【4/17法話】尊い私

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4月17日に【一行写経と法話の会】の第4回目が開催されました。

4月8日はお釈迦様の誕生日「花祭り」です。

今回は、花祭りにちなんでお釈迦様のお誕生に纏わる一連の話と私自身の大学時代の苦悶の経験と結びつけて「尊い私」という題でお話いたしました。

Contents

お釈迦様と誕生偈

今回みなさまに書いていただくのは

天上天下唯我為尊てんじょうてんげゆいがいそん 要度衆生生老病死ようどしゅじょうしょうろうびょうし

という誕生偈と呼ばれる言葉です。

誕生偈は他にも幾つか伝わっておりますが、皆さんに一番馴染みが深いのは「天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん」ではないでしょうか。この上の句は有名でも、下の句は知られていないようです。先程の「要度衆生生老病死」の他に、「今茲而往生分已盡こんじにおうじょうぶんいじん」や「三界皆苦吾当安之さんがいかいくがとうあんし」が伝えられています。

今回皆様に写経していただくこの誕生偈は、それらの中で最も古い経典『長阿含経じょうあごんきょう』の中に出てくる一節です。この誕生偈を写経する前に、私自身の経験から、「尊い私」という題で少しお時間を頂戴しましてお話をさせていただきます。

お釈迦様は今から約2600年前の4月8日、現在のネパール、インドとの国境付近で釈迦族の王子として誕生なさいました。

香り高い花が咲き綻ぶルンビニー園でお母様の脇の下からお生れになり、この時天から甘い雨、甘露の雨が降り、そのお身体を洗い清められたと言い伝えられております。

この伝承に基づいて、日本の仏教寺院や関連施設では4月8日のお釈迦さまのお誕生日を「花祭り」として、花御堂を飾り、誕生仏に甘茶を灌いでそのお生誕をお祝いするのです。

花祭りは、古くは「仏生会ぶっしょうえ」「降誕会ごうたんえ」「灌仏会かんぶつえ」とも言われ、最初に行われたのは何と、聖徳太子の時代とも、推古天皇の時代とも伝えられています。

奈良時代には仏教寺院で盛んに行われるようになっていたようです。

お釈迦様のお名前は、本来ゴーダマ・シッダルタと言います。

このシッダルタ王子をお釈迦様とお呼びするのは、その出身部族名の釈迦族に由来します。

ですから、「釈迦族出身の」「牟尼」は「尊者」、「仏陀」は「覚られた方」ですから、「釈迦族出身のお覚りを開かれた尊者」ということで、「釈迦牟尼仏陀しゃかむにぶっだ」となり、尊敬を込めつつも短くして「釈尊」とか「お釈迦様」とお呼びするようになったのです。

このように、お釈迦様には色々な呼称がありますがここでは「お釈迦様」で統一します。

さて、お釈迦様はお生れになると、すぐ七歩お歩きになって右手で天を、左手で地を指して先ほどの誕生偈「天上天下唯我為尊 要度衆生生老病死」とお唱えになられたと伝えられています。

直訳しますと、「天上にも地上にも、我のみを尊しとなす。なぜなら、生きとし生けるものの生老病死の苦しみから救うからである」という意味になります。

 

自分自身を肯定できなかった学生時代

私がこの言葉を初めて知ったのは大学の講義でした。

私は北海道苫小牧市にあった、曹洞宗の苫小牧駒澤大学に通っていました。

そこでは仏教の講義もあり、私はそこでこの誕生偈を知りました。

その第一印象は、決して好ましいものではありませんでした。

自分自身を尊いと言い切っているお釈迦様に対し自己中心的な傲慢さを感じ、懐疑的にならざるを得ませんでした

恥を忍んでお話しますが、実は、私は学生時代、世の中の人間の中で自分自身を一番嫌っていました。

みなさんは如何ですか?ご自分をお好きですか?ご自分を尊いと思えますか?

