突然ですが、先日私に弟弟子ができました。
ずっと出家を希望されていて、年齢は私より年上で、しっかり社会人を勤めてこらられた方です。
私の師匠の元で出家したということで、同じ師匠を持った弟弟子になるというわけです。
その出家の儀式の準備や式中、私は師弟関係と無縁の世界にあった方にとって、師匠とはどのような存在なのだろう、と、その胸中を想像していました。
父親が師匠となるのは、歌舞伎や能の世界でもしばしば聞くことがあります。
もちろん私も師匠に敬意はあるのですが、同時に親であるが故に素直に言葉を聞き入れられないこともあります。
そう考えると、もしかしたら弟弟子の方が、より純粋に師匠に師事できるのかもしれないな、と思ったりもしました。
今回はそんな「師匠と弟子」という関係について、最近感動したお話があるので、ご紹介したいと思います。
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伊集院光さんと三遊亭円楽さん
私は中学生の頃より、タレントの伊集院光さんのラジオが大好きで、今も相変わらず家事や散歩をしながら「伊集院光深夜の馬鹿力」を聴いています。
伊集院光さんというと、私の世代はクイズ番組やバラエティに出てくる物知りで体の大きなタレント、という印象をお持ちの方も多いでしょう。
実は伊集院さんは、高校中退と共に、縁あって三遊亭円楽一門に入門、当時の楽太郎師匠の弟子となりました。
結果的には落語の道は諦め、三遊亭楽大という名前ではなくラジオパーソナリティとして仮につけた名前「伊集院光」として芸能活動をすることになります。
しかし、楽太郎師匠はその後も伊集院さんを身内として扱い、先代の円楽師匠のお葬式に伊集院さんが参列すると、後席では自分の横に座らせたそうです。
三遊亭楽太郎という人
三遊亭楽太郎(現円楽)師匠というと、笑点では紫色の着物を着て、腹黒キャラとしていじられることの多い方です。
ではその腹黒キャラがどこからきているかというと、私が思うに、気が利き、洞察力のあるそのお人柄からなのではないでしょうか。
先代の円楽師匠も楽太郎さんを特に信頼し、楽太郎師匠の立場になろうと身の回りのことなどをお願いしていたとも聞きますし、それをちゃんとこなしていたそうです。
他者が何を感じ何を求めているかを察知する楽太郎師匠の洞察力の高さを、噺家さんが言葉にすると「腹黒」になった、ということなのだと、私は思います。
師匠への憧れと、弟子への思いやり
落語の世界を離れた伊集院さんでしたが、ここ1、2年で時が再び動き出します。
ご自身のラジオにゲスト出演された円楽師匠が終了間際、突如「伊集院が落語をやります!」と打ち合わせもなく言い、それに対して反応する間もなく放送は終了、という出来事がありました。
そしてそれは、現実となります。
なんと、三遊亭円楽・伊集院光の二人会、つまりお二人での落語会が開催されることとなったのです。
伊集院さんはこれに伴って30年近い時を経て稽古を再開し、その様子はたびたびラジオで語られてきました。
着物を作らなければならないこと、正座がもつか不安なこと、そうしたことを話す伊集院さんからは、緊張と同じくらい、充実感のようなものを受け取っていたリスナーは私だけではないはずです。
お寿司屋さんでのお話
6月の二人会に向けて、様々な焦りなども感じていた矢先、伊集院さんは円楽師匠からお寿司屋さんに行こうと誘われます。
これも30年近くぶりのことで、昔はお寿司屋さんにいくと、円楽師匠は伊集院さんに、まずちらし寿司を食べさせたそうです。
それは当時10代か20代になりたてで、平均以上に食欲旺盛な伊集院さんがバクバク握りを食べたのでは敵わん、とのことで、これも伊集院さんにとっては一つの思い出だったようです。
そして時を隔て、それぞれに当時とは違った立場になりながらも、お互いを変わらず師弟として見るお二人がお寿司屋さんに入ります。
伊集院さんは、円楽師匠がお寿司をつまむ姿もかっこよくて思わずうっとりしてしまった、とラジオで話されていて、その立ち振る舞いの一つ一つに憧れていることが伝わってきます。
私も永平寺での修行中、お仕えしていた老師がおかゆを食べる姿が、妙にかっこよく見えたことがあるので、その気持ちがわかる気がします。
そんな状況もあって、伊集院さんはお腹より胸がいっぱいになってしまい、満腹とはいかないながらお寿司屋さんを出る事に。
すると板前さんが、「ちょうど今できました!」とお土産用のちらし寿司を持ってきたのです。
昔のことを覚えていたのか、伊集院さんの性格を熟知していたからなのかはわかりませんが、昔と同じように円楽師匠が伊集院さん用に注文していたものでした。
そして別れ際、円楽師匠はそれまで触れなかったのに
「そうだ、二人会な。楽しめよ。」
と一言言って帰って行ったそうです。
敬いと受け皿
私は普段この番組を、寝る時のBGMがてら聴く事が多いのですが、この日ばかりは胸が熱くなって聞き入ってしまいました。
落語という道を諦めてもなお、師匠という存在に憧れと敬意を抱き続ける伊集院さんと、弟子からの思いを受け止める度量を持った円楽師匠の関係が、たまらなく尊く感じられました。
特に、昔は最初にちらし寿司を食べさせられたなあ、と思い出に浸る伊集院さんにとって、時を隔ててちらし寿司をお土産に持たせる円楽師匠の計らいは、第三者にはわからない感動があったのではないでしょうか。
この、どちらかが自分の立場に甘んじることなく、師匠は師匠、弟子は弟子としてお互いに心を尽くす関係は、きっと落語の世界に限ったものではないはずです。
私たち僧侶も、いや、私もそうでありたいと思いますし、弟弟子にとっても師匠がそんな存在であって欲しいとも思います。
伊集院さんのお話に、押さえつけたり恐れたりする上下の関係ではなく、思わず抱いてしまう敬意と、それを受け止める慈悲心によって成り立つ師弟関係の在り方を感じました。
そして、この二人会のチケットが手に入らなかったことが、なにより悔しいです…。