電車のイライラを抑える仏教的乗車テクニック

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先日、WEB運営担当の堀田の知人からとある相談が。

電車の中で人にぶつかられたり、おされたりすると、押し返してしまったりわざとぶつかったりしちゃいます。
だめとはわかりつつ、ムカついてしまいます。
どうしたら怒らなくなりますか?

なるほど、確かに電車はイライラや悩みが絶えませんよね。

私が普段使っている路線も都内にしては比較的空いているとはいえ、やはり楽しいものではありません。

さらに朝の慌ただしさで心に余裕が無いからなのか、人のマナーや立ち振る舞いがやけに目についてイライラしてしまうこともしばしば。

私が電車に乗るたったの15分でこれなら、もっと混んでいる電車に長く乗る人の大変さたるや…。

そこで今回は電車のイライラを抑える、仏教的な乗車テクニックを考えてみました。

改札から車内まで、それぞれのテクニックと改札があるのでぜひ最後までお付き合いください!

Contents

イライラ①改札で残高不足で止まっちゃた人がいた時

Suicaなどをはじめとする交通系電子マネーが普及した昨今。

よくやってしまうのが改札で残高不足でピンポーン現象

うっかりやってしまうと後ろの人の心の舌打ちが聞こえた気がして申し訳なさと恥ずかしさに襲われます。

重要なのは、目の前の方がピンポーンと鳴らしてしまった時にこの気持ちを忘れないことです。

自分もやってしまうことがあるからこそ、人が同じことをしてしまった時にはその気持ちを思い出して赤子を見守る母になったつもりで見守ってみましょう

人々の苦しみに耳を傾ける観音様のような気分が味わえます。

解説

仏教では他をいたわり、思いやる心のことを慈悲といいます。

その慈悲の基本は「痛みを知る」ことです。

人は誰でも赤ちゃんの頃があったのに、その頃の気持ちは忘れてしまいます。

同じように、出来なかったことや、失敗してしまったこともたくさんあるのに忘れてしまいがちです。

残高が足りなくて、乗り換えを間違えて、うっかりTポイントカードを出して改札を止めてしまうことなど、誰にでもあることです。

そんな時に他人には厳しく当たってしまうか、自分の立場に置き換えて許せるかで、心の模様が大きく変わるはずです。

はじめはついイラッとしてしまっても、少しずつ積み重ねることで必ず身についていくので根気よく頑張りましょう。

イライラ②ホームで横入りされた時

ホームで乗車位置に並ばず、電車が来た瞬間に横から現れて秩序を乱す「混沌の使者」。

自分が真面目に並んでいたことが馬鹿らしくなるような行動に、思わず怒りが湧いてしまいます。

そんなときは、「混沌の使者」は悪魔が遣わした自分への試練だと考えてみましょう。

そこで怒ってしまうと悪魔の思うツボです。

悪魔は人間が怒りに振り回されるのが大好きです。

「その手は食わないぜ!」と怒りに振り回されずどっしりと構えましょう。

そこで心の平静を保つことができたとき、悪魔に打ち勝ったお釈迦様の気分が味わえます

解説

仏教では、怒りは自己中心的な欲求が満たされない時に起こると考えます

少し考えてみると、横入りした人に対しての怒りというのは、ルールを守っている側として正義の名の下に怒っているようで、実は少なからず私はルールを守っているのにずるいという気持ちが含まれています。

そこでその「ずるい」という気持ちから生まれた怒りに振り回されてしまうと、いつしか「もう順番を守るのなんかバカらしいからいいや」と、自分まで自己中心的な人間になっていってしまいます。

怒りに振り回されると次の欲求が生まれ、それが満たされないと怒りが生まれ、最終的には周りが見えなくなって過ちを犯してしまうのです。

ただの横入りのようで、実は「欲求(とん)」と「怒り(しん)」よって周りが見えなくなった結果()という煩悩のループから生まれたものなのです。

お釈迦様は、自らの煩悩の化身である悪魔に「私はお前を知っている」と言って退けました

悪魔の弱点は、その存在を認めた上でそれに振り回されないことです。

横入りした人の姿を反面教師として、自分の中にもそういう気持ちはあるけれど、私はそれに振り回されませんよという気持ちを持つことが不正に対する怒りを抑えるコツです

イライラ③車内でぶつかられた時

密閉された車内は、空気だけでなく乗客全員の疲れやイライラまでが充満してどんどんそれが伝染していきます。

そこでこれは私がすでに実践している技です。

電車には本当にいろんな人がいます。

自力で立つ気が無い人や平気でぶつかってくる人。

心に余裕がない朝のことだと、余計に腹が立ってしまうものです。

しかし、それを一切やり返すことなく「この憎しみの連鎖は私が断ち切る!!」と、この世界に平和をもたらす勇者のような気持ちで毅然と振る舞うと、満員電車に極楽浄土をもたらす阿弥陀様のような気分を味えます。

解説

仏教では「憎しみは、受け取らなければ持ち主の元に返っていく」と考えます。

仮にこちらがやり返したり態度に出してしまうと、相手もやり返されたことで「お互い様」と勘違いをされてしまいます。

相手が反省することを願って黙って受け流しましょう。

もしも相手を諭して改心させる気があるのなら関わってもいいかもしれませんが、それは容易なことではありません。

しかし、それ以上コトを大きくしないことはできます。

「イライラの伝染は自分までで終わらせよう」と思うこと。

一人でも多くの方がそう思うことができれば、いつか車内の雰囲気は変わっていくでしょう。

※犯罪行為をされても我慢するという意味ではありません。

まとめ

いかがでしたか?

かなりふざけた内容に思われたかもしれませんが、怒りと向き合うことは仏教で非常に重要なことです。

今回取り上げたのは犯罪行為のように明らかな悪意があるものに対して、というよりは心の余裕のなさや周りの見えなさなど、無意識から生まれる行為です。

フッと心に湧いてしまうからこそ抑えるのが難しいものですが、少し視点を変えて考えてみると、隠れていた自分の欲や自己中な部分が見えてくることあります

体力的にも精神的にも決して楽ではない電車内で穏やかでいようとすることは、なかなか厳しい修行です。

しかし、誰もがそれぞれに何かを背負って、今日も電車に乗っています。

中には想像もつかないほど大変な目にあったばかりの方がいる場合もあります。

少し人を許せるくらいの余裕がある日にはこんな風に電車で修行をしてみてはいかがでしょうか?

「一人でも嫌な思いをする人が減るならば」と、少し心の持ち方を変えてみるのも悪くないかもしれません。

そしてなにより、可能であれば時間に余裕をもてると、なお良いですね!(主に私が)

 

 

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