「決断疲れ」と1キロのざる蕎麦

スポンサードリンク

最近「疲れ」を自覚するケースが増えてきました。

「疲れ」の要因は人によって様々で、コロナや生活の変化、加齢など要因も多岐にわたるでしょう。

私が目下頭を悩ませているのは「決断疲れ」

私たちは一日に数千回から数万回の意思決定を繰り返すと言われています。

仕事、食事、移動、遊び……何をするにも「決断」から逃れることはできません。

特に今の社会は、これまでの常識が通用しなくなってきていることに加え、新型コロナウイルスの影響下で生活環境が激変し、考えるべきことが増えたように思います。

この記事を書くにあたっても「文章の順番をどうしようか」「エピソード追加しようかな」「わかりやすくできないかな」など、無数の決断を行っています。

長時間にわたり意思決定を繰り返すことは、人間の判断力を鈍らせ誤った選択をしやすくなるそうです。

相当な「決断疲れ」を起こしている状態で書いている文章ですが、よければお読みいただければと思います。

Contents

決断疲れが招いた暴れん坊ランチ

自分の決断疲れに気が付いたのは、つい最近のこと。

少しばかり忙しさを感じる日々の中で、移動や宿泊のスケージュールを決めたり、その日の食事を考えることがだんだんと億劫になっているような気がしてはいました。

 

「うわあ、これは決断疲れしてるわ」と、はっきり気が付いたのは、ある日のランチでの出来事がきっかけ。

 

その日は軽く蕎麦でもたぐろうと、以前よく通っていたおそば屋さんに足を運び、昼食をとることにしました。

その店はいつも混んでいて、注文できるまでに時間がかかることもしばしば。

そのためじっくりメニューを考えることができるのですが、

「決断疲れ」を起こしている私の脳内コンピューターはあらぬ結論を導き出しました。

自分の空腹度と、摂取カロリー、食事によって得られる満足感、受け取る釣銭の額、これまでに注文してきたメニュー、トッピングの有無……

限られた時間でありとあらゆる要素を考慮に入れ、私がした注文は、

そば1キロ+天ぷら4品(1,000円)

という、暴れん坊ランチだったのです。

(あれ?どうして自分はそばを1キロも頼んでいるんだ?)

と気づいた時にはあとの祭り。

注文を受けた店員さんが威勢のいい声で厨房にオーダーを伝えてしまっていました。

もちろん、出てきたお蕎麦はすべておいしく平らげましたが、

「軽くお蕎麦をたぐろう」としていた当初の予定が、システムエラーを起こした脳内コンピューターによってハチャメチャに破壊されたことに気が付き、私は自分自身の決断疲れを自覚したのです。

正しい判断をしたつもりでも……

繰り返される意思決定による「決断疲れ」が、判断力を鈍らせ誤った選択をしやすくなるというのは先に述べた通りです。

当初、軽く済ませるはずだったランチが想定外のフードファイトになってしまった背景には、この決断疲れがあると考えました。

そもそも私は普段外食をする際に、様々な要素を考慮した上で、常に適切な選択をしようとしています。

ガチです。

そこが居酒屋だろうが、ファミレスだろうが、牛丼チェーンだろうがそれは変わりません。

メニュー表を見て適当なオーダーをするということはまずない人間です。

何を重視するかはその時の状況によって変化しますが、

予算、種類、食べ合わせ、ボリュームなど複雑に絡み合う要素を考慮した上で、常に一定以上のパフォーマンスを発揮する「チーム」を組みます。

こんなわけで、私は特に食事に際して、常人よりも多くの決断をしていると自負していますが、

それだけに食事においては決断疲れを招きやすく、また誤った選択も起こりやすいのかもしれません。

実は、今回のそば1キロ+天ぷら4品という暴れん坊メニューを注文した際にも、いちおう選択の筋は通っていました。

・その店は大盛りにすると、プラス100円でそばが1キロになるというサービスをしていること。

・天ぷらを1品つけると釣銭がなくなること。

・蕎麦はおいしいということ。

・数日前に大食いの番組を観ていたこと。

こうしたことを考慮した末の決断だったのですが、これはもともと決して重要な要素ではありませんでした

正しい判断をしたつもりが、気が付けばおかしなことになっていた。

「当初の予定」という最も高い優先順位を見失わせたのが「決断疲れ」だというわけです。

決断疲れを回避する習慣

日常の様々な局面で求められる決断。

繰り返される決断による疲弊を防ぐには、日常に「決まりごと」を設けるということが有効だと思います。

選択の幅が狭まれば、必然的に悩むことも減ります。

よく考えてみると、私も様々な「決まりごと」の中に生きていることに気が付きました。

アイスはバニラ、シェイクはストロベリー、ハンバーガーはテリヤキ、一杯目はビール……こうした具合です。

思えば、一日の流れがおおむね決定づけられていた修行生活も、体力的にはつらいことも多くありましたが、日常の中で行う必要のある意思決定は限られていたように思います。

一見苦しく思えた修行生活だが、実は世間的な苦しさから解放されていた。

こうした気づきを得た僧侶は多いことと思います。

最近で言えば、YouTubeでモーニングルーティン動画というジャンルが人気だそうですが、これも一種の決断回避と言えるでしょう。

朝食、歯磨き、洗顔、身支度などにあらかじめ優先順位を設けておけば、それだけ決断に割く労力が減ります。

こうしたことも行き過ぎると「こだわり」の範疇を越えて「執着」へとつながるかもしれませんので、注意が必要だとは思いますが、自分を苛んでしまう決断疲れから逃れるには有用かもしれません。

おわりに:決断疲れが頑固さにつながる?

人は年を重ねると、柔軟な発想ができなくなって頑固になると言います。

これもひょっとすると「決断疲れ」が一つの原因であるのかもしれません。

現在の状況を判断し、適切な思考・行動を選び取るには、多くの決断が必要になります。

それよりも過去の自分の経験や記憶から直接的に行動を導き出す方が、楽に思えるからです。

とはいえ、それが常に正しいとも限りません。

過去こそ絶対と信じ、一切考え方を変えないのであれば、それは頑固者であり、慢心に呑まれています。

過去を正当化するのではなく、過去に学び必要な決断を下す。

決断せずには生きられない中で、頑固になるのを避けるには、こうした姿勢も必要なのかもしれません。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事