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これは私、深澤亮道が福井から岩手までの700Kmを無一文で歩いて帰った物語である。

前回までのあらすじ

歩き始めて5日目。

あまり知られていない富山の魅力や海景色に感動を覚えながら、2日連続となる50Kmの行程を邁進中の深澤亮道。

しかし、徐々に徐々に私の足の違和感は痛みへと変わっていくのでした。

前回の記事はこちら。↓

バックナンバーは以下から読むことができます。↓

【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】

今回は、過去に私が経験した左足の大怪我の回想録です。

なぜ今になって左足首が痛むのか。

その過去に迫ります。

本編から少し脱線しますが、足の怪我とその時学んだことを綴っていきます。

過去の怪我

徐々に違和感から痛みへと変わっていった左足首。

思い当たる節しかありません。

何を隠そう、私の左足首は過去に2度にわたる大怪我をしていたのです。

はじめに大きな怪我をしたのは中学校の時、野球の試合中の出来事です。

スライディングをした際に、間違って左足をお尻でふんずけてしまい、全治2ヶ月の骨折

この骨折の影響で左足首は右足首に比べて曲げる範囲が狭まり、現在でも坐禅をするとき結跏趺坐が組めない足になってしまいました。

結跏趺坐:両足を組む坐法

2回目の怪我は修行時代のことです。

修行生活を初めて2年目、11月終わりのある日のこと。

その日私は、忙しすぎて疲れていたのか、ぼーっとした状態で階段をフラフラと降りていました。

お風呂に入って、早く寝よう・・・

と、考えていた矢先、私は誤って階段を踏み外し5、6段下まで転落しました。

左足には激痛!

足首を捻ったのがはっきりとわかります。

転落した大きな音に修行仲間が気づき、「大丈夫か?」と心配しれくれます。

私は痛みに悶絶しながら、「大丈夫、大丈夫」と、足を引き摺りながらお風呂に向かい、その日はそのまま就寝しました。

実際に転んだ階段

次の日。

足がパンパンに腫れていました。

一歩進むのにも激痛が走ります。

今まで経験したことのない痛みだったため、先輩修行僧に病院に行かせて下さいと懇願したのですが、この時言われた言葉は・・・

先輩修行僧
捻挫なんだから、病院なんか行かなくてもすぐ治るよ。

今でこそ、永平寺では怪我をした時や体調を崩した際はすぐ病院にいけると思います。

しかし、私が修行していた時代は中々病院に行くことが許されず、この時も軽くあしらわれたのでした。

イメージ図

私は3ヶ月もの間、なんとか自力で治そうと努力しました。

しかし中々症状はよくならず、坐禅も正座も歩行も困難な状況が続いたために、流石にまずいと思ったのかようやく先輩修行僧から病院に行くことを許されました。

そして、その時病院の先生から言われたことは、とても衝撃的なものでした。

このままだと将来的に歩くことができなくなるかもしれません。

しっかり治すのであれば永平寺での修行を辞めるか、手術をするしかありません。

ただ、手術をしたとしても元どおりになるかどうか・・・

 

実は、この時の怪我はただの捻挫ではなく、靭帯3本が損傷している重度の捻挫でした。

真冬の永平寺でストーブもない環境の中、足をひきづりながら過ごした3ヶ月間。

これがさらに靭帯の損傷を深め、足首を固めてしまったそうです。

人生の中でこの時ほど人を恨んだことがあるでしょうか。

人生の中でこの時ほど時間を巻き戻したいと思ったことがあるでしょうか。

もしあの時病院にいくことを許してくれたら・・・

もしあの時もっと気をつけて歩いていたら・・・

先輩修行僧も自分自身も許せない、怒りの感情が胸のうちからとめどなく溢れてきます。

ただの怪我と思う人もいるかもしれませんが、この時私の中では焦りや怒り、悲しみという様々な感情が渦巻いていました。

同期の仲間と同じ生活を送れず、役割を果たせないことで、私は一人取り残されているような気持ちでした。

そんな状況で悩んだ末、私は永平寺を辞めることも手術をすることもなく、実家のお寺で治療に専念するという選択をしました。

自宅療養の末

永平寺では、修行の途中でも大きな怪我や病気をした際には、自宅に帰り療養することが認められる場合があります

私は地元岩手に戻り、針や電気、マッサージなど週に3回治療に通い、リハビリを行いました。

この時も常に仲間とどんどん修行の差が出てしまう焦りや、先輩と、そして自分自身への怒りが常に頭の中で渦巻いていました。

この自宅療養の期間は、4年8ヶ月の修行期間の中で「辛かった時期トップ5」に確実に入る、辛い日々でした。

中々症状が回復せず、本当に永平寺での修行を断念するか、手術しなければならないかもしれないと感じていました。

2ヶ月リハビリの末、治療院の先生から

明日から正座をする練習をしていきましょう!

