毎月開催している精進料理&食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、
現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。
今回は2023年7月19日の回で渡辺秀憲さんがお話しした法話です。
Contents
法話「言っといてくれない?」
改めまして、こんばんは。
本日のお話を担当させていただきます渡辺秀憲です。よろしくお願いいたします。
前回、前々回に引き続き、「三心」をテーマにしたお話をしたいと思います。
「喜心」「老心」に続いて、今回は三心の三つ目「大心」についてです。
今回初めてのご参加の方もいらっしゃるということで、
そもそも三心とは、というところからお話しさせていただきます。
福井県にある曹洞宗の大本山永平寺を開かれた道元禅師という方の書物に『典座教訓』というものがあります。
修行道場には食事の一切を司る「典座」というお役目があります。
『典座教訓』はその典座のお役目を担う者への、取り組み方や心構えを示した書物です。
三心はこの書物で道元禅師が示された言葉です。
前々回西田さんもお話ししましたが、三心にはこんな但し書きがあります。
凡そ諸の知事頭首,及び當職作事作務の時節,喜心,老心,大心を保持すべき者なり。
これは、典座のみならず、修行道場で役にあたる者は喜心、老心、大心の三心を忘れてはならない
ということであり、修行そのものの在り方に関する重要な教えなのです。
そこで改めて理解を深めようということで、西田さん、原山さん、私それぞれが三心を一つずつ担当し、
今回は私が三つめの心、大心についてお話しさせていただきます。
前回、前々回のお話は、禅活のブログに掲載しておりますので、そちらをご覧ください。
大心とは
さて、それでは今回のテーマである大心についてですが、道元禅師はこのよう説かれています。
所謂大心とは,其の心を大山にし,其の心を大海にす。偏無く黨無き心なり。
意味としては「大心とは、心を大きな山のように、広大な海のようにすること。偏りやおもねりのない心だ」となります。
山はひとところにどっしりと構え、風や雨雪の量などの好き嫌いで場所を移したりしません。
海は流れ込む水がきれいだとか汚れているといった好き嫌いをしません。
この山や海のように、自分の好き嫌いや偏見で作務の態度を変えるようなことをしてはならない、と道元禅師はお示しなのです。
例えば典座は修行道場の食を司るその役割上、修行生活の生命線になります。
食材の在庫はどれくらいあって、それで修行僧をどれだけ食べさせていくことができるのか。
高級な食材があるから今日は気合が入るぞとか、お客さんがいるから頑張ろうとか、
典座の好き嫌いや気分で姿勢が変わっていては、道場の維持は立ち行かなくなります。
食材の状態や特性に合わせて無駄なく生かし切れるよう、
あるいは人からの評価を気にして左右されるようなことなく、
その時その時の最適な判断を下すことが求められるのです。
修行中の記憶と気づき
今回こうして大心という教えを紐解いてみて、私は非常に後悔しているできごとを思い出しました。
それは私が、大本山永平寺での修行生活が3年目を迎えた時のことです。
先ほど触れたように、修行道場には様々な役があり、それを割り当てられて努めます。
そしてその役目ごとに、寮舎という部署になっていて、法要や坐禅の時以外はそこで生活をします。
当時私がいただいた役は「傘松会」という寮舎の寮長でした。
傘に松と書く傘松は永平寺の機関紙で、この「傘松」を編集・発行する部署が「傘松会」です。
「傘松」には毎月の永平寺の様子を収めた写真や、修行僧の随筆などを掲載しています。
その写真の撮影や原稿の校正などの、編集作業が傘松会の主な役割です。
永平寺が公的に出している刊行物ですので、間違いの許されない、大変責任の重い役といえるでしょう。
そして、そんな傘松会のお役をいただいたのは私が三年目の年で、
その部署の修行僧をまとめる「寮長」という立場での配役でした。
役寮という指導役の和尚さんが一人おられて、修行僧は寮長の私と、一年目の修行僧が二人いました。
私は寮長になるのは初めてで、永平寺に上山してはじめて一年目の修行僧のまとめ役となったのです。
このお役をいただいた時、私は心に決めていたことがありました。
それは、なるべく一年目の修行僧を叱らず、コミュニケーションを取りやすい空気を作っていこう、ということです。
実は私は傘松会自体は一年目の時に経験しており、その経験があっての寮長という配役でした。
一年目の時の傘松会では、とにかくよく𠮟られた記憶があります。
その役で必要な作業のことことは、先に役に当たっている同期から引き継ぐ形で教わります。
そのため、写真撮影に必要な一眼レフの使い方や法要を撮影する際の注意点は同期の修行僧から教わるのですが、
一年目というのはみんな余裕がなく、なかなか懇切丁寧に、とはいきません。
そうして法要の本番を迎えると、カメラの使い方が違う、撮影の注意点がわかっていない、
時には同期から教わったことが違っていて先輩から叱られることすらありました。
しかし、納得がいかない、注意の内容が理解できないとしても、
先輩に聞き返したり反論することはできないという暗黙の了解のようなものがありました。
そんな状況にあって、私は
