お盆ってどんな行事なの?〜お経から知る意味と由来〜 vol.2

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日本でも馴染み深い仏教行事でありながら、意外と知られていないお盆の由来と意味を考えるこのコラム。

第一回はお盆の由来である仏説盂蘭盆経』というお経の存在について簡単に触れました。

Contents

登場人物

今回は早速『仏説盂蘭盆経』を読んでみましょう。

まず、お経にはちゃんとストーリーがあり、登場人物の会話に仏教の教えが込められています。

特に法華経をはじめとする、お釈迦様が亡くなってから時間が経って以降のお経は、表現がより豊かになっていておもしろいですよ!

この『仏説盂蘭盆経』も物語になっていて、登場人物は以下の通りです。

目連もくれん尊者…お釈迦様の十大弟子の一人でその中でも右腕。神通力じんづうりきに優れていて、あらゆる世界を見渡せた。(=物事を見通す力に優れていた)

・お釈迦様…仏教を説いたブッダのこと。

・目連尊者のお母さん。

仏説盂蘭盆経のストーリー

それでは内容をみてみましょう。

 

ある日、お釈迦様の元で修行をしていた目連尊者は、亡くなった母に何かしてやれることはないかと思い立ちました。

そこで目連尊者は神通力で天上界を覗いてみると、いると思っていたお母様の姿がありません。

まさかとは思いながらも六道(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)世界を順番に探すと、何と餓鬼の世界にお母様がおられたのです。

餓鬼の中に佇むお母様は、骨と皮ばかりに痩せ細り、飢餓に喘いでおり、目連尊者の知る面影はありませんでした。

 

②いたたまれなくなった目連尊者は、神通力を駆使して器に食べ物を盛って届けに行きます。

見るも無惨な姿のお母様が、その食べ物を掴んで口元に運び、口に入れようとしたその時、食べ物は真っ赤に燃えた炭に変化して食べることができないのです

そのあまりにも酷い様子に、目連尊者は大声で泣き叫び、お釈迦様の元に帰って、どうしたらお母様を救うことができるかを尋ねます。

 

するとお釈迦様は言います。

「目蓮よ、あなたが母を思う心がいかに深くとも、また、汝の神通力がいかに優れていても、汝一人の力で母を救うことは不可能である。しかし七月十五日、雨期の間三ヶ月の修行を共にした修行僧たちに、食べ物や飲み物を供えるなら、汝の母はもとより、七代遡った先祖さえ苦しみを離れるだろう。

 

目連尊者がお釈迦様の教え通りに修行僧達に供養をすると、修行僧たちは供養主である目連尊者に祈り、坐禅で定まった心で食事を食べました。

するとお母様は長く続いた気の遠くなるような餓鬼道の苦しみをたちまち離れることが出来たのです

 

ストーリーと登場人物の関係

さてこのお話、一体どう受け取れば良いのでしょうか。

そこで重要になってくるのは、お経のストーリーと登場人物の関係性です。

お釈迦様の死後時間が経ってから成立したお経の多くは、ストーリー自体はフィクションですが、実在したお弟子さんが登場するケースが多くあります。

実はこの登場人物の人選というのはそのお経の意味と大きく関わっています。

例えば「般若心経」は観音様がお釈迦様の十大弟子の一人で「智慧第一」と称された舎利弗尊者に教えを説く、というストーリーです。

この、「智慧第一」と称された舎利弗尊者が教えを説かれているということが、般若心経の説得力を担保しているのです

詳しくはこちら。

目連尊者のプロフィール

では「仏説盂蘭盆経」の登場人物、目連尊者がどんな人だったかというと、その異名は「神通第一」

神通力というと、置き換えるのが難しい部分ではありますが、ここでは物事を見通し、想像力に長けた方だったという言い方をしたいと思います

そして目連尊者という方のプロフィールで重要なことがあります。

それは長男であったということです。

本来であれば老いた親を養い、亡くなったら供養をするのが当時の長男の役割でした。

ところが家族関係を全て投げ出して出家をしたため、長男として親を弔うことはしません。

そう考えてみるとこの立場というのは非常に中国の修行僧と似ているんです。

それどころか当時の中国は儒教や道教の教えを中心に、子孫の繁栄と親孝行が重視されていた社会です。

しかし出家をしてしまってはそれは叶いません。

vol.1で触れたように、これは中国で作られた「偽経」に分類されるお経です。

もし本当に中国で作られたなら、当時の修行僧が抱えていた悩みや苦しみに応えるためのものであったとしても不思議ではありません。

こうして「仏説盂蘭盆経」のストーリー設定を改めて見てみると、親のことが気がかりで不安になっていた当時の修行僧たちの姿が見えてくるのです。

それでは具体的に、このお経はどんな教えで修行僧を導こうとしたのでしょうか?

次回は、お母様が餓鬼道に堕ちてしまった、という描写をどう受け止めるべきか、ということについて考えてみます。

vol.3へつづく

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