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今週は、日本全国で秋のお彼岸を迎えます。

お墓参りやお寺での法要に参加される方も多いはず。

そこで、今回はより有意義にお彼岸を迎えられる、彼岸会との向き合い方についてのお話です。

そもそもお彼岸ってなんぞや

「彼岸」って何?

お彼岸は、正式には彼岸会といい、実は日本だけで行われている仏教行事です。

盂蘭盆会(お盆)や降誕会、成道会、涅槃会などは日本以外でも行われてきましたが、この彼岸会は平安時代以降に日本で生まれました。

彼岸というのは、私たちが煩悩に苦しみ、もがいている世界であるこちらの岸(此岸)に対して、さとりの世界である向こう岸という意味があります。

それが転じて、亡くなった方々が住む「あの世」という意味で「彼岸」という言葉が使われるようになったのです。

お彼岸はいつ?

ご存知のようにお彼岸には春彼岸秋彼岸があります。

それぞれ春分の日、秋分の日をお中日として前後一週間がお彼岸の期間です。(今年の秋は9/20~26)

これには、日本という土地と太陽の位置が関係しています。

春分、秋分の日はそれぞれ季節の変わり目としての意味がありますが、この日は太陽が日本から見て真西に沈んでいくのです。

平安時代から鎌倉時代にかけて、庶民は苦しい生活を余儀なくされると、死後には極楽浄土に往生できるという浄土思想を信仰するようになります。

当時の人々にとって、苦しいことなく、心身共に安らかに過ごすことができる極楽浄土を信じることは、生きていくための唯一の希望だったのです

そしてその極楽浄土は、西の果てにあると経典で言われるのです。

先ほどご紹介したように、春分・秋分の日は太陽が真西に沈みます

つまり、その日に太陽が沈む先に極楽浄土あると信じられ、そこに住んでいるであろうご先祖様への供養と結びついたのです。

おはぎとぼたもちを供える理由

そしてお彼岸というと、春も秋も「おはぎ」をお供えします。

ご存知の方も多いかと思いますが、おはぎとぼたもちの違いは作る季節の違いです。

それぞれ「お萩」「牡丹餅」と書くように、あずきの赤色を秋に咲く萩の花と春に咲く牡丹の花に見立てたのです。

また、あずきは収穫されたばかりで皮が柔らかい秋にはつぶあん、冬に保存して皮が少し硬くなった春にはこしあんにしました。

簡単にまとめると、

おはぎ=秋・つぶあん

ぼたもち=春・こしあん

ということになります。

また、お彼岸におはぎをお供えする理由としては、古くはあずきの赤い色が魔除けの意味を持っていて、お赤飯と同じく五穀豊穣を願うという意味があったようです。

そしてもう一つ、重要な要素はおはぎが超贅沢品であったということ。

お米と砂糖はずっと高級品として扱われていました。

これはお団子をお供えすることにも通じていますが、普段口にすることのないような高級品をお供えするというところに、ご先祖様への供養の気持ちが込められていたのです。

お彼岸をどう信じるか

まだ科学や技術が発達していなかった時代、太陽は本当に西に沈んでいると信じられていた頃は、今以上にお彼岸という場所が陽が沈んだ先にあるということが、現実として信じられていたはずです。

しかし、現代では太陽は動かず、地球が回っているということは小学生でも知っています。

極楽浄土を求めて飛行機をずーっと西に飛ばしても、最後は元の位置に戻ってきてしまうということも理解に難くはありません。

では、現代人はお彼岸という場所、そして彼岸会という行事とどのように向き合うべきなのでしょうか?

以前、こちらの法話でも彼岸について触れたことがあります。

実は彼岸という場所は、さとりを開いてから、あるいは亡くなってから「渡る」ところではありません。

私たちの生きるこの此岸という場所は、悩みや苦しみ、煩悩が渦巻いてつい「自分さえよければ」という思いが心に浮かんでくるものです。

しかしそんな風に、自分のことばかり考えて、財産や名誉にすがりつけば、同時にそれを失う恐怖にさらされ、苦しみの元となります。

逆に、自分だけでなく、周囲の人と共に安らかであろうと願い「手放す」生き方をすることで、あらゆる苦しみを離れていくことができるのです。

そしてそんな苦しみを離れた世界こそが「彼岸」です。

つまり、私たちは今この瞬間の生き方次第で、自分が生きる世界を「此岸」にも「彼岸」にもできるのです。

彼岸会との向き合い方

彼岸会という行事では、日頃の行いを振り返りながら、お仏壇やお墓やお写真に手を合わせ、今は亡き人に想いを巡らします。

よく、手を合わせたり供養をしたその想いが、故人に届いているかを気にかける方がいらっしゃいます。

あえて言い切りますが、届いています

心の中で、今は仏様となった故人を想うその瞬間、実は私たちの想いは届いています。

なぜならご先祖様や親しかった方が、仏様となって住んでいる彼岸は、私たちの心の中にあるからです。

しかし、日常生活の中で欲や感情に振り回されてしまうと、心に中にいるはずの仏様は見えなくなってしまいます。

「暑さ寒さも彼岸まで」というように、季節の変わり目である彼岸会で手を合わせて自分を振り返り、心の中の仏様が微笑んでくれるような生き方をしようと決意を新たにすることが何より重要なのです。

「風習だから」ではなく、ぜひご自身の心の休憩地点のようなつもりで、より有意義なお彼岸をお過ごしください。

 

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