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食肉加工場の見学をきっかけに、肉食に関連した差別や対立について、僧侶の立場から考えてきたこちらの連載。
前回までの「曹洞宗の立場から考える」シリーズでは、曹洞宗の仏性観から考える命の捉え方や、不殺生戒の解釈についてお伝えしました。
詳しくはバックナンバーをご覧いただきたいのですが、簡単にまとめると曹洞宗の教えから考える肉食の捉え方は以下の通りです。
・この世界にあるもの全てがいのち
・そもそも「食べていいもの」なんてない
・食べたものを殺すかどうかは作り方と食べ方と生き方次第
これだけ踏まえていただければ、今回の記事にもご納得いただけるかと思います。
ということで、ここまでは曹洞宗としての立場・捉え方をお伝えしてきたわけですが、今回からは生活の中で実践していくためにはどうしたらよいかを考えていきたいと思います。
何回になるかはわかりませんが、作り方・食べ方・生き方に分けた、曹洞宗の立場からの不殺生の実践についてのお話です。
まずは作り方、調理の面から考えていきましょう。
Contents
曹洞宗と典座
以前も少し触れたように、僧侶が自ら調理を行うようになったのは、仏教が中国に伝わってからのことです。
インドと違って僧侶に食べ物を布施するという習慣がない中国の社会では、おのずと修行生活が変化していきました。
在家信者からの布施によって食物を得る「托鉢」を行いながら旅をするインドの修行生活に対し、僧侶は寺院で集団生活を送るようになったのです。
その集団生活を修行とする中で、寺院内には様々な役職が設けられるようになります。
建物の修繕や維持などを司る、いわば寺院の大工とも言える役職である直歳。
寺院の財政を司る副司や、修行僧のまとめ役である維那など、特に寺院の運営に関する重要な役職は、六知事と呼ばれました。
そして、寺院の調理と食糧管理の責任者である典座もまた、その六知事と呼ばれる重要な役職の一つです。
曹洞宗を日本に伝え、永平寺を開かれた道元禅師は、この典座を修行生活における重要な役職として伝えました。
道元禅師と典座
道元禅師は、六知事という6つの役職の中でも、典座に焦点を当ててその心得を説いた『典座教訓』という書物を残されています。
そこでは、典座という役職は特に志の高い者でないと務まらないと説かれています。
実はこれには経緯があって、道元禅師は元々この典座、調理という仕事を軽視していたことがありました。
日本の仏教は朝廷との結びつきの中で発展したため、寺院は僧侶のみで運営されていたわけではなく、境内にはお手伝いさんがいたようです。
そして、調理はそのお手伝いさんの仕事であって、修行生活とは切り離された「雑用」のような捉え方をされていたのです。
そうした環境で出家・修行をした道元禅師は、中国に留学した時に現地で典座を務める老僧に出会います。
とうに指導者であってもおかしくない年齢の老僧が、雑用であるはずの調理に携わっていることに驚いた道元禅師は思わず、
「なぜそんな雑用をされるのですか?」
と尋ねてしまいます。
するとその典座は
「他の人に任せても自分の修行にはなりませんよ」
と答えたそうです。
道元禅師はこの時、典座が雑用ではなくれっきとした修行であること、そして坐禅や勉強だけではなく、寺院を運営するための日常生活の重要さに気づいたのでした。
そんな出会いを経て、道元禅師は典座を非常に重要な役職に位置付け、典座は志の高い、熟練した者でなければ務まらないと説かれたのです。
典座の難しさ
ここまでで、典座が重要な職であることはなんとなく伝わったかと思います。
しかし、調理や食糧管理ならば、志などと言わず、技術や知識がある修行僧に任せた方が良いのではないでしょうか。
そこで、縁起や不殺生といった仏教への理解や信仰の深さが問われてくるのです。
仏教の根本的な立場である「縁起」という考え方は、物事がどのように起こって、その後どのように変わっていくかを見極めることでもあります。
目の前にある食材にどれだけの人の手が関わってどのように育てられ、調理によってどのように変わっていくか、それを想像するのに必要な視点といえるでしょう。
