【釈迦をたずねて三千里】 vol.7  天上天下唯我独尊

スポンサードリンク

これは2016年に私、深澤亮道と愉快な仲間たちが、インド・ネパールにあるお釈迦様の聖地を巡った旅の記録である。

Contents

前回のあらすじ

ご無沙汰しております!
禅活の亮道です。

禅活が同時に行っているYouTubeの企画などと被ってしまい、久々の更新になってしまい、申し訳ありません。
前回は、ネパールの首都カトマンズから、お釈迦様生誕の地 ルンビニまで移動したところまでお伝えしました。
前回の記事はこちら↓

これまでの記事はこちら↓

釈迦をたずねて三千里

今回は、ついにお釈迦様生誕の地ルンビニを訪れることになるのですが、最初にお釈迦様のお生まれになった伝記についても触れながらお送りしたいと思います。

仏典に見るお釈迦様の出生

いきなりルンビニーを散策するところから説明してもよくわからない人もいると思いますので、まずはじめに仏典に見られるお釈迦様の出生をご紹介したいと思います!

お釈迦様は、約2500年前にここルンビニーでお生まれになりますが、父は釈迦族の国王、シュッドーダナ(浄飯王じょうぼんおう:浄らかなご飯を持つものの意味、母はマーヤ(摩耶夫人まやぶにん)であったと伝えられています。

そしてある晩、母親のマーヤは夢の中で6本の牙がある白い象の王が天から降りてきて、自分の右脇腹から身体の中に入ってくるのを見たことによって、お釈迦様を身篭ったそうです。

これを白象入胎びゃくぞうにったいと言います。

 

そして、出産の時期が近くなると、マーヤは従者を連れて、自分の故郷に里帰りすることになります。

その道すがら、たくさんの樹木が生い茂り、花々が咲き誇る、ルンビニーという名の園があったので、マーヤ一達は休息のため、そこに立ち寄ることにしました。

マーヤは美しく純白の花が咲いていた樹木を見て楽しんでいましたが、それがあまりにも美しかったので、枝を一本取ろうとして、右手をさし伸ばしました。

すると、急に陣痛が起こり、木の下でお産がはじまり、立ったまま右脇腹からお釈迦様を産み落としたそうです。

そして、お釈迦様は生まれるや否や、大地に立ち、北に向かって七歩あゆみ、全ての方向を見渡すと、

我は世界の最上者なり、
我は世界の最年長者なり、
我は世界の最勝者なり、
これは輪廻における
私の最後の誕生である。

と、ライオンのような立派な声で言葉を発しました。

そして、月光のごとく白く天から冷たい水と温かい水のふたすじの強い流れが、この子の頭の上に降り注いだと、仏典では書かれています。

そんなことってある?笑

右脇腹から象が入ってきて、右脇腹から出産して、生まれてすぐ歩いて言葉を発する・・・

おいおいおい、嘘だろ!と、つっこまれた方も多いかと思います。

しかし、古くから残っている仏典にも本当にこのように書いているのです!

いや、むしろ今紹介した内容は本当にごく一部であって、実際はもっと突っ込みどころ満載の内容です。笑

お釈迦様の生涯を綴った仏典は、確かにこのような神話的な挿話が多く見られます。

ただこうした文面をただのフィクションとして片付けるのではなく、脚色した出来事で書き記したということがとても重要になってきます。

例えば「白象入胎」に関しても、聖母マリアがイエス・キリストを処女懐胎した逸話と重なるところがあります。

つまり、普通人間とは違う形で生まれたからこそ、聖人として類まれなる生涯のはじまりを演出したかった背景が見えてきます。

神話的に色づけされた部分だからこそ、単純に嘘でしょ!と捉えるのではなく、後世においてもお釈迦様を敬い崇め、慕う人々の敬慕の念と、宗教的な信仰と意味を見出していく必要があるのだと思います。

 

ちなみに、先ほどのお釈迦様が生まれた時に発した言葉は、玄奘三蔵(三蔵法師)という僧が、「天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん(天の上にも天の下にも、ただ我のみ尊い)」という翻訳をし、今でもことわざとして使われています。

この言葉の意味するところについては、私の過去の法話をご参照下さい!↓

また、誕生日についても色々な伝承がありますが、現在日本では4月8日と定め、全国のお寺などでは「花まつり」としお釈迦様の生誕をお祝いをする行事を行っています

この花まつりで、誕生仏に甘茶をかけたりするのも、先述したお釈迦様の頭に水が降り注いだという、仏典の故事による慣習になります。

ルンビニー生誕地聖域計画

さて、話は現代に戻りまして次に現在のルンビニーをざっと説明します。

このあたり一帯は、東西1.6km南北4.8kmの「ルンビニ・ガーデン」と呼ばれる広大な観光名所となっています。

この広大な敷地の南側には、お釈迦様がお生まれになった場所がある「聖園地区」、中央部には世界各国のお寺がある「寺院地区」、そして北側には博物館や高級ホテルなどがある「新ルンビニ村」の3つの区画からなり、ちょうどグーグルマップで見ると綺麗な長方形になっていることが確認できます。

これは、1978年に「ルンビニ生誕地聖域計画」としてこのような整備が行われ、1997年にはユネスコの世界文化遺産に登録されたそうです。

これだけ広大な土地なので、時間的にも体力的にも全てを見ることは難しく正門前やホテル前には、観光客を乗せる「リキシャ」が数多く止まっていました。

まぁ私たちは若いというや、これだけ広大な土地ということも知らず、徒歩で周ることになるのですが・・・笑

 

聖域の雰囲気

2月14日(5日目)10:00〜

ホテル アーナンダインで朝食を終えた、ジャパニーズモンク一行は身支度を整え、まずお釈迦様がお生まれになった場所である「聖園」を目指して出発しました。

ホテルの目の前を通っている大通りを渡ると、すぐ目の前がルンビニーの正門となっており、そこから10分ほど歩いて「聖園」入り口に到着しました。

聖園内には、お釈迦様が生まれた場所である「マヤデヴィ寺院マーヤ聖堂」や、古代インドを統治したアショーカ王が巡礼した際に建立した石碑お釈迦様が産湯につかったとされる池などが残っています。

ここからは、入場料200ルピー(210円くらい)を支払い、厳重な荷物点検を受けて、靴を脱いで中に入ります。

この時入場料以外に、聖園内を撮影をする場合、カメラ1台につき追加で100ルピーくらい支払ってから入場しました。

聖園の中心には、30m四方の白い建物「マーヤ聖堂」がそびえ立ちます!

このマーヤ聖堂は、仏教を学んでいる人ならば、必ず1度は写真などでも目にしたことがあるのではないかと思います。

辺りを見渡すと、聖園の至る所で色々な国の仏教徒や参拝客がお祈りを捧げていたり、坐禅を行っている様子が伺えます。

どことなく、聖域に足を踏み入れたような、緊張感漂う、荘厳な雰囲気があたりを包みます。

一気に心臓の音が高鳴ります。

いざ!マーヤ聖堂へ!

続く

次回予告

vol.7にして、ようやく釈迦をたずねて三千里が始まった気がしますね。笑

ちょっと情報量が多い内容となってしましましたが、お釈迦様のお生まれになった記述などをお送りしました!

次回は、マーヤ聖堂内部や聖園の様子などをお送りしたいと思います。

vol.7 「天上天下唯我独尊」をお読みいただきありがとうございました(^^)

 

 

 

 

 

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事