僧侶が考えるスパイダーマンの「大いなる責任」【ノー・ウェイ・ホーム考察】

明けましておめでとうございます!
このブログも今年で4年目を迎えます。
引き続きよろしくお願いいたします!

先日、久しぶりに映画館で映画を観てきました。

観た作品は今話題の「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」

ディズニーが展開するマーベル・コミックスの映画シリーズの最新作です。

正直なところ、「アベンジャーズ:エンドゲーム」以降、
観る側として燃え尽きてしまった&ドラマシリーズなどが追いきれなかったためずいぶん熱も下がっていた私。

「エンドゲーム」の壮大さを超える作品はもう無理だろう、と思っていたそのハードルを、
今作は全く思いもよらない角度で超えていきました。

さらには、感動で涙が出ることのない私の目に涙が浮かびました

今回は、ネタバレにはならないようにしつつ、
スパイダーマンが向き合ってきた「大いなる責任」について考えてみたいと思います。

作品あらすじ

「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」(以下NWH)はマーベルスタジオの
映画シリーズ「マーベル・シネマティック・ユニバース」、通称MCUのシリーズ最新作です。

遺伝子操作を行ったクモに噛まれてクモの持つ身体能力を得た少年ピーター・パーカーは、
その力を他のために活かして親愛なる隣人・スパイダーマンとして街の治安を守っていました。

しかし、前作「ファー・フロム・ホーム」では敵に濡れ衣を着せられる形で正体を白日の元に晒され、
今作ではスパイダーマンを巡って世論が分かれ、本人だけでなく周囲まで巻き込む事態に。

そこで、同じMCU作品内のキャラクター、魔術師のドクター・ストレンジに依頼して、
世界からスパイダーマンの正体に関する記憶を消そうとしたところ、
その魔術の暴走によって事態は思わぬ方向に進んでいきます。

大きな悲しみや苦悩を経験しながらピーター・パーカーが見出した生き方とは?

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苦悩するヒーロー、スパイダーマン

スパイダーマンは、この20年の間で監督の異なる3つのシリーズが作られてきました

2002年から公開されたトビー・マグワイアを主演としたサム・ライミ監督版
2012年のアンドリュー・ガーフィールド主演のマーク・ウェブ監督版
そして現在のトム・ホランド主演のジョン・ワッツ監督版です。

私が初めて観たのは2002年のサム・ライミ版で、その時思ったのは

なんて暗いヒーローなんだ!

これに尽きます。

それが、マーク・ウェブ版ではやや明るくなるものの、やはり苦悩を抱えています。

そしてようやく、このジョン・ワッツ版で、少年らしさを持ったお調子者のヒーロー、
原作に近いスパイダーマンが現れたと思いました。

これが求めていたスパイダーマンだ!と私は思っていましたが、
実は全てのスパイダーマンが共通してあることに向き合い
どのスパイダーマンも無駄ではなかったことが、このNWHでわかったのです。

スパイダーマンの苦悩

先ほど挙げた3つの異なるスパイダーマンは、本来それぞれの話に関連はありませんでした

過去の2シリーズは色んな事情でシリーズが完結することなく終わってしまったので、
正直なところ裏切られた気すらしていました。

しかし今作では、別次元にも世界が存在するという概念を作り出すことで
過去のスパイダーマンも同じく別次元に存在していたことになっていきます

そして、性格や設定こそ違えど、3人のピーター・パーカーは同じものと向き合い、
同じ苦悩を抱えていることがわかります。

敵は自分の姿?

まず、スパイダーマンに登場する敵というのは、最初から社会に仇なそうとする根っからの悪ではなく、
社会に生きづらさや理不尽さを感じていたところに、偶発的に特殊な力や技術を手にしてしまった人たちです。

そしてその力を、社会を攻撃し、恨んでいた人に復讐する方向に行ってしまったことで、「悪」となるのです。

先日Twitterで見かけたスパイダーマン考察に、
「スパイダーマンが戦っている敵はいつも、自分がなっていたかもしれない人たちなんだ」
というものがあり、私はすごく納得しました。

主人公のピーター・パーカーは、細かい設定は違えど、
両親がいない悲しみを抱え、決してクラスで発言力の強いわけでもない、冴えない青年でした。

そこで手に入れたクモの力と、それによって集めた社会からの注目。

欲望のままに力を振るえば、多くを手に入れられたでしょう。

しかし、ピーターには人生を導いてくれる叔母や叔父、友人の存在がありました

そうした存在がなく、孤独の中で悪へと転じてしまった敵役は一歩間違えば自分がなっていた姿であり、
それを安易に悪と断じて成敗することが果たして正義なのか、ピーターはそんな苦悩を抱えていたのです。

大いなる責任

ピーターがその力を正しく使おうと思えたのは、各作品で大切な人物から授けられる
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という言葉があったからでしょう。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う(with great power there must also come great responsibility)」は

言い回しなどの違いはあれど、紀元前4世紀頃のギリシャ神話にも登場する古くからの格言で、
特に映画のスパイダーマンでは重要な言葉となっています。

人生を全く変えてしまうような強大な力を手に入れ、生き方を迷うピーターはこの言葉を胸に、
まさに大いなる責任を果たそうと苦悩しながら戦います。

大切な人を失ったり、救えなかった命を背負いながら、
その責任を果たせないことに苦悩するピーターの姿が、スパイダーマンの暗さの正体です。

自分の果たすべき責任とは?その責任を果たせるのか?これで責任を果たしたと言えるのか?
そんな自問自答こそが、全てのスパイダーマンに共通するテーマなのです。

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私の大いなる責任

では、ここで僧侶としてこの「大いなる責任」について考えてみたいと思います。

スパイダーマンという「大いなる力」を手にしたピーターが背負った「大いなる責任」ですが、
「大いなる力」とはヒーローのような強大な力のことなだけを意味するのでしょうか?

仏教の立場からすれば、生きているということは幾重もの縁の積み重ねによって保たれたものであり、
死なない条件が全部揃った、とても奇跡的な状態です。

これを大いなる力と呼ばずしてなんと言いましょう。

私は僧侶として生きているという大いなる力を手に入れていて、
会社で働く方も、飲食業をされる方も、家事をされる方も学問をされる方も医療に関わる方も、
誰もが「生きている」という大いなる力を手に入れているのではないでしょうか

言わずもがな、それは大いなる責任を伴った力です。

どんな責任かというと、その力を自他のために使うという責任です。

作中のピーター・パーカーは全く完璧な人間ではなく、冷静さを失ったり過ちを犯したりしながら、
それでもその力を自他のために使うにはどうすればよいかを模索していきます

それはきっと一つの答えにまとまるものではなく、
常に自問自答の中で探し続けなければならないものなのだと思います。

まとめ

今回のスパイダーマンが各方面からの評価が非常に高いのは、
過去のスパイダーマンまで含めた全員分の苦悩を精算したことにあります。

今作のエンディングは、完結しなかった過去の物語のエンディングでもあったのです。

そして、スパイダーマンという力を持ちながらどこまでも人間くさく生きるピーター・パーカーの姿は、
私たちに生き方を問うものであったのだと思えてなりません。

ご検討中の方は、ぜひご覧になられることをおすすめします。

 

 

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