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10月23日(水)、新宿区四谷にある萬山東長寺、檀信徒会館「文由閣」にて、【一行写経と法話の会】が開催されました。
今回の法話は私、深澤亮道が「有り難き命」という題でお話をさせていただきました。
Contents
命について
先週は史上最大級と言われる台風19号が日本を直撃しました。
関東圏、東北地方の至るところで、河川の氾濫による水害や土砂崩れなど甚大な被害が発生しました。
未だ復興に取り組むことの出来ない地域さえあります。
一日でも早く被災された方々が元の生活に戻れるようにお祈りするばかりです。
今回の台風19号では、首都圏で初めて大雨特別警報が発令されました。
私も心配で注意深くニュースを見ていたのですが、とても印象的だったのは「命を守るために最善の行動をとってください」という言葉が何度も流れたことです。
毎年甚大な自然災害が日本各地で起きています。
最近、災害が発生すると、テレビ画面の上部や横に災害情報が流れるようになりました。
ただ今回の台風十九号のように「命」という言葉が耳に目に、何度も跳び込んで来ることはなかったように思います。
残念ながら、今回の台風でも多くの尊い命が奪われ、未だ行方が分からない人も沢山いらっしゃいます。
それでも「命を守るために最善を尽くして下さい」との、呼びかけが何度も放送されたことで、救われた命も沢山あったことでしょう。
本日はこの「命」について少しお話したいと思います。
自分自身への葛藤
突然ですが皆さんは、自分の出生について思い悩んだことはありませんか?
例えば「自分はなぜこのような境遇に生まれたのだろう?」とか、「両親はなぜ私を産んだのだろうか?」と。
おそらく、どなたもが一度や二度はお考えになったことでしょう。
しかし、この問いに答えはありません。
考えても仕方のない不毛な問いに、思い悩んでも仕方ありません。
大事なことは、何故生まれて来たかを問うことではなく、どう生きるかです。
しかし、かく言う私は、その答えの無い不毛な問いに小さい時から思い悩む性格でした。
おまけの次男
四人兄弟の末っ子として生まれた私。
周囲からはよく「可愛がられたでしょ?」とか、「大事に育てられたでしょ?」と言われたものです。
しかし、実感としては「放置されて育った子」というのが私の率直なところです。
私には、10歳上と9歳上に姉が二人おります。
しかし当時、両親や祖父母、またお檀家さんはお寺の跡継ぎとなる男の子の誕生を望んでいました。
そして次女の誕生から8年後、ついに待望の長男である兄が生まれます。
のちに私は当時の写真を家族から見せられたり、お檀家さんから当時の様子を聞かされたりもしましたが、その喜びはとてつもないものだったようです。
そして、その次に生まれた私の時はと言いますと、待望の長男の次におまけで生まれた次男、と言った様子。
というのも、兄の名前は俊道、私は亮道なので家族からは「俊」「亮」と呼ばれているのですが、母や姉たちに小さい頃の私の様子を聞いても
「うーん・・・俊はよく覚えているけど、亮のことは余り記憶にないなー」
と、記憶に無いことをはっきりと言うんです。
現に、実家に残っている写真の中に私の姿は姉たちや兄に比べて圧倒的に少ない。
仮に写っていても兄と一緒に写っていたりと、これまたおまけ感がとても強いんです。
誤解のないように申し上げておきますが、育児放棄をされていた訳でも、家庭内暴力を受けていたわけではありません。笑
そんな幼少期を送ったせいか、ちゃんと愛情を受けて育ったはずなのですが、小学校低学年くらいから「僕は、どうして生まれたのだろう?」「僕は、どうしてここにいるのだろう?」と、自分の存在理由を考えるようになっていきました。
考えても出ない答えに、年齢が進むにつれて
「自分なんていなくてもいいのではないか?」
と、自己肯定出来ないひねくれた子供になっていました。
命に対する答えと気づき
私たちは、誰もが気付いた時には既に生まれた後で、自分の出生について時代や場所、両親やその家業などを選択する自由はありません。
人生が思い通りになると考えている人にとっては、余りにも不合理なことです。
では、私たちは両親の間に偶然命を授かっただけなのでしょうか。
答えを求めて、僧侶としての道を歩み始めて今に至りますが、長年思い悩んでいた自分の命に対して、一つの答えが出た出来事がありました。
それは、私自身が妻との間に子どもを授かったことです。
私ごとで恐縮ですが、2ヶ月前の8月に第一子となる長女が誕生しました。
初めての子育ては想像以上に大変ですが、私も妻と一緒に3時間おきのミルクやオムツの交換、沐浴など家事や育児を分担して行なっています。
自称イクメンです。笑
それでも子育て新米の私たちは、不安ばかりの毎日です。
今こうして我が子を抱いている瞬間に、もし落としてしまったら、この小さな命が消えてしまうのではないか?
