阿炎関の休場から考える「不寛容な社会」

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プロ野球、F1選手権、大相撲、大リーグ、インディカー。

新型コロナウイルスの影響によって、延期されていた様々なプロスポーツが徐々に開幕してきました。

無観客、あるいは観戦者を限定しての興行が世界各地で始まっています。

選手たちが競技の中で躍動する姿に、どこか溜飲の下がる思いをしている方もいらっしゃることでしょう。

さて今回注目したいのは、大相撲7月場所

今場所は相変わらず強い横綱白鵬関、

綱取りへの期待もかかる新鋭の大関朝乃山関を筆頭に、

炎鵬関、石浦関といった小兵力士の奮闘、

あるいはケガから数年を掛けて幕内への復帰を果たした照ノ富士関の活躍など、

力の入った取り組みに、見どころ満載の場所となっています。

しかし、一方で残念なニュースも入ってきました。

今回は、一人の関取の「強制」休場にスポットを当てて記事にしたいと思います。

Contents

阿炎関の休場

その関取とは、阿炎あび関。

元関脇の寺尾関が親方を務める、錣山しころやま部屋所属の力士です。(※ちなみに私は寺尾関の大ファンです)

しこ名である「阿炎」は親方の愛称に由来していることから、その期待の高さがうかがえます。

まだ26歳と若く、最高番付は小結で、実力も十分。

今後の活躍に注目していきたい力士の一人です。

この阿炎関ですが、7月場所7日目に突然の休場が発表されました。

その理由は当初、

外出禁止を破り、会食をしたため

と説明されました。

相撲協会はコロナウイルス感染防止を目的としたガイドラインを定めており、

その中に場所中の外出禁止もあるとのこと。

このニュースを目にしたとき、私は処分が重すぎると感じました。

ガイドラインに定められているとはいえ、強制的に休場ということは、言うなればほとんど停職処分です。

「外でご飯食べてきたよ!」

「あっそ、明日から休場な(怒)」

では、あまりに厳しいと感じてしまったのです。

 

しかし、よくよく考えてみれば、この処分は妥当だと思えます。

相撲という競技は相手力士と肌を触れ合わせなければ成立しません。

また力士たちは一つの部屋で集団生活を営みます。

さらに力士たちの体型を考えると、ウイルス感染時のリスクが一般人に比べて非常に大きいと思います。

(悲しいことに、すでに一名の力士がコロナウイルスによって命を落としています。)

こうしたことを考えていくと、罰則を設けて「外出」を厳しく戒めるということは必要でしょう。

また、その後の報道によれば、「会食」はいわゆる「接待を伴う飲食店」でのことだったそうです。

本場所の最中、禁を破り、リスクが高いとされるお店に行く……その行動は軽率であると言わざるを得ません。

実は阿炎関は、これ以前にも度重なる問題行動で物議をかもしていた経緯があります。

SNSに暴力的な内容を含む「悪ふざけ」動画を投稿して炎上。

この炎上問題を受けて開かれた研修会では「爆睡していた」と発言。

こうした軽率さに、厳しいお灸が据えられたということでしょう。

 

今回、阿炎関は休場という代償を支払いましたが、場所後にはさらに重い処分が科される可能性もあります。

この問題を真摯に受け止め、阿炎関にはさらなる精進を期待したいところです。

ニュースのコメント欄に見る「不寛容」

さて最近のインターネットのニュース記事には、

読者のコメントが付くものがあります。

今回の阿炎関のニュースに関してのコメントを見ていくと、

「反省して出直せ」「師匠を泣かせるな」

という阿炎関や周囲の人を慮ったコメントはごく少数

やはり「解雇するべき」「即引退」「更生は無理」などの、

厳しすぎるほどに厳しい意見が大勢を占めていました。

ざっと見て、およそ6割以上がこうした「厳しい」意見だったと記憶しています。

確かに阿炎関の軽率さは責められてしかるべきなのかもしれませんが、

私はニュースのコメント欄に今の社会の「不寛容さ」を感じたような気がして、背筋が凍るような思いがしました

完璧な存在でない人間は、誰しも失敗を犯します。

それだけでなく、往々にして人間は同じ失敗、似たような失敗を繰り返すものです。

失敗の中で、学び、成長するのも人間の姿です。

ひとつの失敗でこれまで積み上げてきたものをすべて否定されるのは、あまりに残酷ではないでしょうか。

そして仏教の立場に立つなら、「正しさ」とは調和のためのものであって、人を責める武器ではないのです。

コロナウイルスへの「不寛容」が、他者に対する「不寛容」に?

コロナウイルスの感染拡大があって、今の日本社会は他者の行動に対して非常にナーバスになっています。

もちろんウイルスの感染を防ぐために、それぞれが対策を図り、

新しい生活様式のガイドラインに沿った行動をとることは必要です。

しかしそれが、

「隣町でコロナが出たらしい」

「持ち込んだのは○○さんの息子らしい」

と、犯人捜しのような様相を呈するのはいささか行き過ぎでしょう。

また、

「自粛警察」

他県ナンバー狩り」

「芸能人がコロナ感染で謝罪」

などを見ていると、

コロナウイルスへの「不寛容」が、他者に対する「不寛容」になりつつあるのではないか。

と不安になってしまうのです。

ひょっとすると、

錣山親方が期待の力士たる阿炎関を強制的に休場させたのも、

問題が大きくなる前に厳しい処分を下して、

阿炎関を苛烈な批判から守るための措置だったのかもしれません。

まとめ

さて……

コロナウイルス感染拡大に伴う自粛期間は明けましたが、

周知の通りコロナウイルスの脅威が世界からなくなったわけではありません。

そのような状況下で、今、日本の社会は停滞した経済をなんとか立て直そうとしている最中です。

特に「不要不急」とされた娯楽産業や観光産業はとりわけ厳しい状況にあります。

これらを立て直すには、言うまでもなく「外出」あるいは「人と人との接触」が伴います。

旅行をするには外出を伴うわけですから、観光へは「今行かなくてもいい」という判断こそが妥当であるかのように思えます。

たとえば旅行に出た結果コロナウイルスに感染したとなれば、その人は「軽率」として責められることでしょう。

コロナウイルス感染拡大防止と産業振興。

この2つを両立させるための回答は未だ、誰も持ち合わせていません。

ただ一つ。

ありきたりかもしれませんが、

世の中が大変な状況にあるからこそ、お互いがお互いを思いながら行動することが必要です。

様々なことを手探りで進めていかねばならない中、

今の日本社会に感じられる「不寛容さ」は深刻な枷となるように思えます。

ソーシャルディスタンスが叫ばれる中にあって、

コロナウイルスによって人と人との間にある垣根が低くなるのか、高くなるのか。

願わくば前者であることを祈って、本記事を終えます。

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