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先日、某有名ユーチューバーが自身の運営する事務所の所属アーティストへのセクハラ・パワハラがニュースになりました。

結局は全て話題作りための炎上商法だったので、まずは、そうした被害者がいなかったことに一安心です。

ただ、今回注目したいのは、そのユーチューバーが「謝罪動画」の名目で公開した「ネタバラシ動画」で、彼が頭を剃った姿(結局カツラでしたが)で登場したこと。

以前も、スキャンダルのあった女性アイドルが髪を刈り、坊主頭で謝罪をしたことがありました(これは本物)。

日本人には、現在も坊主にする=反省、もしくは気合いを入れるという価値観が存在するような気がします

では、僧侶も同じく反省のための坊主頭なのかというと、ある意味では正解かもしれません(笑)

今回は曹洞宗の僧侶が頭を剃る理由についてのお話です。

いつ・どうやって剃ってるのか

剃るタイミング

曹洞宗の修行生活では頭を剃る日が決まっています。

4と9がつく日は「シ(4)ク(9)にち」と言われ、この日は日中の労働などを休んで縫い物や日用品の手入れをします。

ちなみに永平寺だとこの日に外から業者さんが来て本や洗剤の購入や、着物の注文ができます。

この「シク日」の朝、坐禅と読経、ご飯が終わると、全員が洗面所で髪を剃るのです。

その時の役割によっては前日の夜に剃ることもありますが、こうして髪を剃る日は「シク日」または特別な行事の前という風に決められています。

では修行道場を出た私たちはどうしているかというと、個人差があるのが現状です。

本来は修行道場と同じように5日に一度くらい剃れればいいのですが、私は普段はアタッチメント無しのバリカンで短くして、法事などの前日に剃ることが多くなっています。

剃りたての輝き!

どうやって剃ってる?

髪の毛の剃り方は、修行道場ではまず洗面所に桶を置いて水を張り、着物が濡れないように専用の布を巻きます。

そして石鹸やシェービングフォームをつけ、ヒゲを剃るのと同じようにいわゆるT字のカミソリを使ってジョリジョリとやるわけです。

では修行道場以外ではどうしているかというと、私の場合はお風呂の時に剃ることが多いですが、他の皆さんもそのパターンが多いようです。

ちなみにお風呂のお湯で少し温めると剃りやすくなるので、ご参考までに(誰向け?)。

また、剃り残しがないかは基本的に手で触った感覚で確かめますが、皆で一緒に剃る修行道場では、お互いの剃り残しをチェックし合います。

今思えば微笑ましい光景ですね(笑)

なぜ髪を剃るのか

食事をする時にお唱えする食前のというものがあるように、実は髪を剃る時にお唱えする浄髪じょうはつの偈」というものがあります。

剃除鬚髪ていじょしゅほつ 当願衆生とうがんしゅじょう 永離煩悩ようりぼんのう 究竟寂滅くぎょうじゃくめつ

この16文字には、ざっくり言うと「こうして髪を剃ることで、願わくは私だけでなくあらゆる生命が煩悩を離れて心安らかでありますようにというような意味があります。

要は煩悩を離れるために髪を剃るわけですね。

ではなぜ髪の毛と煩悩が関係あるのでしょうか。

髪型が意味するもの

人には髪の毛の伸ばし方や色をコントロールして作る「髪型」があります。

髪型は男女を問わず、相手に与える印象の大きな要素の一つで、場に合わせて変えたりもしますね。

つまり髪型を意識することには、人からの印象を意識するという意味もあるわけです。

私は大学4年生になるまで髪を伸ばした経験がなく、修行に行く前に最後の悪あがきでツーブロックや金髪にしたことがあります。

その時私は人生で初めて、朝のセットの時間や、鏡で髪型が気になるという経験をするようになったのです。

そこには、もちろん自分の気分としての満足もありましたが、当然人から褒められたいという気持ちも湧いてくるようになりました。

おしゃれとして髪型を気にするということは、少なからずこうした人の目を気にしたり、自分をよく見せたいという気持ちが含まれるのではないでしょうか

そこで、仏教では髪の毛を自分を良く見せたいという欲の象徴として捉えたのです。

そんな時代もあったねと

髪を剃るという行為が表す意味

そして、髪の毛は剃っても剃っても生えてくるもの。

夜にツルツルに剃った髪の毛もよく朝には少しチクチクするくらい、すぐに伸びます。

実はこれは人間の煩悩と全く同じなんです。

一度耐えた欲は二度と現れないかというと、そんなことはありません。

こうして何度も何度も現れて、その度に抑えていかなくてはいけない、ということと伸びたら髪を剃るということがリンクしているのです。

髪と煩悩の関係

また、髪の毛を伸ばし整えるというのは一般社会の行いであり、これを離れることにも大きな意味がありました。

出家というのは家出をすることではなく、社会の価値観を離れた視点を持つことでもあります。

ちなみに、曹洞宗の出家の儀式では師匠となる人が、その場で弟子の髪の毛を剃るという作法があります。

実際に全て剃るのではなく、あらかじめ少しだけ残しておいた髪の毛をその場で剃るのです。

実際の写真

この時初めて煩悩としての髪を剃ってからは、それからの人生でも繰り返し剃っていきます。

自分を良く見せたい、おしゃれをしたいという思いが頭皮から芽を出すたびに剃って、その思いを離れていく。

そうして、体の上で煩悩と向き合うことで、社会に安心をもたらす仏教の視点をもつ「眼」が養われていくのです。

「頭を丸める」という行為が反省と結びつく日本人の考え方の背景には、こうした仏教的な意味はないまでも、「恥や体裁を捨てて誠心誠意謝ります」という意味が含まれていたのかもしれません。

というわけで、私たち曹洞宗の僧侶は日々自分の中に生まれる煩悩を反省するために髪を剃っているというのが今回の結論です。

これからの季節は日焼けが辛いですが、煩悩を離れられるように剃りたいと思います。

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