外に出たら何か病気やウイルスに感染してしまうのではないか?
静かに眠っていればいたで、息が止まっているのではないか?と思ってしまう瞬間も何度もありました。
楽しみ2割、不安と恐怖が8割といっても過言ではありません。
育児に追われる毎日を過ごしながら、ふと、31年前の私もこんな風に育てて貰ったんだなと、しみじみ思いました。
当たり前かもしれませんが、今自分が生きているのは、この子に私たちが思いを抱くように、一瞬でも油断したら消えてしまうか弱い命の灯を、大切に大切に守り育ててくれた父や母、そして家族や周りの人達がいたからだと、改めて気付かされ感謝の思いが込み上げて来たのです。
そうです。
自分が頭で肯定しようがしまいが、今生きていること自体、ここにあること自体が、絶対的に肯定されている事実だったのです。
盲亀浮木の教え
今回「一行写経と法話の会」で写経していただくお経は次の一説になります。
「生世為人難 値佛世亦難 猶如大海中 盲亀遇浮孔 」『大般涅槃経』寿命品
(世に生じて人と為ること難く、佛世に値ふこと亦難し。猶し大海の中に、盲亀の浮孔に遇うが如し。)
私たちがこうして命を授かった因縁についてお釈迦様は次のように説いています。
ある時、お釈迦様が従兄弟でもあるお弟子の阿難陀尊者に、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思うか?」とお尋ねになりました。
「大変、嬉しく思っております」と阿難陀尊者が答えると、
お釈迦様は、次のようにお話を続けられました。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない1匹の亀がいる。
その目の見えない亀は、100年に1度海面に顔を出すのだ。
広い海には、1本の丸太が浮いている。
丸太の真ん中には小さな穴がある。
その丸太は、風のまま、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。
阿難陀よ。100年に1度、浮かび上がるこの亀が海面に顔を出した時に、頭が丸太の穴に偶然入ることがあると思うか?」
阿難陀尊者は驚いて、
「お釈迦様。そんなことはとても考えられません」
「ところが阿難陀よ。私たちが人間に生まれることは、この亀の頭が丸太の穴に入るよりも難しいことなのだ。」
と、お釈迦様は仰ったのです。
これは「盲亀浮木のたとえ」として知られ、「亀の頭が丸太の穴に偶然入るよりも有ることが難しいこと」、つまり「有り難い」という言葉の元になったとされるお話です。
有り難き命
我が子をこの胸に抱いだき、その純粋無垢な瞳を見つめていると、そこはかとなく「有り難う、生まれてきてくれて有り難う」という想いが言葉になって出てきます。
「命」というのはそれくらい有り難いものなのだと、身にしみて感じることができました。
今、この私が皆さんの前で話していることも、育児に右往左往していることも、生きていること自体、目の見えない亀が、大海原に漂う丸太の穴に偶然頭が入ること以上に奇跡的因縁に支えられていることだったんですよね。
私は幼少期からなぜ自分は生まれて来たのか?なぜ、今存在しているのか?と考えてきました。
しかし、その考えの根幹には「自分が生きている」という間違った認識がありました。
生きているのではなく、受け難きこの命を授かり生かされていたのです。
我が子との出会いを経験する前の私だったら、今回の台風で「命を守るために最善の行動を」と言われても、自分の命にも他人の命にも関心を寄せることなく、台風が過ぎるのをなんとなく傍観していたかもしれません。
今回だけではなく、相次ぐ災害によって、受け難き尊い命が沢山奪われています。
報道では、失われた命の数によって被害の大きさが誇張されますが、どれだけ沢山であっても、それが一人であっても、全ての命は有り難い、有ることの難き命です。
今、まさに有り難い命を生かされている事実を噛みしめて、一日一日を、大切に生きて行きたいと思います。