「たりないふたり」が見せてくれたもの

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皆様は「たりないふたり」というお笑いコンビをご存知でしょうか?

最近売り出し中の若手芸人さんではありません。

「たりないふたり」は、南海キャンディーズの山里亮太さんと、オードリーの若林正恭さんによるお笑いユニットです。

12年前、自らの「たりなさ」をお笑いの原動力に変えてきたお二人がプライベートで意気投合し、ライブ限定のコンビという形で結成されました。

その後、このライブはテレビ番組となり、回を重ねてきましたが、この度ついに解散ライブとなったのです。

今回は、5月31日に配信された「たりないふたり」の解散ライブ「明日のたりないふたり」が見せてくれたものについてのお話です。

Contents

二人が抱える「たりなさ」

早速生配信を観た感想に移りたいところですが、前提としてお二人の言う「たりなさ」とは何か、についてお話ししておく必要があります。

お二人はそれぞれに、社会で生きていく上で自身の不便さのようなものを抱えていたようです。

たとえば山里さんは妬み嫉みが沸きやすく、若林さんは本音であろうとすると人付き合いがうまくいかない、といったように、自分という人間がなぜこうも他人や社会と合わないんだろう?という折り合いのつかなさありました。

ここまで読んでいて、こう思われたの方がいらっしゃるのではないでしょうか。

それを「たりなさ」というなら、誰にだってあるんじゃない?と。

私もそう思いました。

しかし、このお二人の言う「たりなさ」とは、普通はそこで我慢して折り合いをつけるんだろうけど、それができないところなのだと、私は捉えています。

そしてそうした折り合いのつかなさと飲み込めなさを、笑いに変えていくのです。

たりてしまったふたり?

私は初期から観てきたわけではありませんが、12年前のこのライブは「持たざる者の叫び」であって、どれだけ毒づいても最終的に「たりないふたりだから」で済んでいたでしょう。

しかし、今やお二人は番組MC、人気女優さんとの結婚、冠番組やCMなど、世間から見れば「持っている人」になってしまいました。

実際に、2019年のライブで若林さんは「人の結婚を祝えるようになった」「山ちゃんは自虐以外の武器を見つけないと」といった、変化を感じさせる発言をしていました。

また、山里さんはご結婚に際し、「自分は幸せになっちゃいけないんじゃないか」という葛藤があったといい、その上でお二人は「やっぱり俺たちたりないな」と、ライブを続けてきました。

「たりなさ」がコンセプトだったお二人のユニットにとって、端から見て満ち足りているように見えることは、かなりのプレッシャーだったのかもしれません。

「明日のたりないふたり」を観て

そうしたお二人の立場や心境の変化を経て迎えた今回の解散ライブ、「明日のたりないふたり」は状況に鑑みて無観客のオンライン配信で開催されました。

形式は台本なしの即興漫才で、ツッコミが山里さんでボケが若林さん。

笑いどころでもお客さんの笑い声の入らない無観客での配信は、お笑いを土俵にした心のぶつかり合いを観ているようでした。

若林さんが次々に繰り出す変化球をしっかりと打ち返す山里さん。

そこに時折混ざる、本音の部分。

プライベートで面と向かっては言えなくなった謝罪も称賛も、お笑いを通してなら言える。

そんな姿に胸が熱くなりました。

特に、私がグッときてしまったのは、若林さんが山里さんに以前のライブで「自虐以外の新しい武器を見つけないと」と言ったことについてのお話。

山里さんが振り回す自虐という武器を改めて目にした若林さんは、必要なのは新しい武器じゃなかったんだと気づき、変われと言ってしまった不甲斐なさに一人車でオイオイ泣いてしまったそうです。

人は近しい人の成長や成功を願い、得てして変化に期待をしてしまうものです。

時にその期待が間違っていることもあるでしょう。

しかし、その間違いに気づいて一人泣くほど、深く人のことを思うことができるだろうかと、私は考えてしまいました。

たりなさが尊さ

もちろん、約90分に及ぶお二人の即興漫才は、こうした胸を打つような部分だけでなく、ワードのチョイスや展開、型破り加減など、おもしろかったことは言うまでもありません。

そして、このライブのすごいところは、お二人の「たりなさ」が、それを観てきたたりない人たちを救ってきたことです。

ああ、生きづらいと思っていいんだ、自分だけじゃないんだ。

この生きづらさで人を笑わせることができるんだ。

お二人にそう思わされたことで、人生が変わった方が多くいるのです。

その最たる例がHIP-HOPユニットCreepyNutsです。

CreepyNutsのお二人は、同じく「たりなさ」を抱えていましたが、それが芸になることを知り、デビューアルバムを「たりないふたり」題し、これがヒット。

二人は「たりないふたり」によって、ヒップホップで食べていく道を歩み出したのです。

きっと、CreepyNutsは氷山の一角で、救われた人の数は数知れないでしょう。

なぜなら、その「たりなさ」こそが人間臭さであって、個性であって、人としての尊さであるからです。

たりないまま生きることことにこそ、人生の意味があるのだと、私はこのライブから学んだような気がします。

まとめ

曹洞宗では、至らない自分を前提として初めて修行が成り立ちます

放っておくとだらけたり、怒ったり、妬んだり、慢心してしまう「たりなさ」があるから仏道に入るのであり、修行をするのです。

そしてその「たりなさ」を補い合うように、人間はできているのかもしれません

そんなお二人のライブの最後はいつも、「おれたちまだまだたりないね」でした。

いつかたらせようとしていたお二人の解散ライブは、こんな一言で終わりました。

 

「ああ、たりなくてよかった。」

 

山里さん、若林さん、本当に素晴らしいライブをありがとうございました。

 

 

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