と、言われました。

本来であればそこからさらに1ヶ月くらいリハビリをしなくてはなりません。

しかし、私はあろうことかその次の日に福井行きの新幹線に乗り込んでいました。

この時の私は、漫画「スラムダンク」でルーズボールを取りにダイビングした際、テーブルに突っ込んで背中を負傷したのにも関わらず、試合に出場し続けた主人公「桜木花道」と同じくらい「断固たる決意」で、家族や治療院の先生の反対を押し切り永平寺に戻ることにしたのでした。

©︎集英社『スラムダンク』31巻

もしかしたら、ここでしっかりと治さなければ、本当に歩けなくなるくらいの後遺症になるかもしれません。

しかし、この時は後先のことなど考えている余裕はありませんでした。

「1日も早く永平寺へ戻り、仲間と同じ修行生活を送る。」

この一心で、リハビリに専念し、ついに足が曲げられるようになったのです。

これ以上ゆっくり治す、という選択肢は私にはありませんでした。

先輩修行僧への怨み

2ヶ月ぶりに永平寺に戻り、一番最初に話したのが、あの怨みに怨んだ先輩修行僧でした。

先輩修行僧
どうだった?治った?

何事もなかったかのように、私の怪我の状況を聞いてきました。

はい!なんとか正座できるくらいまで回復しました!

あれだけ恨み、顔も見たくないと思った人でした。

しかし2ヶ月経ち、久々に先輩修行僧と話してみると不思議と怒りはありませんでした。

理由は、2ヶ月間落ち着いてこの一連の出来事を振り返ることができたからです。

 

「もしかしたら、この先輩修行僧も過去に病院行きを断られたのかもしれない。」

「もしかしたら、修行に焦りすぎな自分がいるのかもしれない。」

「もしかしたら、この怪我にもきっと意味があるはず。」

 

全て憶測にすぎません。

しかし、修行に入って丸3年、初めてゆっくりと修行について、今後について考えるできた貴重な期間でした。

元はといえば、私の不注意による怪我です。

そして、永平寺という特殊な環境で、先輩修行僧も一生懸命修行に励んでいるがゆえの判断だったのかもしれません。

 

お釈迦様も怨みについて次のように説かれています。

怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みをすててこそやむ。

『ダンマパダ』第1章(『真理のことば・感興のことば』p10)

少し落ち着いて考えると、先輩修行僧を怨むという感情をいつまでも持っていても前に進むこともできませんし、時間が戻ってくる訳でもありません。

人間の感情の中に当然の如く存在する「怒り」「怨み」「妬み」という「負」の感情

その感情が表に顔を出す背景には様々な要因があり、その根底には必ず自分の我執、我欲があることに気づきます。

「負」の感情は自分の心を蝕みます。

人にはそれぞれ「許せない人」が存在するかもしれませんが、「許す」という行為の中で「負」の感情を捨てられた時、少しだけ心安らかになることができるのでしょう。

中々難しいですけれどもね。

でも、お釈迦様が示されている教えを少しでも理解できれば、この世から「戦争」や「争い」という2文字は無くなるのではないでしょうか。

今回の足の大怪我によって、私が学んだことでした。

続く

次回予告

今回は、私が【無一文で歩いて帰るもん。】を始める3年くらい前の回想録でした。

過去2度にわたる大怪我。

それにより爆弾を抱えているにも関わらず、歩いて帰る選択をなぜしてしまったのか。

まだ5日目ですが、痛みは徐々に増してきます。

果たしてこれからどんな旅になるのでしょうか。

次回こそ、黒部市の「妙覚寺」を目指します!

「vol.11 過去の大怪我」を読んでいただきありがとうございました(^ ^)

続きはこちら↓

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