【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】vol.2 旅支度と3つのルール

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これは私、深澤亮道が4年前に福井から岩手までの700Kmを無一文で歩いて帰った物語である。

Contents

前回のあらすじ

前回はプロローグとして、私がなぜ無一文で歩いて帰ることになったのか、そのきっかけをお届けしました。

要は、モーガン・フリーマン演じる囚人レッドと同じ気持ちだったというお話です。

(おそらく)1分で読めますのでvol.2を見る前に、是非ご一読下さい。

今回は、永平寺を出る前に「歩く前に決めたこと」と「出発までの裏話」をお送りしたいと思います。

歩く前に決めたこと

道のり、宿泊先

さて、無一文で歩いて帰ると言っても、さすがに無鉄砲に歩き始めたのではありません。

泊まる場所は、修行時代の同期や後輩、またお世話になった老師に予め連絡を取っていて、

この日に伺うので一晩泊めて下さい!

と、お願いをしていました。(今考えるととても図々しい)

もし、泊まるお寺が無ければ、そこは言わずもがな野宿です。(お金が無いから)

1日の歩く距離は平均30~40km。(結構歩く)

ルートは泊まる予定のお寺に沿って歩いたということになります。

歩いて帰る道のりは次の図のように、

福井を出発し、石川、富山、新潟、山形、宮城、岩手という全行程700Kmのルートで帰ろうと決めていました。

服装

服装は「托鉢の格好」で歩きました。

それは、頭には網代笠あじろがさ、手には錫杖しゃくじょう着物きものは膝の辺りまでたくし上げ、托鉢衣たくはつえをその上に纏い、お袈裟を簡略化した絡子らくすをかけます。

腕には手甲てっこう、脚には脚絆きゃはんを巻き、靴は足袋たびという服装です。

首から下げてた頭陀袋ずだぶくろには托鉢で使用する器が入っています

背中に背負った大きなリュックの中には、野宿ができるように、寝袋、簡易テント、ロール式の銀マットや洗面用具、着替えなどがパンパンに詰まっています。

とりあえず必要最低限と思ったものを用意したものの、背負ってみると想像以上にずっしり。

こんなに重くて大丈夫かな?

幸先不安な気持ちになりながらも、とにかくこの服装、持ち物で出発することになりました。

3つのルール

私が今回の旅で定めたルールは次の3つです。

1、お布施は全ていただく。

2、公共交通機関は使用しない。

3、どんな場所でも信号は守る。

1、お布施は全ていただく。

無一文で歩いて帰るということは、お金の無い私が人々のご縁、そしてお布施をいただきながら生活をすることになります。

そしてお布施を受け取るということは、その方の施しの心をいただくことでもあります。

日本人は他人からの善意につい遠慮してしまいがちですが、その心を無下にするわけにはいきません。

久保田さんのように

お釈迦さまが鍛冶屋のチュンダから腐っているとわかっていた(とされる)豚肉を食べたように、私も受けたう施しは全ていただこうと決めました。(食中毒には気をつけましょう)

2、公共交通機関は利用しない。

言うまでもありませんが、これを許してしまったら、今回の旅が成り立たないでしょう。

仮に托鉢でお金をいただいても公共交通機関は使わないと決めました。

ここで「公共交通機関」とした理由はまた後日明らかになります。

3、どんな場所でも信号は守る。

お坊さんの格好というのはただでさえ目立つものです。

そしてそのお坊さんが信号無視をしていたら、より一層目立つことでしょう。

もしも私が一般人で、そんなお坊さんの姿を見たら残念な気持ちになります。

それに、いくら昔のお坊さんのように歩いて帰っても、社会のルールを守れないようでは意味がありません。

そして、なによりも大事なこの命。

無事に岩手にたどり着くためにも、どんなに車通りが少なくても信号は守ると決めました。

と、まあ出発前に「せめてこれだけは守ろう」と、以上の3つのルールを定めておきました。

もしくじけそうになった時でも逃げ出さないため、そしてこの旅を成功させるためにもこうしたルールを決めることは重要なことでした。

出発までの裏話

私は平成23年の2月21日から平成27年の10月2日までの4年8ヶ月、大本山永平寺で修行生活を送りました

修行生活は、とてつもなく長い時間に感じることもありましたが、それでも振り返って見るとあっという間だったような…

色んな思い出が反芻する中、10月2日の朝を迎えました。

10月2日は秋晴れのカラッと晴れたとても気持ちのいい日でした。

山門で最後のお拝をし、

お世話になりましたー!

永平寺に祀られている道元禅師(永平寺を開いた人)、ご本尊様(お釈迦様や観音様など)、そしてお世話になった老師方や仲間の修行僧に大きな声で最後の挨拶をしました。

山門から下りて行く時に、見送りに来ていた修行僧達が声を揃えて

がーんばーれよー!

と、激励の言葉をかけてくれました。

4年8ヶ月の思い出がフラッシュバックします。

辛かった思い出、泣いた思い出、笑った思い出、楽しかった思い出・・・

様々な感情を胸に永平寺を後にしました。

そして私はそのまま・・・

新幹線で実家のある岩手県花巻市の歓喜寺へと帰省しました。

 

え!?・・・

ということは・・・

【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】完!?

 

はい。

すみません。

実は、私は永平寺を下りてすぐに実家に帰りました。

 

【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】完というのは冗談ですが、ここでは嘘偽りなく書き記していきたいので本当のことをお話します。

帰った理由というのも、10月5日に私が生まれ育ったお寺で10数年に1度の大きな法要がありました。

そのため、師匠である父から「どうしてもこの法要には参加してほしい」と頼まれていたので、私は福井から新幹線に乗って岩手まで帰ることになったのです。

無事法要も終わりましたが、今度は10月8日に今所属している曹洞宗総合研究センターの試験が控えていました。

ですので、すぐさま試験を受けるために東京へ。

やばい。全く勉強していなかったから、全然受かる気がしない・・・

イメージ図

と、モヤモヤした気持ちがありながらも、そこからもう一度福井県大本山永平寺へと戻りました。

そうです。

私は永平寺から1度岩手に戻り、法要に参加し、東京で試験を受けて、また永平寺に戻りました。

え?1回帰るなら意味ないじゃん。笑

と、よく言われましたが、意味があるか無いかではなく、一生に一度のこのタイミングで実行するかどうかです。

 

10日振りに福井に戻り、托鉢の衣装に身を包み、再び永平寺の入り口に立ちました。

それはまさに映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』で主人公のエルネスト・ゲバラが親友のロドリゴとオートバイに跨り、南米大陸縦断の旅に出る瞬間のように、希望と不安に充ちた気持ちでした。(ちょっと大げさかも)

Diarios de motocicleta (2004)

そんなこんなで実は出発前に一度帰っていますが・・・

【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】はここから始まることになります!

次回予告

前回、「初日の挫折」をお送りすると告知しましたが、字数オーバーにより今回は書くことができませんでした。

心よりお詫び申し上げます。

次回こそ永平寺を出発し「初日の挫折」をお送りしたいと思います!

vol.2旅支度と3つのルールを読んでいただきありがとうございます(^ ^)

続きはこちら↓

 

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