匿名は安全じゃないという話

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2020年、年始には予想だにしなかった状態で終えることになった上半期は、辛さや怒りを上塗りするような出来事がいくつもありました。

そんな中で、私がこれまでに問題意識を持ちながらも、触れることができていなかった問題があります。

それは、SNS上での言葉の扱いです。

女子プロレスラー、木村花さんの出来事は社会的にも大きな問題になったのでご存知の方も多いでしょう。

アンチ、荒らし、などと言えばネット上での出来事として聞こえますが、要するに現代は誰でも身元を明かすことなく、簡単に人を傷つけられる時代になってしまっているのです。

今日はそんなSNS上での匿名性について、僧侶の視点から考えていきます。

Contents

SNSと言葉の恐ろしさ

実は、私は自分自身はSNSに向いていない人間だと思っています

それは、良くも悪くも、人からの言葉を受け流すということができないからです。

幸い、こうしたブログやSNSを通しての発信を初めて3年間、いわゆる炎上やアンチには遭遇せずに活動することができています。

しかし、もしある日突然、自分のスマートフォンが読みきれないほどの誹謗中傷で通知が止まなくなったら…。

もちろん、発信や活動を改善をするためのご意見はありがたいんです。

ところが、私が行った行為に対してではなく、私という人間に対して、面識のない人たちが急に罵詈雑言を浴びせてきたらと思うと、恐ろしくてたまりません。

年齢の問題ではありませんが、亡くなった木村さんは22歳。

私が永平寺に上山した歳で、自分のSNSが誹謗中傷で埋め尽くされるのを耐えられたでしょうか。

とても無理です。

嫌なら見なければいい、という意見もあるかもしれませんが、人間は自分が悪く言われているとわかった以上、見て見ぬ振りをすることはなかなかできないものです。

きっとこの問題は、規模は違えど世界中で起こっていて、これからも増えていくでしょう。

この一連の出来事において一番悲しいのは、当然木村選手の死であり、その周りの方々の胸中を思うと言葉が見つかりません。

それは揺るぎません。

しかし同時に、この出来事は非常に多くの人間の手によって起こされたものであるということ、つまり人を追い詰める程の言葉をSNS上に放った人がいるということに、怒りとも違う感情が湧いてくるのです。

それは心配でもあり悲しみでもあり、落胆でもあります。

なぜなら、この匿名の人々はかなり危ない状態にあるからです。

言葉の作用

仏教では、人の行いを身体と口と心の三つに分けました。

この行いのことをごうといい、身体と口と心による業をそれぞれ身業しんごう口業くごう意業いごうといいます。

身業は身体を使った行為口業は言葉にすること意業は心の中で思うことです。

そして、この業の性質として重要なのが、「自分の中に蓄積される」ということ。

身体でも口でも心でも、はじめに生まれたその瞬間から、業というのはどんどん自分の中で積み重なり、身心を変化させていくのです。

例えば、はじめはなんとなくでやったポイ捨てが、いつの間にか当たり前になり、周囲の人の怪訝な顔を見ても気づかなくなったり、

逆に最初は気恥ずかしかった親切が、ごく自然にできるようになったりと、人は日々の行為の中で身心に癖がつけていきます。

そして、いくら匿名でできるSNSだとしても、全ての言葉、全ての気持ち、全ての行為を見ている人がいますよね。

そう、自分です。

安全な場所から人を攻撃しているつもりでも、全て自分は見ていて、全て蓄積されているんです。

口の中の斧

匿名を隠蓑に、SNS上で心ない言葉をぶつけている人は、余程のことがない限り捕まらない、というのが現在の日本の状況です。

しかし逆に言えば、それは誰にも止めてもらえないということでもあるのです。

お釈迦様が、言葉というものの性質を説かれた、こんな一節があります。

人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。
ひとは悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。

私が、自分の経験を思い返して未だに胸が痛むのは、人に言われて傷ついたことよりも、人を傷つけたことのような気がします。

当然個人差や内容によって違いはあるでしょうが、言われたことは徐々に風化されても、言ってしまったことはいつまでも胸に支え続けてしまうのです。

そうして、言葉というのは人を傷つけながら自分自身を斬る斧であると、お釈迦様はおっしゃるのです。

だれもが遠くまで斧を投げられる社会

そして現代は、そんな口の中の斧が多様に変化し、スマートフォン一つで地球の裏側まで飛ばせる時代になりました。

そのためSNS上には、匿名だからと高をくくり、誰にもバレやしないと思いながら、誹謗中傷・罵詈雑言をネット上に放ち続けては、自分を斬り続けている人が溢れています。

しかも、その年齢層がどんどん広がり、今では子どもでもオンラインゲームで面識のない人に「死ね」と言ってしまう世の中です。

自分を斬れば斬るほど、人の身心には癖がつき、いつしかそうした言葉でしか会話ができなくなっていきます。

悪口を言ってはいけないのは自分すらも傷つけるからであると、およそ2500年前にお釈迦様は説いておられます。

私個人のルールとしては、SNS上では匿名の方とも意見の交換や議論は最後までします。

言葉を荒らげることもありません。

その代わり、内容に必要のない悪口がでてきたら、すぐにブロックするということだけは決めています。

なぜならそれが、匿名の方を守る唯一の手段だからです。

匿名とは、誰にも気づかれず、自分すらも気づかずに傷つき続けてしまう場所でもあります。

誹謗中傷はよくない!という言葉の中に、「言った側も自分を傷つけているんだよ」という視点が、現代には必要なのかもしれません。

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