【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】vol.27 すれ違いの奇跡

これは私、深澤亮道が福井から岩手までの700Kmを無一文で歩いて帰った物語である。

Contents

前回までのあらすじ

えー。すみません。

パソコンが突然ショートしてしまいまして、パソコンの新規購入とデータの移行の手間により更新が遅れてしまいました。

原因はzoomの使いすぎかもしれません。

このような形で給付金の使い道が決まってしまいました。
トホホ・・・

さて、気を取り直して【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】の筆を走らせて行きたいと思います。(現実にはタイピングですが。)

前回は、出発して15日目、大学時代と永平寺時代の後輩である深井大心さんが副住職を務めるお寺、新潟県胎内市「増慶院」に一泊し、間に新潟県の謎を紹介しつつ、16日目の途中までお送りしました。
※前回の記事は以下から読むことができます↓

バックナンバーは以下から読むことができます。

【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】

今回はまるっきり本編から脱線の回でございます!

前回、16日目の途中ですれ違った旅人と東京で再会するのですが、その一連の流れのお話をしたいと思います。

ちょっと周りくどいですが、巡り巡るご縁の中での再会ですので、お付き合いいただけたらと思います。

岩手のボランティア活動

【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】は、今から5年前の2015年10月〜11月の出来事になります。
それから私は翌年4月から東京にある曹洞宗総合研究センターの研修生として、都内を中心に坐禅会や老人ホーム訪問、高校での実習などを行いながら仏教や禅を伝える研鑽を積んでいました。

上京してから半年後の9月、台風10号が岩手県に上陸し、観測史上初めての記録的な大雨となり、河川の氾濫や橋の陥落、建物の浸水など甚大な被害をもたらしました。

前にもお伝えしましたが、私は2011年の東日本大震災の時に永平寺で修行中だったことから、当時の様子も知らず、またボランティアに行くこともできず、心のどこかでモヤモヤした気持ちがしこりのように残っていました。

そして、地元で台風被害が起きたこの時に、知り合いの住職さん(坂野文俊老師)に、

岩手のボランティア行くけど、亮道もよかったら一緒に行かないか?

と、声をかけてもらいました。

私は二つ返事で

「はい!」と答え、これが初めての災害ボランティアへと赴くことになりました。

そして、この時埼玉県から来ていた映画監督を志す青年アキラ君と一緒に活動することになりました。
ボランティアとは不思議なもので、一緒に活動していると自然と距離が近くなるものです。

初対面にも関わらず連絡先を交換し、東京で必ず飲みに行こうという約束を交わして、岩手でのボランティア活動を終えて東京に戻ってきました。

旅人の集まるBarにて

それから1ヶ月後の10月。

アキラ君から

高円寺に行きたいお店があるので飲みに行きましょう!

と誘われました。

私は「誘われたら体が空いているかぎり断らない。」と言う謎のポリシーを持っているので、この時も二つ返事で

是非行きましょう!

とお答えしました。

新高円寺駅で待ち合わせをし、お店に向かうことに。

なんでも旅人が集まる?Bar?居酒屋?だとか。

実は私、初めましての場所だと緊張してしまう方なんですよね。

「嘘つけ!」と言うツッコミが方々から飛んできそうですが、実は隠しているだけなんです。

しかもなんか高円寺とか初めてだし!
ドキドキしながらお店に入ると・・・

お店についた瞬間にアットホームとわかる雰囲気!

一般的なお店と違い、店員さんとお客さんの距離が近いことがわかります。

お互い名前で呼び合っている。

いや、それもそのはず。

もの凄い常連の雰囲気をかもし出して、隣で飲んでいた人がオーナーさんでした!笑

(そりゃアットホームな雰囲気にもなるわ・・・)

と、思いながらアキラ君やオーナーさん、店員さんと談笑していました。

なんでもオーナーさんは2年間かけて新婚旅行で世界一周をしたのだとか・・・

私のこんな旅、といったらダメなのかもしれないですが、旅のスケールが違いすぎる!
しかし、そんなオーナーさんに魅せられてここから旅立って行った旅人は数知れず

目の前で接客してくれた、ヒゲが素敵なお兄さん(ノムさん)も自転車で日本一周をした様子。

 

へー、自転車でー、リヤカーにお酒を積んでそれを売りながら、凄いですねー!

ちなみにそれいつくらいのことですか?

え?1年前?

ん?自転車で?水色のリヤカー?日本一周?

あのー・・・
もしかして、ちょうど去年の今頃日本海側走ってませんでした?

 

ノムさん
え?はい。
ちょうど去年の今頃山形から新潟に向かって走っていました。
え?
網代笠かぶって銀マット背負ったお坊さん!?
もしかして・・・・

 

あの時すれ違った人だ!!!

そうです!
前回の記事で書いた、自転車でリヤカーを引いている旅人が今目の前でお酒を作っている人だったんです!

こんなことがあるでしょうか。

あの時、すれ違い様にペコっと挨拶をした程度です。

これは驚きすぎて流石に鳥肌が立ちました!

日本人1億2千万人分のうちの、新潟のとある場所でたまたますれ違った2人が、1年後に偶然の再会を果たすなんていう奇跡が人生の中で一体どれだけ起こるでしょうか?

しかもこの再会は、たまたま入ったお店ではなく、人と数珠つなぎのように紡がれてきたご縁によるものです。

あの時住職さんがボランティアに誘ってくれなかったら・・・

あの時アキラ君と出会わなかったら・・・

限りなく0に近い確率の中で、こうして再び会うことができました。

まさしくアンビリーバボー!

どれくらいの驚きかといいますと映画『シックス・センス』のラストくらい鳥肌ものでした!

こうして奇跡のような再会に乾杯をしたのでした。

左:ノムさん、真ん中:アキラ君

当時を振り返って

こうして再び出会えたことも奇跡のような出来事ですが、当時を振り返るとリヤカーを引いた見知らぬ旅人に勇気をもらったことを思い出します。

出発して16日目。

あと少しで新潟を抜けれると言うところで、足の痛みも体の疲れも、精神的にもピークに達していました。

「あと200kmもあるのにどうしよう・・・」

そんな時に、目の前からノムさんが現れました。

向こうも息を切らしながら必死に自転車を漕いでいる。

リヤカーには日本一周の文字。

日本一周って凄いな。
それに比べて俺なんてたったの700km。
こんなことで挫けてはいけない!
まだまだ頑張るぞ!
この旅で、出会う人出会う人とのご縁を強く感じながら、その度に足を前に進めてきました。
しかし、この時はただすれ違っただけ。
ただ挨拶しただけ。
一瞬だけでしたが、言葉やコミュニケーションを越えた繋がり、そして旅を続ける勇気をもらいました。
今は、ソーシャルディスタンス、人との距離をとらなければならない世の中ではありますが、人と人は一瞬一瞬のすれ違いの中でもお互いを支え合っているのではないかと感じさせてくれた出来事でした
続く

次回予告

はい、またしても完全に脱線の回でした。

鳥肌ものの再会ももちろんそうだったのですが、ノムさんとすれ違ったこの一瞬は強烈な印象として残っています。

旅の中ですれ違った旅人は彼だけだったのもありますが。

本当に様々なご縁の中で、自分の人生ってこう言うレールをたどる運命だったのかなと思う日々です。

「vol.27 すれ違いの奇跡」をお読みいただきありがとうございました(^^)

さてさて、次回はまた話を本編に戻しまして、ついに山形に突入いたします!

続きはこちら↓

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