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およそひと月前、8月に地元北海道に帰省した時のこと。新聞に混ざってこんなチラシが。

「クマ出没!」

なんだ、いつものことか。

と、笑って眺めていたのだが、出没場所と時間を見て戦慄する。

昼の2時頃、小学校グラウンドを歩いているところを目撃されました!」

それはまずい。時間も場所も、いただけないこと、この上ない。

なるべく早く対処してほしいものだと思っていると、テレビでもクマ出没のニュースが流れた。

どうやら地元から250km離れた大都会札幌でもクマが問題となっているらしい。

「住宅街にクマ出没!墓参り自粛!盆踊り中止に!」

札幌はかなり発展している地方都市だが、南寄りの地域は自然が多く、山に近い。

実はクマ出没も、地元民に言わせれば「それなりにあること」である。

数日後、そのクマが駆除されたとの報が流れた。

いやー、よかった。さぞ住民の方々は安心していることだろう、と思っていると、それに関連して気になる新聞記事を目にした。

曰く、今回の駆除に関して、市に300件を超える苦情が寄せられたとのこと。

「動物園に送ればいい」「山に返してあげればいいのに」

主に北海道外から寄せられたこうした意見は、人間の優しさゆえに生み出されたものであろう。

迷いグマに同情的なそれら意見は、しかし、私の眼には非常に傲慢なものに映った。

  

自然と向き合って生きる土地

自然豊かな北海道。

それは言い換えれば、人間の支配力が弱く、自然によるリスクが高い土地ということでもある。

豪雪・寒冷・スズメバチ・エキノコックス……クマのほかにも、生命を脅かす自然の要因は多い。

今回寄せられた苦情を目にして一番に思ったことは、

自然を制圧した土地に暮らす人が、自然と、ときにそれがもたらす脅威と向き合いながら暮らしている地域のことについて何を意見するというのか。」

という、怒りに近い感情だった。

もちろん自然豊かな地域に住みつつも、クマの命を救ってほしいという意見を持つ方は数多くいるだろう。

しかし、常にクマの脅威を受けている地域に、実情を知らない人が訳知り顔で意見するのは、無責任にもほどがあるではないか。

クマはナワバリ意識が非常に強く、賢い生き物である。また執念深い。

普段は山菜などを主食としているが、何でも食べることが出来る。

そして何かのきっかけで味を覚えてしまえば、人の食べ物も奪い、人をも食らうようになる。

一度、人里を餌場にしたクマは、人間にとってもはや敵でしかない。

人間は自然の一部であり、自然と共に生きるのが人間のあるべき姿である。

したがって、里に入ってきたクマを撃つという行為を自然の中に起こり得る生存競争であるとみれば、そこに非難されるいわれはないと私は考えている。

自然と人間の共存

自然の生み出す恩恵にあずかり、自然と共にあらねば生きられぬという宿命を負いながら、私たち人間は半ば自然から逸脱した存在となっていると言えるだろう。

自然の営みの只中に生きる存在に対して、

「動物園に送って人間が管理してあげればよい」「殺すなんて可哀想」

という人間本位な思いを抱くことは、まさに人間が自然から疎外されていることの証明のように思う。

とはいえ人間を含む霊長類は、ほかの生物に対しても強く感情移入することのできる生き物であり、それに同情するというのも人間の自然なありようとして納得できる。

ただし同情心ばかりを優先させていては、私たちの生活は様々な不都合を抱えてしまうことは言うまでもない。

人の手による自然破壊が問題視される中、私たちは自然といかに向き合うべきなのだろうか。

道元禅師の弟子にあたる孤雲懐弉こうんえじょう禅師が記した正法眼蔵随聞記しょうぼうげんぞうずいもんき巻1-7に、天台宗・恵心僧都源信えしんそうずげんしんのこのようなエピソードが紹介されている。

ある日、庭で草を食べている鹿を叩きのめして追い払わせた恵心僧都に、弟子が言った。

「お師匠にはどうやら慈悲の心がないようですね。草がもったいないからといって動物を虐げるなんて。」

「今ここで、私が鹿を打ちのめさなければ、いずれこの鹿は人に馴れ、悪人に近づいて必ず殺されてしまうだろう。だからこそ、打ちのめすのだ。」

『正法眼蔵随聞記』巻1-7より、私訳

これは道元禅師が慈悲心を説くために紹介したエピソードであるが、

ここには自然と人間が、お互いにバランスをとるあり方が示されているようにも思える。

いま北海道では、人間の危険性を学ばなかったがために人間に警戒心を抱かないクマや、無責任な餌付けによって人を見ると餌をくれると思っているクマが増えているという。

人里に下りてきてしまうクマの問題も含め、人間と自然のバランスが崩れていることを今一度確認する必要があるのかもしれない。

人と自然のバランス

ところで私は、秋のお彼岸の際には北海道に戻り、ついでにキノコを採りに山に入る。

その際、リュックサックにクマよけの大きな鈴をつけることは必ず忘れない。

私はこれまでクマよけの鈴を、自分の安全確保のため、とだけ考えてきた。

しかし、それだけではないことに気が付いた。

人を襲ったクマは必ず駆除される。

クマと人が非常に近い距離で暮らす北海道においてお互いが安全に生きるためには、クマは人に近づいてはならないし、人もクマを遠ざける努力をするのが道理であろう。

そう考えると、クマよけの鈴は、ただ自分の安全を確保するだけでなく、人とクマのバランスを崩さぬようにする、素晴らしい知恵の一つだと思えた。

ちなみに、地元の小学校グラウンドに侵入したというクマが駆除されたニュースは未だに聞かない。

 

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