【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】vol.36 ばぁちゃんの応援

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これは私、深澤亮道が福井から岩手までの700Kmを無一文で歩いて帰った物語である。

Contents

前回までのあらすじ

前回は、永平寺を出発して21日目、宮城県の大崎市から栗原市まで歩き、翌日ついに岩手県に突入しました!

前回の記事は以下から読むことができます。↓

バックナンバーは以下から読むことができます。

【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】

今回は、岩手入りしたところから、岩手県水沢市(現奥州市)までの30kmの道のりをお伝えします。

夏草や 兵どもが 夢の跡

22日 10:00〜

天気はどんより曇り空。

時折、ポツリポツリと雨が落ちてくる中天気の中、国道4号線を北上します。

岩手県最南端の街、一関市の市街地を抜け、ほどなくすると平泉町ひらいずみちょうに入りました!

みなさんの中でも、平泉町の名前を聞いてピンと来る人も多いのではないでしょうか?

そうここは、中尊寺ちゅうそんじ毛越寺もうつうじをはじめとする歴史的な寺社仏閣、庭園などが数多く残っていることから、町の名前がそのまま世界遺産になった場所なのです!

中尊寺 引用:写真ac

毛越寺 引用:写真ac

平安時代の後半、奥州藤原氏おうしゅうふじわらし初代当主藤原清衡ふじわらのきよひらと呼ばれる豪族がこの平泉を中心として東北全体を、仏教思想に基づいた理想郷、仏国土、仏教王国を造り上げようと多くのお寺や庭園を整備しながら、勢力を伸ばしていきました。

奥州藤原氏は清衡から4世代に渡る約100年間、平泉を拠点として、現在の東北全土を統治しており、京の都 平安京に次いで繁栄していたそうです!

しかし、その時代もいつかは必ず終わりを迎えます。

悲劇のヒーローとして有名な源義経みなもとのよしつねは、実の兄である鎌倉幕府初代将軍の源頼朝みなもとのよりともの怒りを買い、その身を追われることになります。

そして、源義経が逃げ込んだ先が、ここ平泉でした。

鎌倉幕府にとっても奥州藤原氏の勢力は脅威であること、そして源義経をかくまったことにより、源頼朝は奥州討伐を決行します。

追い込まれた、奥州藤原氏4代当主藤原泰衡ふじわらのやすひらは、源義経を自刃じじんさせますが、その後源頼朝の軍勢に攻め入られ、仏国土ぶっこくど「平泉」そして、奥州藤原氏は滅んでしまいました。

時代は下り、江戸時代に俳人の松尾芭蕉まつおばしょうがこの地を訪れた際、次の有名な一句を残しました。

夏草なつくさつわものどもが ゆめあと

松尾芭蕉

かつては奥州藤原氏が栄華を誇り、源義経という剣術も戦術も圧倒的に優れていた人物がいた場所も、今はもう何も残っていなく、ただ夏草が揺れているだけ、という栄枯盛衰えいこせいすい、人生の儚さを詠った歌になります。

岩手で生まれ育った私ですが、確かにこの地にそんな大きな都市があったことや、あの源義経がいたというのは、夢の出来事のように感じます。

しかし、歴史が割と好きなのでここまで詳細に熱弁しましたが、実を言うと私、「中尊寺」も「毛越寺」も行ったことがありません。笑

©︎ドラゴンボール 鳥山明

それでも今は、夏草以外にも世界遺産を構成する跡地が数多くありますので、皆さんはコロナウィルスに気をつけつつ、GoToキャンペーンを利用して、足を運んでみてください!
(ですが岩手県はある意味、全国で一番コロナウィルスに敏感になっているかもしれません。)

ばあちゃんの応援

22日 11:00〜

さて、話を戻しましょう。

「景観保護条例」に基づき設置された、茶色い看板のコンビニは、「あぁ、ここが世界遺産の土地なんだな」と思わせてくれます。

平泉町をテクテク歩いていると、目の前に一台の車がハザードを点滅させて止まっています。

あれ、なんか見たことある車だな?