そして、その上で無駄を出さず、なおかつ食べる人が健康であるように気を配り、口に入らない分は土に還すといった、不殺生としの調理の姿勢が求められるのです。
さらに食糧管理も任されているので、浪費してはいけませんが、取っておきすぎて腐らせてしまってもしけないのです。
つまり、典座という立場には修行生活によって養われた視点を、実生活の中で応用するという難しさがあるのはないか、と私は考えています。
典座と不殺生
そして実は『典座教訓』には、「肉や魚を調理してはいけない」というような食材の種類への言及はありません。
その代わり、一貫して説かれるのは食材の扱い方なのです。
印象的なものでいうと、次の一節などがあります。
之を護惜すること眼睛の如くせよ
『典座教訓・赴粥飯法』(講談社学術文庫)より
簡単に言えば「食材を目玉のように大切に扱いなさい」という意味です。
「食材も全て仏様の命である」という曹洞宗の立場が非常によくわかるお言葉です。
また、『典座教訓』の中で、食材を無駄にしないという姿勢がよく表れているのが次の一節です。
その淘米の白水を取りても、亦虚しくは棄てざれ。
前出『典座教訓・赴粥飯法』
ここで言われているのは、「米の研ぎ汁も捨ててはならない」ということです。
確かに米の研ぎ汁には、大根を茹でて辛みを取るというような、使い道が存在します。
ところが、道元禅師がおられた鎌倉時代は、また少しニュアンスが違ったようです。
昨年、曹洞宗総合研究センター第21回学術大会で開催された食のシンポジウムで、私たちの先輩である永井賢隆さんが興味深い考察をされていました。
それは、
「鎌倉時代の精米技術を考えると、米にはより多くの糠が残っていて、その研ぎ汁は現代の私たちがイメージするよりもずっとドロっとしたものだったのではないか。
また、現代ほど栄養に恵まれていない当時の食糧事情を考えれば、その研ぎ汁は栄養源としての意味すらあったのではないか」
というもの。
これを参考にするならば、『典座教訓』のこの一節にはお米を大切にするということの中に、研ぎ汁も無駄にせず生かしきろうとする、不殺生の精神があると考えられるのではないでしょうか。
肉料理と不殺生の精神
ここで話を肉食に戻すと、肉料理にはこうした食材を無駄にしないという精神から生まれた物がいくつかあります。
例えば私や久保田さんがこよなく愛するホルモン焼き。
一説には、元々大阪でが食肉加工の段階で「放るもん」とされ、捨てられていた豚や牛の臓物類を、なんとか調理して食べられないか、ということで生まれたのがホルモン焼きだそうです。
さらに遡れば、ホルモン焼きとして世間に認知される以前から、食肉加工に携わる人々の間では油で揚げた「あぶらかす」が親しまれていたそうで、現在は「かすうどん」という大阪グルメにもなっています。
私が広島一人旅で出会った「せんじがら」や「ホルモン天ぷら」もおそらく同様のルーツでしょう。
そしてもう一つ、同じような経緯で誕生したアメリカの料理があります。
それがこれ
フライドチキンです。
『被差別の食卓』という本によれば、元々アメリカの農園で、ムネやモモといった大きな部位を領主が取ったあと、残っていた手羽先や軟骨の部分を奴隷として働かされていた人々が油で揚げて食べたというルーツがあるそうです。
こうした肉料理の中にある不殺生にも繋がる精神は、食肉加工場でも肌で感じることができました。
皮は皮製品のための傷や穴ができないよう丁寧に剥ぎ、脂は牛脂や石鹸、肉と内臓は食用に、そしてBSE以降処分が義務付けられている脳はけっして混ざらないように細心の注意を払うのです。
無駄なく、私たちの健康に害とならないように行うその仕事は、まさに不殺生の精神に通ずるのではないでしょうか。
食材からの縁を繋ぐ
そして、育てた人や加工した人、運送してくれた人との縁を預かり、調理をして食卓に届けるのが典座の役割です。
「食材の命」を生かし、食べる人に届けることは、そこに携わったあらゆるご縁を生かすことでもあります。
典座とはそうして、食事の中に仏道を行ずる責任を負った役職なのです。
これは、寺院に限ったことではありません。
修行道場で経験した、あるいは調理の資格や経験がある僧侶の専売特許ではなく、調理に携わる全ての人が、その姿勢によって典座となり得るのだと、私は思います。
次回は食べ方の中で不殺生の在り方を考えていきます。