私は全く思えなかったのです。

自分のことがとにかく嫌いで許せなかったのです。

苦悶の中、なぜそうなのか考えましたが、明確な原因や理由は掴めず、そのことで尚一層闇が深まるばかりでした。

無闇に嫌悪し否定し、そして傷つけました。

自分を肯定できず自己嫌悪に陥るストレスの発散方法は、体を傷付けピアスを刺すという行為になりました。

気付けば、その数は耳と顔だけで二十個近くになっていました。

地獄に仏と言いますが、そんな私を救ってくれた先輩がいました。

その先輩もお寺の生まれでしたが、私と違い僧侶になる志しを持っていました。

見た目はとても強面でしたが、時には兄のようでもあり、時には友達のようでもあり、とても優しい先輩でした。

徐々にピアスの数が増えていく私を最も近くで見ながら、咎めたり批難することもせず、ただ見守ってくれている様子でした。

しかし、ピアスの数が二十個になった時、先輩が切り出しました。

「ひとつずつ外していこう。」と。

ピアスは穴を空けるのも辛いのですが、外すのも苦しいんです。

ピアスをすることは、ストレス発散でもありましたが、嫌いな自分をピアスという仮面で隠してもいたからです。

私にとって、ピアスを外すことは嫌いな自分を隠す仮面を、一つまた一つと外していくような感覚でした。

そんな私に、先輩は常に寄り添って下さり、カウンセラーの先生のところに同行してくれたこともあります。

一年近くかかりようやく全てのピアスを外し終えました。

全てのピアスを外したら虚無感に襲われるのではないかと予想していたのですが、全く逆で、出口のない長く暗いトンネルから抜け出せたような爽やかな安心感がありました。

あの先輩がいなかったら、私は今でもトンネルの中にいたかもしれません。

得体の知れない苦悶の中にあった私に、それを見抜いて寄り添ってくれた先輩が、私を苦しみから救ってくれたのです。

あれ程嫌悪し許せなかった自分は徐々に影を潜め、自分を少しづつ認めることができるようになり、今こうして先輩と同じ仏道を歩むことができるようになりました。

誕生偈の意味するところ

先ほどの誕生偈に戻りましょう。

「天上天下唯我為尊 要度衆生生老病死」

お釈迦様のお誕生に纏わる一連のお話を、皆さんはどう思われたでしょうか?

現実的に考えれば、生まれたばかりの赤ん坊がオギャーと泣くのではなく、七歩歩いて言葉を発することなどあり得ません。

それでもこの伝承は今に伝わっています。なぜでしょう?

それは、この誕生話がお釈迦様の御一代の生き方とお徳を誕生と結び付けられているのです。

つまりは、人間として最高の生き方をされた偉大なお釈迦様を讃えているということです。

出産に対しても、インドでは不浄観、ケガレが伴います。

そこで香り高い花が咲き綻ぶルンビニー園で、脇の下からのお誕生となり、甘い雨は誕生の礼賛と命の肯定です。

七歩歩まれたのは、お釈迦様がお覚りにより苦悩の六道輪廻を超えられた象徴です。

このように、聖者となられたお釈迦様の偉大さが誕生と結びつけられて生まれたのが、誕生話だったのです。

そこで誕生偈です。一人一人の命は掛け替えのないものです。

それでいながら学生時代の私のように、自分を肯定出来ない人もいます。

掛け替えのない命の肯定「天上にも地上にも、唯我のみを尊しとなす」との実感はどこからくるのでしょう。

それは「生きとし生けるものの生老病死の苦しみから救うから」であり、つまりは、自分の命を他の為に尽くすところにあるのではないでしょうか。

尊い命の肯定

大震災を経験し命の尊さを知った方々が、別被災地に駆け付けボランティアに汗を流されます。

自分のことだけ考え自分の殻に閉じこもっていた私は、命の尊さを知ることが出来ませんでした。

先輩の導きから、共に歩む命を感じることが出来た時、明かりが見えたのです。

そんな私は、時間を見つけては各被災地にボランティアとしてお邪魔しています。

誰かの役に立てることで、私にピアスはいらなくなりました。

お釈迦様も若き日に苦しまれました。

その苦しみが深かったからこそ、全て苦しみの中にある人々を救おうと、八十歳のご高齢まで説法教化の旅を続けられたのです。

その生き方が、後に誕生偈として語られた「天上天下唯我為尊 要度衆生生老病死」天上にも地上にも唯我のみを尊しとなす、それは生きとし生けるものの生老病死の苦しみから救うからである、だったのではないでしょうか。

本日は「尊い私」と言う題でお話をさせていただきました。

ご清聴ありがとうございました。

 

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