「はい、論破!」……とは。

自分の主張をさんざん並べ立てた上で議論を強制的に打ち切る

という、ネット議論の大技です。

勝利宣言のように使い、相手に反論させない。

その「当て逃げ」同然のやり口と軽薄さが、何とも言えないおかし・・・を醸し出しています。

(実際には論破できていない場面で、逃げの一手として使われることも多いようです。)

とはいえ、やられた方はたまったもんじゃありません。

好き勝手言われた上に、一方的に敗者扱いされて議論を打ち切られたら、当然気分は最悪です。

この言葉、実は2015年の流行語大賞にもノミネートされていたようで、テレビ番組のキャラクターのキメ台詞として認知されていたのだとか。

あれ?でも、もっと前から使われていた気がするなあ……

と思いつつ、検索してみたところ「はい、論破!」が匿名掲示板で使われるようになったのは、どうやら2006年頃が最初らしいとわかりました。

そこで今回は、この論破について考えてみました。

論破を扱った作品といえば・・・

論破をテーマにした有名なアニメがあります。

テレビゲーム化され、パチンコにもなった、根強い人気を誇るその作品。

そう……

一休さんです!

筆者も子どもの頃は大好きでよく観ていました。

知恵比べを挑んでくる足利義満あしかがよしみつ(時の将軍)や桔梗屋ききょうやさん娘が可愛い)を、大人顔負けのとんち」で論破していく小坊主、一休さん。

お寺に生まれた私の目に、何ともカッコよく映りました。

ところが!

つい先日、大人になってから見てみると、こんな風に思いました。

「なんだこの生意気な小僧は……」

あにはからんや。

子どもの頃、あれほどカッコ良く見えた一休さんが、ただの屁理屈小僧に思えてしまったのです。

なるほど、これは足利義満や桔梗屋さんが、

「おのれ生意気な小坊主め。何とかやり込めてやれないものか。」

「次こそは一休のやつに一泡吹かせてやる」

と、固執するのも頷けます。

もちろん、そもそも大人げない知恵比べを仕掛けた大人にも非はあります。

しかし、一休さんが彼らを完膚なきまでに論破してしまったことにも大きな問題があると思うようになりました。

論破しちゃ、ダメ!

そもそもこれです。

ディベートなら別ですが、普段の生活を送っていて論破が必要とされることがどれだけあるでしょうか。

一休さんの例で言えば、足利義満や桔梗屋さん(とその娘の弥生やよいさん)は何度も何度も一休さんに論破されます

そのたび悔しさに打ち震え、次こそは……!と、新たな知恵を巡らせるわけですが、言うなればこれは負のループ。

莫大なエネルギーを打倒一休に費やしてしまったわけです。

アニメだからしょうがない、と言えば身も蓋もありませんが、大抵のお話で彼らは「イヤなやつ」になっています。

しかし、もし一休さんの態度が少し違っていたら……幾ばくかの謙虚さと、相手をおもんばかる気持ちがあれば……

知恵を余計なことに回さなかった足利義満は金閣寺を3つくらい建てていたかもしれませんし……

時間を有効に使えた桔梗屋さんは室町のビルゲイツになっていたかもしれません。

そして、もともと可愛い弥生さんは、険が取れてもっと可愛くなったかもしれません。

敵役の彼らも「イヤなやつ」を続けなくて済んだはずです。

「つい、論破……」

とはいえ、普段から「○○のやつめを論破してくれるわ!」と、考えている人は恐らくほとんどいないでしょう。

気を付けるまでもなく、論破なんて考えていない……という方が大多数だと思います。

しかし、議論や会話の流れの中で、意図せず相手の主張をことごとく叩き潰していた、ということがあります。

(私はこれを「つい、論破」と呼んでいます)

「あ、やっちまった」

と、思った時には後の祭り。

論破され、立つ瀬のなくなった相手との間に流れる不穏な空気。

こちらのフォローの入るが早いか、相手の怒りの爆発するが早いか……

そんな事態を招きます。

幼い頃、弟や妹など年下の人に言い聞かせていたら、

「もういい!知らない!お兄ちゃんのばかたれ!」

と、怒らせてしまった、なんて経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。

「正しいこと」を言い聞かせていたつもりだったのに、相手がわかってくれなかった

私もこれまでこのように考えてしまうことが多かったのですが、「正しさ」を一方的に相手に押しつけていた自分をこそ反省すべきなのかもしれません。

相手に本当に問うていること

人と人が議論し、言葉を重ねることで、何がわかるのか。

理解や納得、問題解決など……様々な答えがあります。

しかし一番の答えは、互いの気心が知れるということではないでしょうか。

長年連れ添った夫婦が、言葉を交わさずともコミュニケーションできてしまう、なんて話をよく聞きます。

きっとその下地には、相手を思いながら言葉のやり取りを繰り返してきた中で、お互いを深く理解できていったということがあるのでしょう。

せっかく学んだ仏教も、相手の気持ちを汲み取ろうとする姿勢がなければ、人を傷つけてしまうことさえあります。

匿名掲示板から生まれた「はい、論破!」は、

相手の顔が見えないインターネットのコミュニケーションの中で、気づかぬうちに思いやりが失われてしまったために生まれた言葉なのかもしれません。

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