と、心の中で思いながら近づくと、

いや、母親の車じゃん!

見た事あるレベルではなく、今まで幾度となく乗ったことのある車でした。

中から、颯爽と母親がこちらに向かって手を振るやいなや、後部座席から降りてきたのは・・・

ばぁちゃん!!!

母親の実家はここ平泉町から車で1時間くらい(岩手県内だと近い方)のところにあります。

なんとこの日、母親は私の応援にと、ばぁちゃんを実家から連れてきてくれたそうです。

この時、母親はサプライズで連れてきたのですが、ばぁちゃんには「温泉に行こうと」誘って実家から連れ出してきたため、思っていたのと違ったのか、ドライブが疲れたのか、少しブツブツ文句言ってました。笑

今年93歳(当時88歳)になるばぁちゃんですが、私が帰省する機会が少ないので、最近はめっきりと会える回数が減ってきました。

もちろんこの時も、修行に行く前に会ったきりだったので、約5年ぶりの再会です!

ばぁちゃんに会えて元気が出ると共に、少しウルっときたのはここだけの話。

またゴールしたらゆっくり会いに行くから、ばぁちゃんも風邪ひかないようにしてね!

と伝え、その場でお別れしました。

母親は、

「それじゃー頑張ってねー」

と、軽い感じで言い残し、その場を去っていきました。

(そのまま少ーし乗せてってくれてもいいんだよ?笑)

冷たい雨

22日 13:00〜

さらに北上を続けると、隣町の「前沢町」に入りました。

前沢町といったらなんと言っても、日本三大和牛である「前沢牛」の産地としても有名です!

よくよく考えると、岩手は平泉などの歴史もありますが、自然も豊かですし、そして農業も漁業も畜産もなんでも揃っている土地だということに離れてからようやく気付き始めました。笑

何はともあれ平泉町の隣町が、あの前沢牛の産地いうご紹介でした。

前沢町を超えて、午後2時半頃、水沢市(現奥州市)に入りました。

水沢市は、南部鉄器の製造が盛んな場所ですが、なんと言ってもあのメジャーリーガーの大谷翔平選手出身地としても有名です・・・

と、この調子で土地の説明をしていたら、実家に辿り着けないので、話したい気持ちを抑えて割愛させていただきます!笑

水沢に入った頃、小ぶりだった雨が本降りに変わってきました。

今までご紹介できていませんでしたが、雨の日は網代笠用のビニールカバーとカッパを着て歩いていました。

「さ・・・寒い!」

今までは風による寒さはありましたが、雨で寒いと思ったのは初めてです。

道路に設置されている、温度計を見るとなんと5度の表示!

網代笠とカッパにより、体は濡れることはありませんが、地下足袋が濡れ、足元から寒さがこみ上げてきます。

濡れた地下足袋や、カッパを着ていることにより、いつもより体が重く感じます。

ここにきて天候が行手を阻みますが、なんとか気力を振り絞り、前へ前へ歩みを進めます。

実家まで残り30Km。

続く

次回予告

今回は、岩手県民で尚且つお坊さんでもあるにも関わらず、一度も行ったことが無い世界遺産「平泉」について熱く語らせていただきました。

ただ行ったことはなくとも私は、あの時万が一の確率で奥州藤原氏が源頼朝に勝っていたら、平泉幕府もあったかもしれない。

「たられば」ですがちょっとの差で、今とは全く違う世の中だったのかもしれないと、想像するのが歴史のロマンなんだと思います!

さて、ついに残すところあと30kmとなりました。

次回は最終回となってしまうのか否か!

実は、私にもわかりません。笑

もしかしたら、2回に分けるかもしれませんが、乞うご期待ください!

「vol.36 ばぁちゃんの応援」をお読みいただきありがとうございました(^^)

続きはこちら↓

 

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