「よい応援」とは何か、考えてみた~夏の全国高校野球より

夏の全国高等学校野球選手権大会

今年も多くのドラマが生まれ、感動を呼んだ、夏の甲子園。

仙台育英高校が、東北勢春夏通じて初となる優勝を決め、幕を閉じました。

いまだ、熱戦の興奮が冷めやらぬ中、

今回は禅活の、野球&応援大好きおじさんことちしょーが、

「応援」に焦点を当てて、思うところを語ります。

特に応援が注目された今年の甲子園

夏の甲子園の主役が激闘を繰り広げる球児たちなのは間違いありません。

しかし、スタンドで応援する各高校のブラスバンドのメンバーや、

父兄たち、一般の高校野球ファンなども、

ひと夏の物語を彩る掛け替えのない存在です。

そうした方々の応援があって初めて、

夏の高校野球が日本全国の注目を集める一大イベントとなっています。

 

特に、今年の甲子園を振り返ると、

「よっしゃ、いくぞー!」

「大丈夫だ!上向いて!」

と、審判の方がイニング間や試合前後の挨拶で、選手にエールを送る様子がクローズアップされたり、

声援なし、最大人数50人までという制限がありながらも、ブラスバンドによる応援が復活したり、

優勝した仙台育英高校が、準決勝で敗退した同じ東北の福島、聖光学園の応援曲を演奏したりと、

いつにもまして「応援」が注目されたように思います。

 

テレビの中で繰り広げられる応援の様子を観ていると、

コロナ以前の試合の光景が、完全に、とはいかないまでも戻ってきたような気がして、

なんとも感慨深く思いました。

「不満」に感じてしまった応援もあった

ただ、実は、テレビで試合を観戦しながら、

「ちょっと、この応援はどうなんだろう……」

「この曲の使い方は、あんまりなんじゃないかな」

と、あれほど好きであったはずの応援に「不満」を感じてしまうこともありました。

 

いくつか例をご紹介したいと思います。

まずは、今や、高校野球の応援曲の定番となった「モンキーターン」について。

この応援曲は同名の原作マンガを題材にしたパチスロが元ネタで、

千葉ロッテのチャンステーマに採用されたことから爆発的に広まりました。

曲調から掛け声、モチーフにした原作マンガのストーリーまで、まさに、

 

「チャンスをつかみ取る!」

 

という気分にさせてくれる名曲です。

 

だからこそ、

「是が非でも点を入れなければならない」

ここぞという局面にのみ使う、チャンステーマであってほしいと思うのです。

 

しかし、実際にはランナーなしの場面や、2アウトランナー1塁など、

点数の入る期待が薄い場面でもちょくちょく演奏されている様子も見受けられました。

また、アレンジというには納得できないくらい音程が外れている「モンキーターン」もありました。

 

あくまで個人の感想ではございますが……

原作マンガを読破し、

アニメも全話視聴していまだに主題歌を覚えていて、

パチスロ機の方でもかなり遊ばせてもらった身としては、

こうした使われ方は原作マンガやチャンステーマへのリスペクトが欠けているように思えて、興ざめをもたらしました。

また別の例を挙げると、これまた定番曲、

「暴れん坊将軍」「ドラクエⅢ・戦闘曲」

にも、不満を覚えてしまいました。

どちらも子どもの頃は、

「あ!暴れん坊将軍だ!」

「ドラクエきた!」

と演奏されるたびにテンションが上がる曲だったのですが、

今回は、ふと、

「この2曲、今の高校生はどんな気持ちで演奏したり、聞いたりしてるんだろうか?」

と、疑問を持ってしまったのです。

そして、最後は高校野球をテーマにしたマンガ作品「タッチ」のテーマソングを使った応援曲にも不満を抱きました。

この曲も大好きなのですが、ある高校の応援では、

「サビの前が延々とループする」

という使われ方をしていました。

「ここから先が聞きたいのに!」

と、お預けをくらったような気分で、せっかくのチャンスなのに、

「あと一歩、ヒット1本が足りない」

という状況を暗示しているかのようで、非常にモヤモヤしました。

 

ただ、

 

これらの応援に「なんだかなあ」という釈然としない思いを抱いたことが、

「では、どんな応援を自分はよい応援と感じているのだろうか?」

と考えるきっかけになりました。

何が「よい応援」?

まず思い至ったのは、応援曲へのリスペクトが感じられるかという点です。

それはモチーフとなった原作やチームの歴史を踏まえたり、

作詞・作曲者の思いを汲んだりしながら、

しかるべき場面で使うということになるでしょう。

いたずらなアレンジやカットの多用、チャンステーマの軽視などをしてしまうと、

リスペクトという点であまり「よい応援」ではなくなってしまうように思います。

 

そして、

「よい応援」にもっとも必要だと思うのは、

ひたむきに努力する選手たちに向けた温かい応援の気持ちを、

「いかに共鳴させ、広く伝えるか」ということ

です。

 

甲子園で主体となって試合に臨む選手への思いを、響かせる

 

選手にはもちろん、

その周囲を支える学校、地域、自治体といった環境に、

ありとあらゆる野球ファンに、

環境を越え、世代を越えて、

甲子園で戦う選手への気持ちをつなぎ、

皆に健闘を願う心を起こさせる。

 

これこそが「よい応援」なのではないでしょうか。

 

たとえば、

母校のスローガンや地域を象徴するような曲や、

「魔曲」と呼ばれる、特別ないわれを持つテーマ。

 

あるいは、

地元出身の歌手や作曲者に由来する曲や、

老若男女問わず、長く、広く親しまれている曲。

 

こうした曲を用いた応援がもっと増えてほしいと願うばかりです。

応援がつくる「物語」

人間は誰しも、それぞれの物語を持っています。

それは当人の努力や研鑽の歴史であり、その人にとって掛け替えのないものです。

そして、人の物語は他の人の物語と結びついたとき、より強い力を発揮します。

野球というスポーツはもちろんひとりでできるものではありません。

チームメイト、対戦相手、

監督、コーチ、

グラウンド整備の方、審判団、

応援団、チア、父兄、

学校、地域の支援者、

スタンドやテレビの前で応援するファン。

それらが揃って初めて「夏の甲子園」という舞台が整えられ、

ひと夏の熱い物語が生まれるのです。

 

それらを繋ぐのは、まさに「応援」に他なりません。

 

お互いを励ます気持ち、

健闘を願う気持ち、

無事を祈る気持ち、

 

それらの思いを繋ぎ、

 

ひとりの物語を、皆の物語へと変える力。

 

真の「応援」にはその力が備わっていると、私は思います。

 

「応援」がその力を遺憾なく発揮したときには、

ひたむきに努力する選手への声援は、ひたむきに生きるすべての人に向けた声援へと変わり、

選手が懸命にプレイする姿は、試合を見守るすべての人への応援となるのではないでしょうか。

そうなれば、そこに応援する側、される側なんていう垣根はなくなります。

 

よく聞く話で、

「教えていたつもりが、実は私の方こそ教えられていた」

という気づきが語られますが、応援もまさにこれに当てはまるのではないでしょうか。

おわりに

今回は、応援について思うところを思うままに書きました。

疑問に思う点もあるかもしれませんが、なにとぞ広い心でご容赦を。

それでは最後に、今、ちしょーの中でもっとも熱い応援の動画を貼り付けまして、本記事を終えます。

ここまでお読みいただいた皆さま、どうもありがとうございました。

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