「もう先輩が最初から全部教えてくれればいいじゃないか。全部先輩に聞ければすぐ解決するのに。」
いつもそう思いながら日々を過ごしてきたことを覚えております。
また、寮長がずっと怒っていたり、不機嫌だったりして意思疎通がうまくいかないことも多々ありました。
また、先輩が怒っていれば、後輩は委縮して、目の前のことがうまくこなせなくなるものです。
私は特に先輩の目を気にしやすく、怒らせないようにと思うほど自分の仕事がうまくいかず、
結果的にはさらに怒らせてしまったことがよくありました。
もちろん先輩の中には優しい方もいましたが、
私は後輩を萎縮させるような態度を取る寮長の在り方には納得ができませんでした。
そこで、傘松会で寮長になるにあたって、自分がやるからには後輩が聞きやすい環境を目指そう、
コミュニケーションを取りやすいよう、あまり怒らないようにしよう。
修行道場の体育会系な環境に、一人反旗を翻すような気持で臨んだのでした。
そんな心持ちで私がカメラの使い方を説明すると、
「先輩にこんなに丁寧に説明されたことないです」と一年目の二人は感動してくれました。
二人の僧侶としての作法やお役目のやり方に問題があれば、
怒るのではなく何がいけないのかを理解できるよう説明する。
部署の空気もよく、二人はわからないことがあれば私に聞きに来るようになりました。
当初はそれでうまくいっていたように思いました。
ひと月ほど経つと、だんだん二人それぞれの性格がわかってきました。
一人はまじめで、普段の生活もお役目の仕事も完璧にこなそうとするA君。
もう一人はひょうきんで、見つからない程度に手を抜こうとするB君。
B君は私が怒らないタイプだと知ると、段々と粗が見え始めました。
写真撮影をすっぽかしたり、坐禅に行くべき時間に行っていなかったりということが分かったのです。
私もだんだんB君に注意をすることが増えました。
しかし、日を増すごとにB君の態度は、修行僧としてふさわしくないものになっていきます。
でもこれ以上私がB君に注意したら、傘松会の空気が今より悪くなるのではないだろうか。
悩んだ私は、気づいたことをA君に指摘してもらうことにしました。
「A君、B君にさ、今の修行態度よくないよって、言ってくれる?僕が言うと角が立ちそうだからさ」
まじめで責任感の強いA君も、B君に思うところがあったのでしょう。
「やっぱりあれよくないですよね。わかりました。言っておきます」
と承諾してくれました。
A君の注意が効いたのか、翌日はB君の態度が少し良くなっているように見えました。
同期に注意されると効果があるのか。
そう味を占めた私は、またB君の態度が目に付いたり、
失敗が増えたりするたびにA君に注意してもらうことにしました。
そうして傘松会の空気は悪くはない、自分は寮長としてよくやっているほうだと思えるようになっていきました。
そんなある日、私の同期が心配そうに声をかけてきました。
「傘松会、大丈夫か?」
「大丈夫って何が?」
「お前の後輩二人、永平寺で一番仲悪いって評判じゃん」
寝耳に水でした。
寮長の私と二人は寝る部屋が別なのですが、聞くところによれば、
一日の作業が終わってから寝るまでの休憩時間、今やその二人は会話がゼロ。
編集で必要なやりとり以外ではお互いに不干渉の関係になってしまったというのです。
しかもそのことは、永平寺の中でもかなり有名で、知らぬは私ばかりでした。
それまでは、三人で編集作業をしているときも、
二人は和気あいあいと務めを果たしていると思っていまいしたが、改めて二人を見ていると、
会話をするのは私が話を振ったときだけで、
A君とB君の間にあるのは事務的なやりとりだけだということに気付きました。
もちろん、二人の性格的な相性というものはあったかもしれませんが、
私がA君にB君を注意させたことが無関係だとはどうしても思えませんでした。
先ほど、大心とは偏見や自分への評価に左右されずその時その時で最適な判断を下すことだとお話ししました。
私は傘松会の空気を悪くしないためにとA君にB君への注意をお願いしました。
でもそれは私が自分の理想を叶えるための一人よがりで、
結局二人の関係にとって悪い方向に作用しました。
もっと正直に言えば、この時の私は、自分が悪者になることを避けていただけだったのかもしれません。
当時の私に必要だったのは、自分がどんな寮舎にしたいかという理想や、
優しい寮長になろうとすることではなく、自分の言葉や態度が二人にどんな影響を与えるかを見極め、
必要があれば自分が嫌われ役を買ってでるような姿勢だったのです。
「偏なく党なき心」と道元禅師が説かれた大心は、まさに当時の私に欠けていたものでした。
結局二人の仲は修復されることはなく、ひと月後に別々の役に当たって傘松会をあとにしました。
私は永平寺を下りてからも、あの時どうすべきだったのだろうかと、
このことを思い出しては自問自答してきました。
そこで今回改めて『典座教訓』を読んだ時、当時の私が自分の視点に囚われ、
自分の評価を気にして、大心を欠いていたことに原因があったことに、ようやく気づくことができました。
この経験を忘れずに、今目の前の相手のために、
どんな言葉をかけてあげるべきなのか、何をすべきなのか、どう伝えればいいのか。
わが身可愛さとか、好き嫌いとか、そんな偏りやおもねりに囚われることのないよう、常に考えていきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。