。
更新頻度の関係などもあって一時は西田個人のnoteへの移行を考えましたが、今回の外出自粛に伴って日曜日更新の企画にしています。
さて、このところAmazon Primeビデオの映画が立て続いたので、前回は今話題のアニメ「鬼滅の刃」をレビューしました。(結局これもAmazon Primeビデオ)
今回は#1以来となる絵本をご紹介します!
Contents
#13「おおきくなるっていうことは/中川ひろたか」
今回ご紹介するのは中川ひろたかさん著、「おおきくなるっていうことは」という絵本です。
この絵本との出会いは、以前禅活の作務としてシャンティ国際ボランティア会さんの「絵本を届ける運動」のお手伝いをした時でした。
発送作業の中で落丁等の確認をしていて、何気なく目にしたその内容の深さに、私は思わず唸ってしまいました。
あらすじ
この絵本の内容はいたってシンプル。
1ページに一つずつ、「おおきくなるということ」がどういうことかが描かれています。
例えば、
「おおきくなるっていうことは、あたらしい歯がはえてくるっていうこと」
というように、児童向けらしい微笑ましい内容が描かれます。
しかし後半になるにつれて、果たして私はそれができているだろうか?おおきくなれているのだろうか?と思わされるような、深い内容になっていき…。
(商品ページより)
大人って何?
私は今年で29歳になります。
そして、20歳を超えた頃からずっと思っていたことがあります。
それは
大人ってこんな感じだったっけ?
ということ。
幼い頃に遊んでもらった従兄弟のお兄ちゃんの年齢になり、中学の担任の先生の当時の年齢を超え、同い年の友人たちが次々に結婚をする年齢になった今、これまで見てきた「大人」に私はなっているのだろうか。
そんな疑問が起こるのです。
あの時見た大人はこんなに悩みが多かっただろうか、意志が弱かっただろうか、そんなことを考えているうちに、大人と子どもの境界線がわからなくなりました。
成人をしたら?結婚をしたら?経済的に自立をしたら?
大人になるって一体何なのでしょうか。
仏教にとっての大人
実は、仏教にも大人という言葉があります。
ただし、「おとな」とは読まず「だいにん」と読みます。
一説には、お釈迦様はお亡くなりになる際に「大人とはこういうものだ」という教えを遺言として語られており、その様子は、以前涅槃会の際にご紹介した『仏垂般涅槃略説教誡経』に描かれてます。
お釈迦様曰く、大人というのは「八大人覚」と呼ばれる8つのことを常に心に留めて忘れない人のことなのだそうです。
その8つというのは、以下の通りです。
①少欲
②知足
③楽寂静
④勤精進
⑤不妄念
⑥修禅定
⑦修智慧
⑧不戯論
この8つをここで全て解説することはできませんが、この8つが示しているのは、大人と言いながら実は「仏の心構え」です。
これらを常に忘れない人が仏である、つまり仏教にとっての「大人」とは、仏様のことなのです。
別に仏になりたいわけじゃない方へ
曹洞宗にとって「仏になる」というのは、漫画「ブッダ」で描かれるような、特別な覚醒体験をすることではありません。
作法にのっとった生活や坐禅という修行生活を送ることで、自ずと仏の心が宿る、つまり仏になると考えます。
つまり、坐禅会や食作法のワークショップに参加してくださった皆様も、あの瞬間は仏様になっていたということになります。
しかし、ここで急に「仏になる」とか言われると、今回のテーマである「大人」が身近な話ではなくなってしまうでしょう。
そこで、仏教徒ではない方にもぜひ注目していただきたい仏の性質があります。
それは「修行をしている時が仏である」ということ。
んだよ!結局ピンと来ねえよ!と思われた方、落ち着いてください。
私がここで言いたいことは
「大人の行動をすることで大人になる」
ということなんです。
ただしここで重要なのは「大人の行動とは何か」ということ。
成人すること、経済的な自立、家庭を持つことも、日本の社会で言えば「オトナ」の目安となるかもしれません。
しかし、そんな目安も外国に行けば変わってしまいます。
ところが、「大人としてすべき行動」は万国共通です。
簡単に言ってしまうと「感情や欲に振り回されるのではなく、他者との関係性の中で行動をしていくこと」これが大人のすべき行動であり、仏教の最終目標である「涅槃寂静」とも重なってきます。
そう考えてみると、「大人」というのは子どもに対してマウントを取るための笠ではなく、自分の在り方を戒めるための言葉なのかもしれませんね。
だれもが少なからず子ども
冒頭で述べた通り、私はこの年齢になって「大人ってこんなんだっけ?」という思いが年々強くなっていました。
しかし、この思いこそが大人になる為に必要なことなのかもしれないと、この絵本を読んで思いました。
仏教が完成のない道を歩み続けることであるのと同じように、大人であろうとし続けることが大人になるということなのでしょう。
こちらも以前一度ご紹介しましたが、昔の中国で禅僧に詩人のこんな会話がありました。
詩人「仏教とはどんな教えだ?」
禅僧「悪いことをせずに善いことをすることだ」
詩人「そんなこと子どもでも知ってるわい!」
禅僧「そんな子どもでも知っていることが、大人でもできないじゃないか」
小さな頃、大人とは自分たち子どもが成長して辿りつく、究極完全体だと思っていました。
ところがそうではなかったと、今ならわかります。
年齢に関係なく、小さな大人もいれば、大きな子どももいるものです。
比較的大人になれている人だって少なからず子どもな部分があるはず。
おおきくなるっていうことは、器に対して中身もおおきくなることなのだと、この絵本は気づかせてくれたのです。
まとめ
この絵本を子どもと読むには、一度ご自身で読んでみて、日頃の行いを振り返ってからの方が良いかもしれません。
なぜなら、絵本の後半の心の部分で、急に冷や汗をかくようなことになりかねないからです。
もしくは子どもに痛いところをつかれて、「私はいいの!」という暴論を振るわざるを得なくなるでしょう。
と、そんな脅迫めいた冗談はさておき、この絵本は子どもに「成長とはなにか?」を説きつつ、大人にも自分を振り返らせるという巧妙な内容になっていて、幅広い年齢層で楽しめるはずです。
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