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精進料理の一つに「もどき料理」というものがあります。

もどき料理とは、動物性の食材など、特定の食材の代わりに植物性の食材を使って作る本物そっくりな料理のことです。

以前コラム【肉を食べるということ】で触れたように、インドや中国とはまた異なった経緯で肉食を禁じた日本の仏教思想和食の繊細さが合わさってできた日本の精進料理の中で、この「もどき料理」を醍醐味とする方もいらっしゃることでしょう。

今回は、そんなもどき料理の長所と短所について、改めて仏教的な視点から考えてみました

もどき料理が生まれた背景

初期の精進料理は美味しくなかったらしい

実は精進料理というのは、昔は今のように「美味しい」「美しい」ものとして認識される料理ではなかったようです。

奈良・平安時代に、貴族の中で特に仏教への信仰心が厚い人が常に肉食を断ったり仏事や神事に関係のある人が一定期間肉食を断つという習慣がありました。

この習慣を精進そうじといい、その時の食事は精進物そうじものと呼ばれるようになり、これが今日の精進料理の原型と言われます。

そんな精進物に関して、平安時代に清少納言が書いた枕草子まくらのそうしにはこんな一節があります。

思はむ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ。ただ木の端などのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。精進物のいとあしきをうち食ひ、い寝る(いぬる)をも。

(可愛く思っている子供を法師にするのは、心苦しく悲しいものだ。人々が坊さんのことをただ木の切れ端か何かのように取るに足りない存在だと思っていることも、とても可哀想である。精進料理の粗末な食事をして、居眠りしただけでもうるさく叱られる。)

これは、自分の子を出家させる親の「まだ若いのにそんな環境に身を置くなんてかわいそう」という心情を描いた部分ですが、なんといっても注目してしまうのはここ。

精進物のいとあしきを

現代語訳には「精進料理の粗末な食事」とありますが、当時の精進物は「いとあしき」もので、決して美味しい・健康的・鮮やかなものではなく、宗教上の理由で食べなければならない食事と思う人もいたのかもしれません。

普茶料理との融合

しかし、平安時代には「いとあしき」と言われた精進物ですが、そこは輸入と進化が得意な日本人

その後はお寺の調理人や僧侶による探求鎌倉時代になると醤油や味噌といった新たな調味料の輸入によって、徐々に進化を遂げていきます。

中でも最も大きな進化のきっかけは、江戸時代に禅宗の一つである黄檗宗と一緒に「普茶料理ふちゃりょうり」が中国から伝わったことでしょう。

「普茶料理」は日本よりずっと早く菜食料理が発展した中国で生まれた冠婚葬祭での接待用の食事のことで、肉や魚、五葷ごくんといった食材を使わずに食事を楽しめるような工夫が凝らされていました。

そんな普茶料理にはごま油や植物油脂を使用した、揚げ物や炒め物という調理方法が含まれていたほか、多様な擬製料理、いわゆる「もどき料理」の技術があったのです。

精進料理では有名な胡麻豆腐も、実はこの普茶料理に含まれる擬製料理の一つでした。

日本の精進料理はこうして中国の普茶料理と融合することで、炒め、揚げといった調理方法と共にもどき料理を取り入れ、現在のような繊細で鮮やかなものになっていったのです。

禅活、テレビ出演

そして先日、実は禅活-zenkatatsu-メンバーはテレビ出演を果たしました

出演したのはBS1で放送されているNHK制作の「COOL JAPAN〜発掘!かっこしいニッポン〜」という、海外の方に日本の文化をお伝えする番組です。

番組HPより

その番組の9月28日の放送回のテーマは、精進料理

現在日本にある様々な精進料理の形として高級店やカジュアルな店、修行道場、ラーメン屋さんなどが取り上げられました。

その中のカジュアルなお店として紹介されたのが、我らが「こまきしょうくどう〜鎌倉不識庵〜」さんでした。

その取材の一環で、7月にこまきしょくどうさんで開催した禅活のワークショップ「仏様のブランチ」の様子を取材していただくことになったのです。

ワークショップの様子はこちら

その日は土用の丑の日にちなんで、もどき料理の一つである「擬製うなぎ」を作る日だった為、自然と取材内容は「もどき料理」に集中していきます。

その中で、もどき料理がもつ長所と短所をお話ししましたが、放送されたのは調理の様子の数分のみ(笑)

そこで、ここからはその時残念ながら放送されなかった内容に触れたいと思います。

もどき料理の長と短

もどき料理の「長」

もどき料理の長所というと、なによりもまず油や出汁、大豆などを駆使した菜食とは思えない旨味と満足感にあるでしょう。

私は永平寺で初めて車麩の唐揚げを食べた時の衝撃がいまだに忘れられません。

下味をつけて煮た車麩に小麦粉をつけて揚げた唐揚げは、学生の頃によく食べていたセブンイレブンの「からあげ棒」の味がして、思わず天を仰いだほどです。

もともと、もどき料理の誕生は、食べる人を飽きさせないための工夫が原点です。

菜食に慣れていない若い修行僧の為に工夫を凝らして、美味しい物を食べてもらおうとすることは、仏教で大切な慈悲の心である言えるでしょう。

食べる人が何を欲しているか、その為には何をすべきか、そんな思いやりと工夫は、仏教的に考えても長所と言える点ですね。

もどき料理の「短」

一方で、もどき料理に短所があるとすれば、食品を「代用」してしまう点です。

国内外で精進料理が人気な理由の一つが「肉を使っていないのに」美味しいという点でしょう。

しかし、それもいきすぎると、植物由来の食材がいつしか動物性食品の代用品になってしまうのです

以前、とある精進料理教室に参加した時、講師の方が「精進料理なので代わりに◯◯を使います」ということを何度もおっしゃっていました。

確かにその料理は色鮮やかで、アイディアも斬新です。

しかし「何かの代わりの食材」という考え方は、果たして仏教的なのだろうか…

これは食材側からすれば、映画デートに誘われる時に「◯◯を誘ったけどダメだったから行こうよ」と言われるようなものなのではないでしょうか。

食材は、どんな調理をされるにしても命を差し出すことに変わりありません

いわば私たちが超本命なわけです

そんな食材に対して、「肉の代わりにお前」という態度になってはいけないのでは、と思うのです。

曹洞宗では、今の目の前に出来事に集中して向き合うことを大切にします。

今ある環境、体調、人、食事、そんなあらゆるご縁一身にいただいて生きるのが仏道です。

もどき料理に偏りすぎてしまうと、目の前の食材の向こうに、本当は使いたい肉や魚の影を追いかけることになってしまうというデメリットがあるのではないでしょうか。

まとめ

先ほどご紹介したように、もどき料理は食事内容に制限がある宮廷や寺院でより美味しく食べるために発達した文化で、日本でも同様の経緯を辿り、同じ役割を果たしてきました。

しかし、今はそれが物珍しさ、見栄えの良さに偏りかけてはいないか、と少し不安になるのです。

美味しい物を食べてもらいたいという思いから生まれた技術や工夫は、布施や供養の精神に通ずるものがあり、それを修行として行うから料理が修行になります

しかし、これからの社会で仏教の食を伝えていく上で、もどき料理のレシピに偏りすぎると、食材のいのちを「代用品」に位置付けてしまいかねません。

何事もバランスが重要で、ほどよく先人たちの調理の工夫を活かしていきたいですね!

 

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