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これは私、深澤亮道が福井から岩手までの700Kmを無一文で歩いて帰った物語である。
Contents
前回までのあらすじ
前回h、永平寺を出発して20日目。
宮城県山元町の普門寺から仙台市の江巖寺までの40kmの道のりを歩きました。
前回の記事は以下から読むことができます。↓
バックナンバーは以下から読むことができます。
今回は、宮城県大崎市の光明寺までの道のりをお送りします。
江巖寺の住職
20日目 18:00〜
この日は40kmを歩きましたが、不思議なことに疲れや痛みをそこまで感じませんでした。
今考えると、1日で40km歩くって結構大変だなと思います。
いや、今考えなくても普通に大変だろ!
と、ツッコミが聞こえてきそうですが、ここまでくるとランナーズハイに似た感覚、つまり実家までの残りの道筋が見えてるためアドレナリンとドーパミンが多く分泌されていたのだと思います。
ずーっと、田舎道を歩いてきたので久々の都会を歩きました。
すれ違う人々からは不審な目をたまーに向けられますが、そんな視線はなんのその。
午後6時頃、無事に江巖寺に辿りつきました。
前回もお伝えしましたが、住職を務めるのは永平寺時代一個下だった我妻俊道さん。
若くして師匠である、お父さんを亡くされて、修行が終わったらすぐに住職となることが決まっていたそうです。
由緒あるお寺の住職を、20代で継ぐというのは相当なプレッシャーがあったと思います。
私のように未だに、住職でもなくお寺に住むわけでもなく、自由にお坊さんをさせてもらっている身からすると、想像もつかないくらい、多くの葛藤や苦労があったのでしょう。
永平寺修行中からとても物腰が柔らかく、所作進退が綺麗だった我妻俊道さんは、後輩ではありますが、とても尊敬でき、見習うべきところがたくさんあるお坊さんです。
この時、彼は永平寺での修行を終えて数年経っていましたが、その立ち姿に住職としての貫禄がすでに備わっていたのを覚えています。
大崎市へ向け出発
21日目 7:00〜
ここまで江巖寺と住職の我妻俊道さんのことをご紹介してきましたが、なんと彼の写真を撮るのを忘れていました!笑
なので、江巖寺出発前に玄関で撮られた私の1枚でお許しください。
隣に足だけ写っているのが我妻俊道さんです。
一晩泊めていただいたお礼を言い、江巖寺を出発しました。
さて、本日の目的地は宮城県大崎市にある光明寺を目指します。
本日の行程も45kmと思いの外、ロングウォークです!
あれ?こんなに長い距離歩いたかな?
と、今不思議に感じておりますが、完全にハイペースで飛ばしてますね。笑
この日も、国道4号線沿いをひたすら北上します。
コンビニのお布施
宮城県に入ってからの天気はどんより曇り空の天気が続きます。
この日はほとんどノンストップで歩き続け、午後4時頃には大崎市に到着しました。
光明寺まであと数キロのところでトイレに行きたくなり、「ファミリーマート」に駆け込みました。
トイレを終え、コンビニ前で身支度を整えていると、店員さんがゴミ捨てをするため?で、外に出てきました。
旅してるんですか!?
凄いですねー!
偉いですねー!
ちょっと待っててくださいねー!

光明寺に到着
21日目 18:00〜
辺りがすっかり暗くなった頃、無事45kmの道のりを歩き、光明寺に到着しました。
ここ光明寺は永平寺時代1つ後輩だった、伊藤大輝さんが副住職を務めるお寺です。
つまり、伊藤さんは江巖寺の我妻さんと同期になります。
そして驚くことなかれ!
ここ光明寺は、あの幕末の剣聖であり北辰一刀流の創始者「千葉周作」が幼少期に過ごした場所であり、その源流である北辰流はここで学んだとされます。
北辰一刀流といえば、坂本龍馬はじめ幕末の名だたる志士達の多くがここで学んだ流派です。
つまりこの土地で、千葉周作が北辰流を学ばなければ、明治維新はなかったかもしれない!
と、勝手に妄想を膨らませてしまうのは私だけでしょうか?笑
この辺りは、幕末や歴史が好きな人にしか興奮しない情報なのかもしれませんが、私は結構驚いています。
しかしこの時は、そんな情報に興奮しているほど体力も残っておらず、泥のように眠りについたのでした。
旅の勲章
21日目 7;00〜
朝、身支度を整えていると伊藤さんのお母さんがあることを発見しました。
「この足袋穴空いているじゃない!」
足袋を確認すると確かにかかとがすり減り小さな穴が空いてたのですが、なんと今の今まで気づきませんでした。
残り100kmを切ったところで、足袋も限界を迎えつつあります。
伊藤さんのお母さんに新しい足袋を勧められましたが、丁重にお断りさせていただきました。
なぜなら・・・
「最後までこの足袋で旅を続けたい!」
はい、失礼しました。
頑張れ、足袋!笑
そんなこんなで、伊藤さん家族にお礼を伝え、光明寺を後にしたのでした。
続く
次回予告
宮城県に入ってからは、お寺ヒストリーを多くお伝えしました。
本当にお寺の数だけ、それぞれ深い歴史があり、それを守っていかなければならないお坊さんの重圧は相当大きなものなのかもしれません。
何はともあれ、残り100kmをきりました!
完結にむけ、カウントダウンがはじまっています。
どうぞ、最後までお付き合いいただけたらと思います。
vol.34 「コンビニのお布施」をお読みいただきありがとうございました(^^)
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