
お坊さんのシンボル……それは、
ツルツルに剃ったアタマ!
もちろん宗派や個別の事情によって頭髪を剃っていない僧侶もたくさんいますが、
「お坊さん=髪を剃っている」というイメージをお持ちの方は多いのではないかと思います。
ちなみに髪の毛を剃ることは、一般には剃髪といいますが、曹洞宗の宗侶は髪を浄めると書いて「浄髪」と呼びます。
私自身、週に1、2度は髪の毛を剃っているわけですが、
先日、髪でもない、ヒゲでもない、別の毛を剃ってみました。
今回は「髪の毛を剃りはじめて感じたこと」と「髪の毛でない毛も剃ってみて感じたこと」、これら2つのツルツルライフについて記事にしていきます。
Contents
髪の毛を剃りはじめて感じたこと
私が初めて、自分の髪の毛を剃ったのは、10歳の頃のことです。
お坊さんとしての出発の儀式である「得度式」のために髪を剃りました。
当時の記憶はかなりあいまいですが、行きつけの理髪店にお願いして剃ってもらったと記憶しています。
この時は、自分から「僧侶になるぞ!」「髪を剃るぞ」と強い決意をもって剃ったわけではなく、
とりあえず早いうちからお坊さんの資格を取っておいた方がいいから、と勧められて、言われるがままに剃ったという感じでした。
その後、自分の意志で髪の毛を剃り始めたのは、まだはっきりと僧侶として生きる決意をしていたわけではない、大学生の時のことです。
その切っ掛けはほんとに些細なことでした。
「髪、切りに行くの面倒くさいなあ……」
「自分で剃ってしまうか!」
そう。
髪の毛の手入れが面倒くさいから、剃っちゃえ、と本当に単純な理由だったのです。
さらには、
「実家がお寺だし、何かのネタになるだろう(笑)」
という目論見もありました。
そんなわけで、夏場はアロハシャツ&スキンヘッドの風体で大学に通っていた私ですが、
あまりにも目立つせいか、友人曰く、学部の有名人になっていたようです。
時折差し向けられる好奇の目線を除けば、ツルツルライフは「快適」の一言。
「定期的に理髪店に通わなくてもいい。」
「散髪代が浮く。」
「髪型に気を遣わなくてもよい。」
「風を感じる。」
と、頭を丸めてよかったなあと思うことばかりでした。
こんないいことを独り占めしておくのはもったいない、剃るといいことばかりだよ!あなたも是非!と、何人かの友人には勧めたのですが、
不思議と、オレも剃ってみたよ!という人は現れませんでした。
ちなみに、僧侶が髪の毛を剃る理由は、
「髪の毛の手入れをする時間と手間が修行の妨げになる」
「髪の毛や見た目への執着を断つ」
などですが、大学生の時分の私もそのメリットを存分に享受していたわけです。
その後、道場での修行生活を経て、本格的に僧侶として活動するようになってからも、髪の毛を剃り続けています。
やはり髪を剃るとスッキリした気持ちになりますし、「剃るのはいいなあ」と何かにつけ感じます。
理髪店で「襟足はこんな感じ……もみ上げはこう……前髪は……」などとオーダーするのを煩わしく感じている方。
いっそ、剃ってみては!?
髪の毛以外の毛も剃ってみた
と、髪の毛を剃ることの素晴らしさを知り尽くしている私ですが、
実は髪の毛でない毛に、長らく悩まされていました。
その毛とは足の毛、すね毛と太ももの毛です。
どのような悩みかと言うと、夏場は問題ないのですが、冬場になると、
「毛が引っ張られて不快なので、防寒タイツを履きたくない」
というもの。
寒さ厳しい北海道。
冷え性の私。
冬場はなるべくなら、タイツ(ズボン下)を履いてぬくぬくと過ごしたいのですが、
装着時にすね毛ともも毛よりもたらされる、ちくちく&モジャモジャがどうにも気持ち悪いというジレンマを抱えていたわけです。
そこで、今年の冬、またも思いつきました。
「そうだ。剃ってしまえばいいじゃないか」
思い立ったが吉日、早速剃ってみました。
すると、どうでしょう。
今まであれほど悩ましかった、タイツ装着時の不快感がほぼ皆無になりました。
それどころか、タイツがぴったりと肌にフィットする感じもあって、爽快感すら生まれます。
まさにこれは、剃毛革命、毛ぞりのルネッサンスです。
剃ってみてよかったことはそれだけではありません。
部屋に抜け毛が散らなくなった。
冬場は毎年ドアノブの静電気に悩まされていたが、それがほとんどなくなった。
毛が減ったことで、ボディソープの使用量が減った。
と、いいことずくめ。
カミソリ負けにさえ気をつければ、足の毛を剃るのはとてもいいことだなあ!と思いました。(※ただし、時間もかかるし、肌に負担もかかるので、万人にはお勧めできないとも感じました。)
ムダ毛処理への偏見
何事も実際にやってみないとわからない、とはよく言いますが、私の場合、足の毛を剃ることはまさにそれでした。
実は、かつて私は髪の毛とヒゲを以外の「男性のムダ毛処理」を、愚かしい行為であるとすら考えていました。
「剃るだの脱毛など、笑止千万!」
「脱毛ビジネスやファッションリーダーに煽動されておるのだ、世の人は!」
「おしゃれ目的ですね毛を剃るとか、片腹痛いわ!」
「毛は生えるに任せるが自然なり!」
少々誇張を加えておりますが、おおむねこんな具合です。
今にして思えば、まさに偏見だったなあ、と苦笑するばかり。
長い間、タイツと足の毛の相性の悪さに悩まされながら、毛を処理しようという風に考えが至らなかったのも、こうした不要なこだわりがあったせいもあるでしょう。
「男性らしさ」「おしゃれ嫌い」「謎のナチュラル志向」を是とする固定観念が生み出した偏見が、私を束縛していたのです。
固定観念は視野を狭め、人間の可能性を縮小させるのだなあ。
足の剃毛を通じてこんなことを感じました。